第1439回('21) 中央本線の岡谷周辺の駅を降り鉄&特急『しなの』で帰宅  | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。


 
前回の続き…
 
2021年7月22日~24日、東京オリンピック開会式による4連休の前3日は、新型コロナウイルスの感染状況を睨みながら乗り鉄の旅を企画しましたが、東京都と沖縄県を除き緊急事態宣言が発令されていなかったため、感染対策を徹底した上で乗り鉄に出かける事にしました。
旅のメインは飯田線の降り鉄でしたが、飯田線は2日目から乗ることにしたため、空いた1日目はお盆休みにはコロナの影響で行けないであろう横浜へ行きました。現に、神奈川県の感染状況はその後急速に悪化して、お盆前に緊急事態宣言が出てしまいました…。
そして2日目以降は予定通り飯田線の乗り鉄・降り鉄を実行しました。夕立に見舞われましたが、概ね天気は良好で、非常に暑かったです…。
 
今回は最終3日目(土曜日)後半の内容です。
午後は飯田線駅の訪問を1駅にとどめ、諏訪湖・岡谷周辺にある中央本線の駅を少しだけ訪問しました。そして塩尻駅からは特急『(ワイドビュー)しなの』、東海道新幹線『ひかり』、京阪神地区の新快速を乗り継いで兵庫県加古川市の自宅へと帰りました。
普通列車は『青春18きっぷ』を使用しました。
 
 
今回の日程 2021年7月24日  (土)   【後半】  
 
川岸1234(中央本線→飯田線)1251羽場1332(飯田線→中央本線)1355岡谷1359(中央本線)1405みどり湖1439(上り普通)1451下諏訪1532(下り普通・新線経由)1547塩尻1703(特急(ワイドビュー)しなの20号)1905名古屋1919(東海道新幹線・ひかり653号)1947米原1954(琵琶湖線→JR京都線→JR神戸線・新快速)2213加古川  
 
【帰宅】  
 
1ヶ月後に土砂災害が発生してしまった川岸駅前でしたが、訪問当時は晴れていて穏やかでした。また川岸駅は中央本線辰野支線の駅ですが、大半がJR東海の車両による飯田線からの列車であるため、支線の岡谷~辰野は実質的に飯田線と同じように見えてしまいます。まぁ、辰野支線はみどり湖経由の新線ができて支線に転落し、優等列車の運転もなくなりましたが、東側の岡谷~辰野は飯田線列車により本数がそれなりに多く、かなり救われている感じがします。反面、西側の辰野~塩尻は完全な閑散区間で、今でこそE127系が主力ですが、かつては荷物電車を改造した123系単行が活躍していました。
 
 

 
その川岸駅からは12時34分発の普通・天竜峡行きに乗車しました。飯田線直通列車で、JR東海の313系3000番台(セミクロスシート車)2連でした。終点の天竜峡駅で豊橋行きに接続する列車であるため「乗り鉄」などの旅行者が多く、また地元客も一定数乗っていたため車内はほぼ満席で、私は後部車両ドア脇に陣取り車窓風景を眺めました。飯田線沿線は諏訪地区や松本の求心力が高いようで、辰野寄りの北部では利用客が多いようです。辰野駅からは飯田線に入ります乗車率はほとんど変化ありません。引き続き車窓風景を眺めて過ごし、12時51分に到着した羽場駅で下車しました。2面2線の駅で、小坂井駅と似た外観の待合室を兼ねた簡易駅舎が印象的でした。駅前は住宅と田園が混在した風景で、西へ向かって徐々に標高が上がる地形である以外は大して特徴が見られませんでした。
 
 

 

 
今回はこの羽場駅をもちまして飯田線の降り鉄を終了として、これからは自宅を目指しつつ中央本線の駅を降り鉄していきます。羽場駅から乗車したのは13時32分発の普通・岡谷行きで、この電車も313系3000番台2連でした。天竜峡始発で、豊橋発列車の接続を受けていませんが、地元客でほぼ全座席が埋まっており、この電車でも私は後部車両でのドア脇立席を選択しました。コロナ禍でこの乗車率ですから、コロナ禍以前は結構混雑していたと思われます。諏訪方面へ直通する列車は2両ではキャパシティー不足かもしれず、北部の拠点駅である伊那松島駅で増解結を行って諏訪方面へは最低3両以上へ乗り入れてくれれば嬉しいですが、まぁそんな事はしないでしょうねw 道中は先ほども見た風景をもう一度眺めて過ごし、辰野駅からは中央本線辰野支線に入ります。先程下車した川岸駅から先は10年ぶりの乗車区間になるため、私は全集中で景色を眺めました。そして左から塩嶺トンネル・みどり湖経由の新線が合流すると、13時55分に終点の岡谷駅に到着しました。
 
 

 
岡谷駅では改札を出ずに、4分の接続で中央本線(中央東線)の普通・長野行きに乗車しました。みどり湖経由です。私をはじめ飯田線方面からの多くの乗換客がこの電車に乗り込みました。車両はセミクロスシートの211系0番台3連でした。飯田線ではセミクロスシートの313系3000番台が来るとガッカリでしたが、中央東線はロングシート車が多いので、0番台ですと嬉しいですw しかし、乗車した最後部車両は全てのボックス席に先客がいたため、相席を嫌って誰も座っていないドア横のロングシートに腰掛けました。道中は分岐する辰野支線(旧線)など車窓風景を眺めていましたが、長大トンネルである塩嶺トンネルに入るとスマホを操作していました(トンネル内でも通信可能だったと記憶しています)。そして塩嶺トンネルを出るとすぐに電車はみどり湖駅に到着し、私は下車しました。みどり湖駅は1983年開業の新駅で、開業以来一貫して無人駅です。掘割にホームがあり上下線別に出入口があります。乗降客は少ないです。駅周辺は住宅地ですが、約1.5km東には駅名の由来となった「みどり湖」があります。「みどり湖」はダム湖(ため池)で、釣りをはじめ夏はボート、冬はスケートが楽しめるそうですが、ボートやスケートにつきましては現在も楽しめるかどうかは不明です。さすがに「みどり湖」は遠いので、私はクソ暑い中、駅前だけ散策してすぐ駅へと戻りました。
 
 

 

 
みどり湖駅からは東へ戻ります。14時39分発の上り普通・塩山行きに乗車。塩山は山梨県の駅で、甲府盆地の北東端にあります。車両は211系ロングシート車6連でした。115系の時代はロングシートなどあり得ませんでしたが、今は全国的にロングシート化の波が押し寄せてきています(JR西日本を除く)。今、私は「降り鉄」を中心に鉄活動していて平均乗車時間が短いため、別にロングでもクロスでも構わないのですが、長距離乗車する際はやはりクロスシートの方がいいですねぇ…。私は最後部車両に乗り込みましたが、半分ほどの席が空いていたため空席に座り、塩嶺トンネル内で水分補給してからトンネルを出ると車窓風景を眺めました。岡谷駅では下車せずに引き続き普通電車に乗り続け、その次の停車駅である下諏訪駅で下車しました。訪問する駅を下諏訪駅にするか上諏訪駅にするかで迷いましたが、上諏訪駅ですと滞在時間が長く取れなかったため、今回は下諏訪駅にしました。観光地の玄関口として古いながらも設備はしっかりとしており、北側には立派な駅舎を構えています。駅前は古びた市街地ですが、コロナ禍ゆえに人通りが少なく閑散としていました。また、約800m北東には諏訪大社下社(秋宮)が、約1.4km北北西には諏訪大社下社(春宮)がありましたが、こちらも時間の関係で訪問は叶いませんでした…。
 
 

 

 
下諏訪駅では指定席券売機で帰りのきっぷを買ってから『青春18きっぷ』で入場し、15時32分発の下り普通・松本行きに乗りました。211系ロングシート車で、短い3連でしたが、茅野始発だった事もあり半分ほどしか座席が埋まっておらず、私は最後部車両で着席しました。道中は先ほどとは反対側の車窓風景を眺めました。そして先程下車したみどり湖駅からは両側の車窓風景を楽しんで、辰野支線と中央西線がたて続けに合流すると15時47分に塩尻駅到着。私は下車しました。
塩尻駅ではこの日最後の「降り鉄」として、ホーム、駅舎、駅前を観察しました。橋上駅舎を有する3面6線の駅で、塩尻市の代表駅ですが、広い駅構内とは裏腹に駅前は閑散としていました。
 
 

 

 
駅を観察後は次に乗車する列車の到着まで時間があったため、改札横の待合室へ。そば店があったため、早目の夕食を済ませました。そばだけでは足りなかったため、隣の売店でおにぎりを買って食べました。売店ではお土産も買いましたが、蕎麦屋も売店も客が多かったです。近年は地方駅で売店や蕎麦屋の閉店が相次いでいますが、塩尻駅の場合はコロナ禍にもかかわらず客が多いです。今後も頑張ってほしいです。
 
 

 
さて、乗車列車の発車時刻が近づいてきたため、待合室を後にして改札口へ。『青春18きっぷ』ではなく、自動改札機に乗車券を通して入場し、西側にある中央西線の5番線ホームへと下りました。少し待っていると松本方から電車がやってきました。乗車したのは17時03分発の特急『(ワイドビュー)しなの20号』名古屋行きです。車両は今やベテランの域に達した383系の6連でした。例年の連休ですと8連や10連になるはずですが、やはりコロナ禍ゆえ利用が増えず、閑散期と同じ6連での運転になっているようです。また、今回は途中駅からの乗車なので自由席を選択すると立席になる可能性もあったため指定席にしましたが、ちょっと頑張って最後部1号車のグリーン車を選択しました。383系のグリーン席は2列+2列なのでお得感は少ないですが、長時間移動において密を避ける目的と、料金制度的にグリーン料金がめちゃめちゃな負担にはならなかったため、グリーン車にしても損はなかったと思っています。思惑通りグリーン車はガラガラで、10人もいませんでした。私は指定された窓側席に着席しました。
 
 

 

 
『しなの20号』は定刻に塩尻駅を発車し、中央西線へと入ります。段々と山深くなっていき、木曽谷を南下していきます。5年ぶりの中央西線乗車ですが、車窓風景は何度見ても飽きません。天気は良かったのですが、山間部ゆえ日没が早く、17時台にもかかわらず影で暗くなる箇所が多く見られました。また、長野県南西端の南木曽付近からは急に雲行きが怪しくなり、夕立に見舞われました。中津川辺りでは激しい雨でした…。
 
 

 
それでも電車は速度を維持して走りました。瑞浪辺りでようやく小降りになり、愛知県に入るとゲリラ豪雨は完全に止みました。しかし空を見ると雲に覆われたままで、いつ降り出してもおかしくない状況だったのは嫌でした…。そして『しなの』は名古屋市内に入り、名鉄電車や新幹線が並走するようになると定刻の19時05分に終点の名古屋駅に到着しました。快適なグリーン車にまだ乗っていたかったのですが、名残を惜しみつつ下車しました。
 
 

 
名古屋駅では改札を出ず、中間改札を通って東海道新幹線下りホームへと移動しました。そして19時19分発の『ひかり653号』新大阪行きに乗り継ぎました。N700a系16連で、JR東海所属のX42編成でした。私は自由席を選択しましたが、いつもの先頭1号車ではなく、訳あって自由席の最後尾である5号車を選択しました。『ひかり』の5号車は自由席でも一番混雑するので普段は避けていますが、今回は窓側席にこだわらなかったため、空席があれば良い程度の考えでした。しかし、コロナ禍の影響で全体的に乗車率が低く、5号車も例外ではありませんでした。窓側席のA席やE席にも空きがあり、私は3人掛けのA席に着席しました。まさか5号車で窓側席に座れるとは思っていなかったので驚きました。名古屋から乗車した人を含めても5号車は半分以上の席が空いていました。
道中は暗くなる直前の車窓風景を眺めつつ、スマホを操作していました。岐阜羽島駅で『のぞみ』を待避してから冬の難所である関ヶ原を走行しますが、この辺りで完全に暗くなりました。そして滋賀県に入ると19時47分に米原駅に到着し、私は下車しました。本当は新大阪駅や西明石駅まで新幹線で一気に移動したかったのですが、この日は『青春18きっぷ』を使っているため、少しでも18きっぷを有効利用しようと、特急や新幹線の利用区間をできるだけ短くしました。と言っても塩尻~米原の長距離を特急と新幹線で「ワープ」したため、既に18きっぷのお得感は少ないですが…。また、名古屋~米原を新幹線にしたのは、18きっぷ期間に混雑する大垣~米原にアレルギーがあったためですw 
 
 

 
米原駅では下車後すぐに乗換改札へ。ホーム中央部に階段があるため、より階段に近い5号車を選択した次第です。乗換改札を通って在来線ホームへ下ると、すでに19時54分発の新快速・網干行きが入線していました。225系8連+223系4連で、前8両の225系は新型の100番台でした。中ほどの車両は結構座席が埋まっていたため、私は早歩きで先頭車両へと向かいました。先頭車両はガラガラで、余裕で転換クロスシート窓側席をゲットできました。まぁ、新幹線で1号車に乗っていたら発車前に新快速の先頭車両にたどり着けなかった可能性があり、間に合ったとしても7分の接続ではちょっと走る必要があったと思います。
 
 

 
新快速は定刻に米原駅を発車し、彦根駅、能登川駅、近江八幡駅と停車していき、乗客が少しずつ増加します。もう完全に夜になっていたため、私はスマホを操作していましたが、野洲辺りから急に眠気に襲われ、草津辺りで寝てしまいました。途中、目が覚めてもすぐに眠ってしまい、車内の状況は分かりませんでした…。そして完全に目が覚めたのは東加古川駅通過時で、次眠ってしまうと完全に寝過ごすと思い、ここからは必死にこらえました。その甲斐あってか、22時13分着の加古川駅では無事に下車できました。
 
 

 
加古川駅下車後は有人改札で『青春18きっぷ』を提示して駅の外に出ました。コロナ禍であり、深夜の駅前はひっそりとしていました。私はとっとと帰宅しました。
 
これにて2泊3日の飯田線を中心とした降り鉄は終了しました。飯田線は駅数が多く、もし全駅制覇しようと思えば何度も通わねばならないな…と深く実感しましたww
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません  
 
 
(参考:Wikipedia)