第1392回('20) 芝山鉄道線と京成本線の一部駅を降り鉄して新幹線で帰宅 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。


 
前回の続き…
 
2020年9月19日~21日、シルバーウイーク4連休のうち前3日間は、新型コロナウイルスの感染拡大が収まりつつあったと判断し、2泊3日の日程で関東地方へ乗り鉄・降り鉄(途中下車)に出かけました。
但し、新規陽性者数の多い東京都と神奈川県はできるだけ避けつつ、新規陽性者数が比較的少なく、私の地元・兵庫県と同レベルの千葉県、埼玉県を中心に回りました。宿泊は東京都内でしたが。
 
今回は最終日・3日目終盤の内容です。
成田空港の各駅を訪問後は京成電鉄の東成田駅へと移動し、芝山鉄道線の芝山千代田駅まで乗り鉄しました。その後は成田方面へと戻り、成田周辺の京成本線の駅を降り鉄していきましたが、日没を迎えると降り鉄を終了して東京へ戻りました。そして最後は新幹線と在来線を乗り継いで兵庫県加古川市の自宅へと帰りました。
 
今回の日程 2020年9月21日  (月・祝)   【その3】
 
空港第2ビル1455(徒歩)1503東成田1518(芝山鉄道線)1521芝山千代田1537(芝山鉄道線→京成東成田線)1547京成成田1618(京成本線・特急)1622公津の杜1639(快速)1641宗吾参道1704(特急)1706京成酒々井1747(特急)1848京成上野/上野1924(上野東京ライン)1929東京1942(東海道新幹線・のぞみ451号)2212新大阪2230(山陽新幹線・こだま881号)2254西明石2303(JR神戸線・新快速)2313加古川
 
【帰宅】
 
京成とJRを使って空港第2ビル駅と成田空港駅の間を往復し、今は空港第2ビル駅にいます。この後、私は成田や都心方面へは戻らず、地下通路で繋がっている京成の東成田駅を目指す事にしました。京成駅の改札外の一角に地下通路の出入口がありましたが、分かりづらかったですw そこから地下通路(地下道)に入りましたが、駅構内とは違い薄暗く殺風景でした。この地下道は500mほどあり、延々と歩きましたが、途中まで誰ともすれ違いませんでした。後半で右に曲がりましたが、その先で2人組とすれ違いました。また写真撮影しながら地下道を歩いていたので走破に時間がかかり、曲がり角の地点で後方に東成田駅へ向かう人が1人見えました。そして8分ほどかけて地下道を走破し、東成田駅の地下コンコースに到達しました。
 
 

 
東成田駅は開業以来リニューアルもされておらず、昭和の空間が今も残っています。薄暗い照明が寂れた雰囲気をかき立てていました。私は一旦地上に出て駅舎(出入口)も見ましたが、地上には鉄道ファン以外は誰もいませんでした。すぐに地下のコンコースへと戻りました。
 
 

 
これから私は10年ぶりに芝山鉄道線を乗り鉄する事にしました。芝山鉄道線はICカードが利用できないため、自動券売機で芝山千代田駅までの200円の乗車券を購入してから自動改札機にきっぷを通して改札内に入りましたが、右側には仮柵があり、かつてのコンコースはもっと広かったのですが、規模縮小により右側の空間は入れなくなっています。上から覗いてみると、コンコースはそのまま残っていて、成田空港駅時代は賑わっていたと思われる喫茶店の跡も撤去されず残っていました。その後は地下2階のホームに下りましたが、元々島式ホーム2面4線だったのが規模縮小により西側の1面が使用停止となって東側の1面しか使用されていませんでした。西側のホームには成田空港駅時代の駅名標や案内がそのまま残っていましたが、照明が消えているので分かりづらかったです。
 
 

  
ホームを観察していると、京成成田方から15時18分発の普通・芝山千代田行きが入線しました。私は大急ぎで車両を撮影して最後部車両に乗り込みました。車両は京成の3000形6連で、最後部車両は3人しか乗客がいませんでした。発車後しばらくは地下区間を走るため、私は着席して水分補給をしました。地上に出ると右手に成田国際空港の滑走路や空港施設を見て走りますが、列車はすぐに終点の芝山千代田駅に到着しました。
 
 

 
芝山千代田駅は10年ぶりの訪問でしたが、1面1線の高架ホームや改札など、駅施設はあまり変化がありませんでした。また、空港第2ビル駅と東成田駅を結ぶ地下道の側壁に『芝山鉄道線 乗車記念証明書(2020年度版)』についてのポスターがあり、芝山鉄道線利用が条件ですが、改札口でポストカードタイプの乗車記年証明書がもらえると書かれていました。また、8月1日~11月30日の第1回・第2回期間内で先着700枚発行とも書かれており、既に9月21日なので発行終了しているかも…と心配しつつダメ元できっぷを提示して窓口で駅員に尋ねました。すると、「ありますよ」との事で、あっさりと乗車記年証明書をゲットできました! やはりコロナ禍で乗車人数が減少してこの時期まで証明書が残っていたのでしょうね…。ちなみに1週間後の28日に証明書が発行枚数に達したとの事で、次回(第3回)は12月1日~2021年3月31日です。そして、私の乗車列車にはファンも数人乗っていましたが、証明書を貰ったのは私だけでした。何しろポスターの数自体が少なく、車内にも広告がありませんでしたので、京成沿線から直接来た人は証明書の存在を知らなかったかもしれません。
 
その後は折り返し列車に乗るため、改札を出た後は大急ぎで駅舎と駅前を撮影してから自動券売機で京成成田駅までの乗車券を購入して、再入場しました。
 
 

 
そして高架ホームに上がり、折り返し15時37分発の普通・京成成田行き(京成3000形6連)に乗車しました。最後部車両は誰も乗客がおらず、貸切状態でした。私と同様に折り返し乗車したファンは他の車両に乗車しました。発車後しばらくは車窓風景を眺めて、地下区間では中吊り広告を見ていました。途中の東成田駅では最後部車両に1人乗ってきましたが、依然としてガラガラ状態でした。東成田駅を発車後は地上に出て東成田線から本線に合流し、台地の森林や農地の中を高速で駆け抜け、やがて台地を抜けて高架で走るようになり、右手に成田山新勝寺が、左手にイオンタウン成田富里が見えてくると、左へカーブして終点の京成成田駅に到着しました(15:47着)。京成成田駅訪問は3年ぶりですが、改めて車両とホーム、駅舎と駅前を撮影しました。相変わらず正面口に相当する西口駅前は狭く、そこにバスやタクシーがひしめきあっていました。大規模なロータリーが整備されているJR線の成田駅と対照的で、いかにも私鉄駅といった光景でした。
 
 

 

 
当初は、すぐに東京へ戻って帰宅する予定でしたが、まだ16時台で、朝は雨上がりで曇っていた天気もすっかり回復して晴れていたため、また翌日も仕事が休みで帰宅が深夜になっても支障ない事から、日没までもう少し降り鉄する事にしました。次に乗車したのは16時18分発の京成本線上り特急・京成上野行きで、特急は京成佐倉まで各駅に停車します。車両は3000形8連で、乗り込んだ最後部車両は大半の席が埋まっていましたが、私は着席して水分補給をしつつ車窓風景を眺めました。そして私は1駅目・公津の杜駅(こうづのもりえき)で下車しました。公津の杜駅は1994年に開業した京成本線で最も新しい駅で、ホームは掘割にあり、地上部には橋上駅舎かつ駅ビルが鎮座しています。駅前は整然とした市街地で、午前中に訪問した千葉ニュータウンの各駅と比較して手狭でしたがその分建物の密集度が高く、人通りも多くて賑やかな印象でした。
 
 

 

 
公津の杜駅からは16時39分発の快速・西馬込行きに乗車。快速は京成津田沼駅まで各駅に停車していきます。3700形8連で、最後部車両は半分ほどの座席が埋まっていました。私は着席して、道中は車窓風景を眺めて過ごし(と言っても大半が掘割とトンネルでしたがw)、次駅の宗吾参道駅で下車しました。宗吾参道駅は車庫が併設されているため始発・終着の列車が設定されていて、列車の行先で宗吾参道の名を聞いた事がある人もいらっしゃると思います。どれだけ大きな駅かと思いきや、確かに駅施設は2面3線で側線もあり、橋上駅舎も有していて立派でしたが、ホームから駅前風景を眺めて、あまりのローカルぶりに驚いてしまいました。駅前に住宅が幾らかあるのみで、あとは駐車場や田園、森になっている丘陵地といった感じでした。改札を出て軽く駅前を散策しましたが、コンビニすらありませんでした…。また、駅前から北に延びる道路には石灯篭があり、坂を登った先には義民・桜宗吾(木内惣五郎)の墓がある東勝寺(宗吾霊堂)が立地しているのですが、宗吾霊堂まで1kmもあるので時間的に参詣はできませんでした。
 
 

 

 
散策後はホームに戻りましたが、いつの間にか多くの高校生が電車を待っていました。おそらく駅南側にある東京学館高等学校(鎌形学園)の部活帰りの生徒と思われます。私は17時04分発の特急・京成上野行きに乗りました。旧AE形の足回りを再利用した3400形8連で、最後部車両はほぼ全席が埋まっていたものの空席に座り、水分補給をしながら車窓風景を眺めました。だいぶ日が傾いてきましたが、まだ降り鉄できそうなので次駅の京成酒々井駅で下車しました(17:06着)。京成における酒々井町の代表駅で、立派な橋上駅舎を有していました。東口、西口ともロータリーが整備されていましたが、駅前には商店が見られず、閑散とした印象でした。東口→西口の順に散策しましたが、西口の散策を終了仕様とした時に乗車予定だった快速・西馬込行きが入線して、この列車に乗れませんでした…。土休日の京成酒々井駅ですが、9時台~17時台は上下線とも毎時3本の列車が停車しますが、都心側の停車駅が異なる特急と快速がそれぞれ40分ヘッドで運転されている事もあり、20分毎ではありません。したがって私が乗車した特急と次に乗ろうとした快速の間隔が17分しかなく、逆にその快速と次の特急の間隔が24分もあるなど、間隔にばらつきが生じています。私が勝手に20分ヘッドと思っていたため、のんびりしていたら乗り遅れてしまいましたw ちなみに先程の公津の杜駅でも列車間隔が17分ほどでしたが、その際は17分以内に散策を終えていたので問題ありませんでした。まぁ乗り遅れたのは仕方ないのでもう少しだけ散策して改札内へと戻りましたが、日没を迎えて空が暗くなり始めており、これ以上この日の降り鉄はできなくなりました。
 
 

 

 
今回の降り鉄はこれにて終了として、帰宅の途につくとします。まずは東京に戻らねばならず、ホームで長時間待ってから17時47分発の特急・京成上野行きに乗車しました。3000形8連で、この列車もほぼ満席でしたが空席に座り、しばらく車窓風景を眺めていましたが、日没を過ぎて暗くなってきたため、京成佐倉~京成臼井の絶景、印旛沼と「佐倉ふるさと広場」の風車も何とか見える程度でした。その後は車窓風景を諦めてひたすらスマホゲームをしていましたw また、停車駅ごとに乗客が増えて一時は多くの立客が発生しました。京成船橋駅、東京都に入って京成高砂駅、青砥駅では多くの乗客が入れ替わり、終点1駅前の日暮里駅では大半の乗客が下車して車内はガラガラになりました。最後は上野公園の地下を走行して、京成酒々井駅発車から1時間01分後の18時48分に特急は終点の京成上野駅に到着しました。
 
 

 
日暮里駅でJRに乗り換えても良かったのですが、夕食を済ませてから新幹線に乗ろうと思い飲食店の多い上野での乗換を選択しました。下車後は中央通り沿いにある「松屋」で食事をしました。
 
 

 
夕食後は上野駅へと移動し、帰りの新幹線の特急券を購入しました(乗車券は往復券を既に所持)。その後は入場して19時24分発の上野東京ライン経由品川行き電車(種別は快速)に乗りました。常磐線からの直通列車で、車両はE531系10連+5連の15両編成でした。私はグリーン車の後方6号車に乗り込みましたが車内は空いていて、ロングシートに腰掛けました。道中はスマホで新幹線の時刻を調べていました。そして列車は5分後に東京駅に到着し、下車しました。尚、隣のホームには『サフィール踊り子』のE261系電車が停車していましたが、時間の関係で先頭車両へ回れず、中間車両のみ撮影しましたw
 
 

 

 
東京駅下車後はお土産を買ってから東海道新幹線のりかえ改札を通り、高架のホームへ。19時42分発の『のぞみ451号』新大阪行きに乗車しました。私は西明石駅で新幹線を降りるのですが、夜間の乗車は寝過ごし防止のため、いつも新大阪行きを選択しています。西へ乗り過ごしてしまうと戻れなくなるので…。車両はJR東海所属のN700A16連で、私は1号車自由席の3人掛け窓側A席に座りました。車内はガラガラで、人気のE席も半分ほど空席でした。連休後半の列車にしては乗客が少なすぎますが、これも新型コロナウイルスの影響でしょうね…。コロナ禍でなければかなり乗車率が高かったと思われますが…。
 
 

 
『のぞみ451号』は定刻に東京駅を発車しました。スマホが電池切れ寸前だったので充電して、前々日に購入した鉄道雑誌「鉄道ファン」と「鉄道ジャーナル」を読んでいました。もう夜間なので車窓風景は眺めませんでした。また、品川駅、新横浜駅でも大して乗客が増えず、ガラガラのまま名古屋を目指す事となりました。その新横浜駅を発車後に車内販売員が回って来たので私はアイスクリームを注文して食べました。久しぶりに「シンカンセンスゴイカタイアイス」を食べましたが、何度食べてもカタいですww 
 
 

 
アイスクリームを食べた後は再び鉄道雑誌を読み始めましたが、三島駅通過後に睡魔に襲われ、新富士駅通過後に眠りに落ちてしまいました…。その後、京都駅到着前に目が覚め、以後は再び寝てしまわないように気を付けながら充電により復活したスマホを操作していました。そして『のぞみ451号』は定刻の22時12分に終点の新大阪駅に到着しました。
 
 

 
新大阪駅では22時30分発の『こだま881号』岡山行きに乗り換えるため、『のぞみ451号』が到着した26番線から20番線へと移動したのですが、24番線には2020年7月にデビューしたばかりの新型車両N700Sが停車していたので、すかさず撮影しました。 
 
 

 

 
その後は5分くらいかけて20番線へと移動しました。既に『こだま881号』は入線していましたが、車内清掃のため車内に入れませんでした。車両はJR西日本の500系V3編成8連でした。発車3分前くらいにようやく車内に入れるようになり、私は最後部車両の8号車自由席に乗車し、3人掛けの窓側A席に座りました。8号車は他に客がおらず、私だけの貸切状態でした。
  

 

 
『こだま881号』は定刻に新大阪駅を発車しました。宮原の車両基地を見てからは車内の最後部へ移動し、5分ほど子供用の疑似運転台で遊びましたw 居眠り対策の側面もありますがww 

 

 

 

その後は自席に戻りスマホを操作して過ごし、眠らずに西明石駅で下車できました(22:54着)。同じ時間に停車した上り『こだま』も500系でした。
 
 

 
西明石駅では在来線ホームへと移動し、23時03分発のJR神戸線下り新快速・姫路行きに乗り継ぎました。223系8連+223系or225系4連の12両編成で、私は先頭車両(8連側)へ。大半の座席が埋まっていましたが運良く転換クロスシート窓側席が空いており、そこに座って道中はスマホゲームをしました。そして西明石駅を発車して10分後の23時13分に新快速は加古川駅に到着し、私は眠らずに無事に下車できました。
 
 

 
深夜の加古川駅前はひっそりと静まり返っていました。とっとと帰宅して、無事に2泊3日の関東遠征を終える事ができました。
対策を施した事もあり新型コロナウイルスに感染しませんでしたが、安心して旅行できる状態に戻ってほしいですね。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません
 
 
(参考:Wikipedia)