北恵那鉄道線・中津町駅~恵那峡口駅の廃線跡(岐阜県中津川市。2017年訪問) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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(Wikipediaの写真を使用)  

  

今回は、岐阜県南東部を走っていたローカル私鉄・北恵那鉄道(現:北恵那交通)の路線、
北恵那鉄道線のうち、木曽川を渡る起点側の1区間、
中津町駅~恵那峡口駅の廃線跡について簡単に紹介します。

  

かつては木曽川水系で筏による木材輸送が行われていましたが、電力会社(大同電力)が現在の恵那市に大井ダムが建設する事になり、舟運ができなくなる事から、その見返りとして北恵那鉄道線が建設され、1924年に中津町~下付知の全線が一挙に開業しました。電力会社が関与した影響か、当初より直流600V電化されていました。

  

開業後は客貨ともに需要があったと思われますが、戦後の高度成長期になると、おそらく過疎化やモータリゼーションの影響で1971年には列車の運行が朝夕のみとなり、1978年には全線廃止となりました。

  
  

今回は起点側の中津町駅跡~恵那峡口駅跡の1区間のみ、廃線跡探訪レポートを超簡単に紹介致します。
ちなみに残る区間の恵那峡口駅跡~下付知駅跡の簡易なプチ廃線跡記事も投稿しています(こちら)。

  

尚、いつもながら調査が不十分なことをお詫び申し上げますm(_)m

  
  

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(Mapion地図を使用)  

  
  

路線名   区間   営業キロ  備考  
北恵那鉄道(当時):北恵那鉄道線  中津町~恵那峡口  1.2km   全区間単線・直流600V電化。軌間1,067mm  
(※)中津町~下付知の営業キロは22.1km。     

  
  

訪問・撮影時   2017年7月  

  

  

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(1)北恵那鉄道線の起点駅だった中津町駅跡にて。
中津町駅跡は国鉄(JR)中津川駅の裏口に相当する西口側にあり、
中津川駅は地下通路で国鉄線をくぐった先にあり、徒歩5分ほどを要していました。
現在、遺構は残っておらず、駅跡は左側の道路と右側の駐車場へと変わりました。

  
  

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(2)尚、中津町駅跡より中津川駅へは貨物用の連絡線が繋がっていました。
一段高い中津川駅へ至るスロープ部分が道路転用されて残っていました。

   
   

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(3)下付知方より中津町駅跡を望む。恵那山を望めます。
広い用地に当時の面影を感じるのみです。

  
  

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(4)中津町を発車した北恵那鉄道線はすぐに左へカーブして藪の中へと入っていきました。
現在は廃線跡が写真中央の未舗装道路に転用されていますが、立入禁止となっています。

  
  

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(5)藪を抜けると北恵那鉄道線は中津川(河川の名称)を渡っていました。
鉄道橋は低い位置を左右方向に延びています。
現在も橋梁が撤去されずに残っています。現在はすぐ上を道路橋が跨いでいます。復活を考慮していない高低差ですね…。

  
  

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(5)上写真の中津川橋梁跡の拡大写真です。橋脚が時代を感じさせます。

  
  

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(5)中津川を渡った後は、その中津川の西側(写真左側)を走って山間部へ入っていきました。
廃線跡はビニールハウス上側に写っている白い車の左下から右上を通っていました。

  
  

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(6)その後は迂回して中津川の右岸を通る道路へ。
木々に遮られて見づらいですが、その道路から中津川を渡る橋梁跡を確認できました。

  
  

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(7)中津川を再び渡った廃線跡は道路に取り込まれ、工事業者の用地へと入っていきます。
遠方には木曽川橋梁跡を望めます。

   
   

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(7)もう少し近づいてみました。木曽川橋梁跡と手前の築堤を確認できました。
これより先は私有地のため、入れませんでした。

  
  

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(7)上写真と同じ写真より木曽川橋梁跡を望む。
廃止後40年近くが経過していますが、レール・枕木と架線柱が撤去された以外は綺麗に残っています。

  
  

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(8)木曽川橋梁跡は渡れないので再び迂回して、東側に架かる玉蔵橋より木曽川橋梁を望む。
ここが北恵那鉄道線で一番の車窓風景の見所だったでしょうね。

  
  

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(9)木曽川の対岸へと渡りました。
木曽川の北側を通る道路と廃線跡の交差地点にて中津町方を望む。開業当初はこの辺りに恵那峡口駅がありました。
現役時代は築堤区間で道路をオーバーパスしていましたが、廃線後に撤去されました。
しかしながら木曽川橋梁跡へ続く築堤は残存しています。
また、右側に古びた建物がありますが…。

  
  

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(9)この建物は、当時運航されていた恵那峡への観光船のりばの跡です。
おそらく旧・恵那峡口駅舎を転用、改修したと思われます。
窓越しに中を見ますと「消費税」と書かれた表示物がありましたので、
観光船は1989年4月1日より後に廃止されたと思われ、したがってこの建物も少なくとも1989年までは使用されていたと推測されます。

  
  

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(9)観光船のりば跡西側より木曽川橋梁跡を望む。対岸の築堤部がよく分かります。

  
  

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(9)3枚上の写真と同地点より下付知方を望む。
築堤は撤去され、廃線跡は舗装道路に転用されています。この付近で左へカーブしていました。

  
  

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(10)その舗装道路を西へ少し進むと恵那峡口駅跡に着きました。
左側の狭い空き地がホーム跡です。土手部分にホームの土台が残っているようですが、当時の私はノーマークでした…orz
この先も廃線跡は舗装道路となって続いていますが、しばらく進むと道路は途切れ、廃線跡は藪の中へと入っていきます。

  
  

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(11)恵那峡口駅跡を下付知方より望む。右側がホーム跡です。

  
  

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(12)恵那峡口の北側を通る県道6号線からは木曽川橋梁跡を俯瞰できます。
遠方には中津川の市街地も望めます。

  
  

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(12)木曽川橋梁跡を拡大して望む。まだまだ状態が良さそうに見えます。
もし中津町~恵那峡口だけでも廃止を免れていれば、トロッコ列車を走らせて観光需要を喚起できたかもしれません…。

  
  

(おしまい。恵那峡口~下付知のプチ廃線跡記事はこちら)。

  

  

廃線跡探訪の注意点  

私が北恵那鉄道線の中津町~恵那峡口を探訪したのは2017年の1度きりです。その後、車で恵那峡口~下付知の一部も探訪しました。
廃止から随分と時間が経過していましたが、意外と遺構は結構多かったです。中でも木曽川橋梁の遺構は圧巻でした。

  

今回の中津町~恵那峡口の廃線跡の距離は1.2kmですが、廃線跡を歩けない区間ばかりで迂回が必要となり、徒歩ですと片道45分、往復1時間半ほど見ておいた方が良いでしょう。また、廃線跡は私有地も混在しているので注意が必要です。

  

食料・飲料について、中津川駅前にコンビニがありますが、廃線跡沿線に気軽に入れる飲食店はありません。事前に用意しておきましょう。

  

中津川を訪問される際は、ぜひ一度北恵那鉄道線の廃線跡も歩かれてみて下さい。

  

  

接続路線   

接続駅   接続路線  
中津川駅  JR東海:中央本線【中央西線】(名古屋方面塩尻方面)   
   
(参考:歩鉄の達人、地理院地図、Googleマップ、Wikipedia)