![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/16/s-limited-express/28/1e/j/o0550041214425610780.jpg?caw=800)
元々、生野の町には馬車鉄道が走っていましたが、1920年に電化路線である生野銀山トロッコ軌道が完成して馬車鉄道は廃止されました。以後、戦後にかけて電気機関車牽引による貨物輸送が行われていましたが、1955年に飾磨港までのトラック輸送が始まるとトロッコ軌道はお役御免となり、廃線となりました。
今回は全線探訪をできなかったのでプチコーナーにて紹介いたしますが、
今後、廃線跡を全線探訪できた場合は、廃線跡探訪の記事を改めてUP致します。
今後、廃線跡を全線探訪できた場合は、廃線跡探訪の記事を改めてUP致します。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/16/s-limited-express/1e/e2/j/o0550041214425610804.jpg?caw=800)
この場所(右岸)を生野銀山トロッコ軌道が通っていました。
現在は整備されて「トロッコ道」という名の遊歩道になり、路面には新たにレールが埋設されています。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/16/s-limited-express/36/07/j/o0550041214425610829.jpg?caw=800)
トロッコ列車はこのアーチ橋で市街地を避けて市川の上を走っていました。
このアーチ橋は日本の近代化における土木構造物としての価値が評価されているそうです。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/16/s-limited-express/24/c4/j/o0550041214425610861.jpg?caw=800)
現役当時からこんなに狭い場所を走っていたのか、はたまた廃線後に左側の住宅が進出してきたのか、定かではありません。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/16/s-limited-express/5d/f1/j/o0550041214425610888.jpg?caw=800)
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/16/s-limited-express/00/bb/j/o0550041214425610921.jpg?caw=800)
この先も市川沿いを走っていたそうですが、少し先では護岸工事の影響で廃線跡が姿を消していました…。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/16/s-limited-express/5f/08/j/o0550041214425610942.jpg?caw=800)
これがトロッコ軌道のものなのか、道路など他の用途の橋梁跡なのか、分かりません…。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/16/s-limited-express/1c/a1/j/o0550041214425610973.jpg?caw=800)
そしてトロッコ軌道は生野銀山にたどり着いていたのですが、私は時間の関係で最後まで辿れませんでした…orz
(おしまい)
今回の生野銀山トロッコ軌道の廃線跡は4km弱と長くも短くもないのですが、私の場合は片道バス利用で本数の少ないバスの時刻に合わせたため一部を探訪できませんでした…。
機会があればもう一度探訪してみたいですね。
(2013年撮影。参考:「生野銀山のトロッコ道」のサイト、地理院地図、Wikipedia)