富山地方鉄道射水線の廃線跡(富山県富山市~射水市。2008年ほか訪問) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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今回は、富山県の県庁所在地・富山市にある新富山駅(現:富山トヨペット前電停)から北へ進み、四方(よかた)から富山湾沿いに西へ進んで射水市(旧:新湊市)の西部にある新湊駅(現:六渡寺駅)との間を結んでいた
富山地方鉄道射水線(いみずせん)の新富山~越ノ潟の廃線跡について簡単にレポートします。
尚、越ノ潟~新湊(六渡寺)については現在、万葉線新湊港線として営業を続けていますのでここでは割愛します。ご了承下さい。

 

射水線は前身の越中電気軌道により1924年に富山北口~四方が開業したのを皮切りに延伸を繰り返し、越中鉄道と社名を変えた後の1933年に現在の六渡寺駅までの全線が開業しました。そして戦時中の交通統合により富山地方鉄道射水線となり、戦後には射水線の電車が新富山から富山市内軌道線に乗り入れたり、新湊方では高岡から高岡軌道線が延びてきて射水線と接続し、新湊回りで富山と高岡がレールで繋がりました。
しかし、富山市街への直通運転は廃止され、さらに放生津潟を開削した富山新港の建設により射水線は分断される事になり、1966年に堀岡~越ノ潟が廃止され、堀岡駅の新湊方に新港東口駅を開業した上で、越ノ潟との間は富山県営渡船(運賃不要)による連絡となりました。また、越ノ潟~新湊は高岡や砺波地区を中心に営業している富山地方鉄道の子会社・加越能鉄道に譲渡され、同社の新湊港線になりました(後に万葉線新湊港線になりました)。
そして新湊の手前で分断された射水線は利用者数が減少し、富山市内軌道線への乗り入れを再開したものの乗客は戻らず、結局1980年に新富山~新湊東口が廃止されました。

 

廃線後、八ヶ山駅付近の廃線跡はバス専用道に転用され、富山地鉄のバスが数本運転されていましたが、2012年3月に専用道経由のバスは一般道経由へと変更され、バス専用道は現在、大半が放置されているようです。また、四方付近から新湊東口の間は大半がサイクリングロードに転用されています。

 

今回は新富山駅~越ノ潟駅の廃線跡探訪レポートを紹介致します。
越ノ潟~新湊(六渡寺)につきましてはこちら(万葉線新湊港線)の記事をご参照下さい。

 

尚、今回の区間はサラッと辿っただけなので調査が不十分なことをお詫び申し上げます。
さらに、探訪時期が2008年~2009年で、現在は状況が変化していると思われますが、ご了承願います。


 

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(Yahoo!地図を使用)  

  
  

路線名   区間   営業キロ   廃止時  
富山地方鉄道:射水線  (※1)新富山~(※1)新湊  (※2)19.9km  (※3)1980年4月1日廃止  
(※1)当時の駅名。   
(※2)1980年に廃止された新富山~新港東口の営業キロは15,2km。   
(※3)越ノ潟~新湊(4.7km)は万葉線新湊港線として営業中です。   
(※)全線単線・直流600V電化。軌間1,067mm。   

  
  

探訪・撮影時   2007年5月、2008年9月、2009年5月  

  

  

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(1)起点だった新富山駅跡にて。駅用地は高層住宅等に転用されています。
また、射水線と富山市内軌道線を結ぶ連絡線が存在していました。
ちなみに、富山市内軌道線の電停名は「富山トヨペット本社前」に変更されています。


 

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(2)新富山駅跡を出発して、廃線跡は神通川の土手に沿って北上していました。
廃線跡は道路転用されています。
現在は宅地化されていますが、射水線の現役当時は田園風景も残っていました。


 

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(3)廃線跡が神通大橋に通じる道路と交差すると左へカーブして富山北口駅跡に着きました。
この付近の廃線跡は宅地や駐車場に転用されています。写真中央奥の戸建住宅辺りに富山北口駅跡がありました。


 

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(4。2007年に新富山方を向いて撮影)
富山北口~八ヶ山の先までの廃線跡はバス専用道に転用されていました。
写真は北陸本線を跨ぐ陸橋跡ですが、北陸新幹線が高架で建設されるのに伴い陸橋と前後の築堤は撤去されてしまいました。


 

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(5。2007年に新富山方を向いて撮影)
バス専用道と幹線道路の交差点には遮断機があり、バスが通過する時のみ手動(機器を操作)で開いていました。
機器を操作すると遮断機が上がって交通信号が変わりました。


 

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(6。2007年に新富山方を向いて撮影)
北へ進むと丘陵地を進み、廃線跡は八ヶ山駅跡を通り過ぎます。
現在、バス専用道を走る路線バスは廃止されており、専用道だけが残っています。


 

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(7)八ヶ山の先でバス専用道は途切れ、四方駅跡の手前まで廃線跡は2車線道路に転用されています。


 

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(8)八町駅跡の手前で廃線跡は国道8号線富山高岡バイパスをアンダーパスします。
バイパスは射水線の現役時に建設されました。


 

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(9)まだまだ2車線道路区間が続きます。鯰鉱泉駅跡付近には温泉旅館があります。
尚、私は見逃してしまいましたが、鯰鉱泉駅跡にはホームの盛土や待合室のコンクリートの基礎が残存しているそうです。


 

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(10)鯰鉱泉駅跡の先で2車線道路は途切れ、この先新港東口駅跡までの廃線跡は遊歩道(サイクリングロード)へ転用されました。
廃線跡沿いの一部区間には石油パイプラインが併設されています。


 

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(11)廃線跡は住宅街へと入り、車庫もある拠点駅だった四方駅跡に着きました。
駅跡は遊歩道などに転用され、当時の面影は残っていません。


 

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(12)四方駅跡を過ぎると廃線跡は西へ針路を変え、富山湾沿いに形成された集落の内陸側を進みます。
相変わらず遊歩道転用区間が続きます。


 

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(13)打出駅跡を過ぎると田園風景を見ながら富山市から射水市(旧:新湊市)へ変わります。
また、北側に広がる集落の向こう側には富山湾が広がっており、射水線は海水浴客輸送にも活躍しました。


 

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(14)さらに進むと海老江駅跡に着きました。
珍しくホーム跡の遺構が残存していました。


 

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(15)遊歩道区間はまだまだ続きます。
写真の場所の辺りに射北中学校前駅跡がありました。


 

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(16)さらに西へ進みます。すると遊歩道が途切れ、全線廃止前は終着駅だった新港東口駅跡に着きました。
駅跡は写真中央の辺りですが面影がありません。
駅跡のすぐ近くには富山県営渡船の堀岡発着場があります。


 

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(17)新港東口駅の先は運河(?)によって越ノ潟駅までの間の線路が分断されました。
越ノ潟は目と鼻の先なのに、この部分の分断が射水線の寿命を縮めてしまいました…。
尚、写真では建設中の新湊大橋は2012年に車道部分が、2013年に歩道部分(あいの風プロムナード)が完成しました。

  
  

(おしまい)  

  

  
廃線跡探訪の注意点  

私が射水線の廃線跡を探訪したのは2007年、2008年、2009年と回数が多いですが、2007年は専用道のバス乗車が目当てでした。残りの区間は2008年と2009年に分けて探訪しました。
尚、廃線跡は殆どが道路や遊歩道に転用されていて、遺構らしい遺構は数少なかったです。

 

廃線跡の距離は約15kmと長いです。徒歩ですと片道で5時間くらい見る必要があります。自転車ですと4時間くらいで往復探訪が可能です。さすがに徒歩での往復探訪は難しいので、復路(往路)は、富山側からですと実質的な射水線の廃止代替バスである富山地方鉄道バスを利用できます(時刻は要確認)。また、新港東口から富山県営渡船と万葉線を乗り継いで高岡方面へ抜ける事も可能です(逆ルートも可。渡船と万葉線の時刻は要確認)。そして、バス専用道だった部分は大半が放置状態のようですが、一応通行禁止となっているようです。

 

食料・飲料についてですが、沿線には飲食店はほとんどなく、コンビニも新富山~富山北口駅跡付近の県道7号線沿いに2軒、練合駅跡近くに1軒のみと非常に少ないです。事前に準備しておきましょう。尚、自動販売機は至る所にあります。

 

冬の間は難しいですが、北陸新幹線で富山県へご旅行の際はぜひ一度探訪されてみて下さい!

  

  
接続路線  

接続駅   接続路線  
(※1)新富山駅   富山地方鉄道:富山市内軌道線【呉羽線】  
越ノ潟駅   万葉線:新湊港線(元:射水線の一部)  
(※1)現在は『富山トヨペット本社前』電停。     

  

(参考:Googleマップ、地理院地図、Wikipedia)