北恵那鉄道大井線の廃線跡(岐阜県恵那市。2012年訪問) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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今回は、中央本線の恵那駅近くにあった新大井駅から北へ分岐し、丘陵地を通って恵那峡近くの大井ダム駅まで延びていた路線、
北恵那鉄道大井線の廃線跡について簡単にレポートします。
尚、北恵那鉄道は現在、北恵那交通と社名を変更しています。

  
  

北恵那鉄道大井線ですが、元々は大井ダムの建設資材を現地へ運搬するために関西電力の前身である大同電力が建設した専用鉄道で(1922年完成。貨物輸送のみ)、ダムの完成後に北恵那鉄道が1928年に譲り受けて観光路線として旅客輸送を開始しましたが、当初より利用客は低迷し、4年後の1932年に休止、そして1934年に廃止となりました。
廃止後は大同電力の専用鉄道に戻りましたが、1940年に完全に廃止されました。

  
  

今回は北恵那鉄道大井線の廃線跡を新大井~大井ダムの順にレポートします。
自然へ還ってしまった大井ダム駅跡へは行けませんでした。ご了承下さい。

  

尚、今回の区間はサラッと辿っただけなので調査が不十分なことをお詫び申し上げます。

  
  

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(Yahoo!地図を使用)   

  
  

路線名   区間   営業キロ  廃止時  
北恵那鉄道:大井線  新大井~大井ダム  4.3km   1934年9月15日旅客営業廃止  
(※)全線単線、非電化。軌間1,067mm。      

  
  

探訪・撮影時   2012年1月  

  

  

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(1)起点の新大井駅は恵那駅とは阿木川を挟んだ東側対岸にありました。
その結果、国鉄(現・JR)との乗換が不便で、大井線の利用客が定着しなかった一因だったと推測できます。
現在、駅跡用地は中央本線の複線化などに利用されて面影がありません。

  
  

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(1)新大井駅跡付近より大井ダム方を望む。
新大井駅跡は中央本線と同様に築堤上に設置されていたようです。

  
  

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(2)新大井駅跡を出発しました。
しばらくの間廃線跡用地は中央本線上り線に転用されていると思われます。

  
  

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(3)1つ上の写真で見える中央自動車道をくぐると、大井線の廃線跡は中央本線と分かれます。
この先、大井線の廃線跡はしばらくの間、地元では「軽便道」と呼ばれている細い道路に転用されています。

  
  

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(4)右手に中央西線を見ながら廃線跡を進むと左へカーブします。
カーブの具合が以前に鉄道路線であった事を物語っています。

  
  

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(5)その後、廃線跡は右手に広がる丘陵地の崖下を北へ走っていました。
現在は廃線跡沿いに住宅地が広がっています。

  
  

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(6)そして一時的に廃線跡が道路転用されずに住宅地に転用された区間を通ると変則的な五叉路に差し掛かります。
五叉路の先、廃線跡は左側の道路となりますが、道路のルート形状から他の道を廃線跡と間違えそうです。
実際、私も現地で間違えてしまいましたw

  
  

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(7)さらに道路転用された廃線跡を進むと唯一の中間駅だった金龍温泉駅跡(金竜温泉駅跡)に着きます。
駅施設は既に撤去されていて、当時の痕跡はありません。
駅跡近くには恵那ラヂウム温泉があります。

  
  

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(8)金龍温泉駅跡を出発してしばらく右カーブを進むと、廃線跡は2車線道路に取り込まれます。

  
  

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(9)2車線道路に転用された区間を東へ進みます。大井線は結構な山間部を走っていました。

  
  

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(10)そして2車線道路が恵那峡口交差点に差し掛かる寸前に大井線の廃線跡は左へカーブしてオメガカーブを描きながら濁川を渡っていました。

  
  

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(10)濁川橋梁ですが、元来大井線は短期間の使用を前提に建設された専用鉄道だったため橋梁は木製だったそうです。
しかし、コンクリートの基礎は建設されており、現在も残存しています。(見づらくてすみません)

  
  

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(11)濁川を渡ると廃線跡は西へ向けて進みます。
そして廃線跡は再び単線分の道路へ転用され、山間部をカーブしながら進みます。
沿線は山林の割合が高いですが、所々で住宅地が開発されています。

  
  

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(12)さらに進むと廃線跡は恵那峡エリアへ入り、笠松競馬の場外馬券売場「シアター恵那」に沿って進みます。
写真の付近より廃線跡は左側の林道を進んでいたと思われますが、私は軽装だったので入るのを断念しました。
この先に大井ダム駅跡(専用鉄道として開業当初の駅名は「奥戸駅」)がありますが、自然に還ってしまったようです。

  
  

(おしまい)  

  

  

廃線跡探訪の注意点  

北恵那鉄道大井線の廃線跡を探訪したのは2012年の1度だけです。戦前に廃止となった路線なので遺構はほとんどありませんでした。一方、道路転用された割合が高く、さほど迂回せずに廃線跡を辿る事ができました。

  

廃線跡の距離は4.3kmですが、坂道が多いので徒歩で2時間ほど要します。また、恵那駅と新大井駅跡は離れているので注意が必要です。
往復とも徒歩探訪ですと疲れますので、片道は恵那駅と大井ダム駅跡近くにある恵那峡バス停を結ぶ路線バスを利用される事をお勧めいたします(時刻は要確認)。

  

食料・飲料について、コンビニ・飲食店とも少ないです。恵那駅の南側約500mの場所にスーパー「バロー」(店内にスガキヤあり)、コンビニがあります。恵那峡付近にはコンビニすらありませんので事前に調達を。
恵那峡へご旅行の際は、ぜひ一度北恵那鉄道大井線の廃線跡も寄ってみて下さい!

  

  
接続路線  

接続駅   接続路線  
新大井駅   JR東海(恵那駅まで徒歩10分):中央本線【中央西線】  
新大井駅   明知鉄道(恵那駅まで徒歩10分):明知線  
大井ダム駅   恵那峡ロープウェイ(事実上廃止。恵那峡駅まで徒歩約20分)  
  
(参考:JTBキャンブックス『鉄道廃線跡を歩くⅩ』、地理院地図、Wikipedia)