今回は、岐阜県大垣市の赤坂地区に存在する廃線跡・
西濃鉄道昼飯線の廃線跡(美濃赤坂~昼飯)について簡単にレポートします。
尚、「昼飯」は「ひるい」と読みます。
尚、「昼飯」は「ひるい」と読みます。
西濃鉄道昼飯線は、赤坂地区にある金生山で産出される石灰石、大理石を水運に代わって輸送すべく、1928年に市橋線とともに開業しました。市橋線は戦前の一時期に旅客営業も行っていましたが、昼飯線は終始貨物営業のみでした。
戦後になるとトラック輸送への切替が進行し、1990年頃に休止となり、2006年度には全線廃止となりました。
尚、運営会社は一貫して西濃鉄道でした。
戦後になるとトラック輸送への切替が進行し、1990年頃に休止となり、2006年度には全線廃止となりました。
尚、運営会社は一貫して西濃鉄道でした。
今回は昼飯線の廃線跡探訪レポートを紹介致します。
尚、今回の区間は徒歩でサラッと辿っただけなので調査が不十分なことをお詫び申し上げます。
また、今回も写真が少ないです。ご了承願います。
また、今回も写真が少ないです。ご了承願います。
(Yahoo!地図を使用)
路線名 | 区間 | 営業キロ | 廃止時 |
西濃鉄道:昼飯線 | 美濃赤坂~昼飯 | 1.9km | 2006年度(正式な廃止日は不明) |
探訪・撮影時 | 2010年5月、2011年8月 |
(1)美濃赤坂支線を走行中の列車内より撮影。
美濃赤坂駅に到着する手前で昼飯線は左へ分かれていました。
また、この分岐地点には市橋線で使用されている機関車の車庫があります。
美濃赤坂駅に到着する手前で昼飯線は左へ分かれていました。
また、この分岐地点には市橋線で使用されている機関車の車庫があります。
(2)美濃赤坂支線から分岐してしばらくすると踏切跡に差し掛かります。
踏切跡では遮断機や警報器は撤去されていましたが、線路は残っていました。信号機もありました。
踏切跡では遮断機や警報器は撤去されていましたが、線路は残っていました。信号機もありました。
(2)踏切より先、昼飯線は左側の丘陵地に沿って北西に走っていました。
レールは残っています。
レールは残っています。
(3)しばらく進むと、昼飯線は道路と立体交差していました。
写真は陸橋より美濃赤坂方を望む。廃線跡はレールが残存していますが、草に埋もれています。
写真は陸橋より美濃赤坂方を望む。廃線跡はレールが残存していますが、草に埋もれています。
(3)上写真と同じ陸橋より昼飯方を望む。
掘割区間を走っていました。
掘割区間を走っていました。
(4)赤坂中学校西側の踏切にて。
除草されていましたが、枯れ草で線路が見えませんでした。
除草されていましたが、枯れ草で線路が見えませんでした。
(5)さらに進むと、昼飯線は右へカーブしていました。レールが見えています。
(6)カーブをさらに進むと、旧中山道との踏切跡に差し掛かります。
道路との交差部分には線路が残っています。
道路との交差部分には線路が残っています。
(6)上写真と同じ踏切跡より美濃赤坂方を望む。
見張り小屋が残存しています。
見張り小屋が残存しています。
(7)旧中山道との踏切跡から北へ進むと、西側より昼飯駅からの線路と合流します。
(8)そしてスイッチバック構造の駅だった美濃大久保駅跡に着きました。
レールと上屋(?)らしきものが残ってました。
レールと上屋(?)らしきものが残ってました。
(7)美濃大久保駅からは進行方向が変わりました。
昼飯方面へは右へ分岐し、美濃赤坂方面へは左へ分岐します。
昼飯方面へは右へ分岐し、美濃赤坂方面へは左へ分岐します。
(9)分岐後は工場が建ち並ぶ中を走っていました。
ここでもレールは残されていました。この付近から複線状態になっていました。
ここでもレールは残されていました。この付近から複線状態になっていました。
(10)そしてさらに右カーブが続くと、終着駅だった昼飯駅跡に着きました。
2010年時点では駅舎が残存していましたが、現在はどうなっているでしょうか?
2010年時点では駅舎が残存していましたが、現在はどうなっているでしょうか?
(10)昼飯駅跡の終端方を望む。側線が広がっていました。
(11)終端部より昼飯駅舎、美濃赤坂方を望む。
尚、かつては山の方にある石灰石採掘場まで、軌間610mmの専用線が営業していたそうです。
尚、かつては山の方にある石灰石採掘場まで、軌間610mmの専用線が営業していたそうです。
(おしまい)
私が訪問したのは2010年と2011年でしたが、廃止からさほど期間が経過しない事もあり全区間でレールが残されており、遺構のオンパレードでした。
廃線跡は立入禁止区間が多く、迂回を余儀なくされますが、並走道路や踏切跡から廃線跡を見る事ができるので、概ね当時の線路跡をトレースできました。
廃線跡は立入禁止区間が多く、迂回を余儀なくされますが、並走道路や踏切跡から廃線跡を見る事ができるので、概ね当時の線路跡をトレースできました。
廃線跡の距離は1.9kmで短いですが、徒歩で探訪される場合、美濃赤坂駅から往復1時間半は見ておいた方が良いでしょう。また、昼間帯は美濃赤坂駅でレンタサイクル貸出を行っているので、レンタサイクルですと1時間以内の探訪が可能です。さらに、赤坂地区を通る旧中山道には路線バス(名阪近鉄バス)も走っており、予め時刻を確認しておけば美濃赤坂支線と同じく大垣駅へ戻れます。
前述のように徒歩ですと1時間半はかかります。美濃赤坂支線の列車本数が少ないので事前に時刻の確認を。帰りの列車まで時間が開く場合は路線バスも使えます。
食料・飲料についてですが、廃線跡周辺にコンビニはないです。飲料は地元商店や自動販売機で調達できます。食事は大垣駅周辺で予め済ませておくか、探訪後にした方が無難です。
食料・飲料についてですが、廃線跡周辺にコンビニはないです。飲料は地元商店や自動販売機で調達できます。食事は大垣駅周辺で予め済ませておくか、探訪後にした方が無難です。
接続駅 | 接続路線 |
美濃赤坂駅 | 西濃鉄道:市橋線(貨物専業) |
美濃赤坂駅 | JR東海:東海道本線美濃赤坂支線 |
(参考:地理院地図、Wikipedia)