蹴上インクラインの廃線跡(京都府京都市左京区。2009年訪問) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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今回は、明治時代の1891年から戦後の1951年まで、大津と京都を結んでいた琵琶湖疏水の舟運において使用されていた傾斜鉄道路線、
蹴上インクラインの廃線跡について簡単にレポートします。
蹴上インクラインはほぼ全区間にわたり京都府京都市左京区内を走行しています(中間の一部区間は東山区内を走行)。

  

琵琶湖疏水の完成(1890年)より少し遅れた1891年、高低差のある蹴上(けあげ)地区において疏水を運航する船を台車に載せて運ぶインクライン(ケーブルカー)路線として蹴上インクラインが完成しました。動力は蹴上発電所で水力発電された電力でした。当初は旅客・貨物とも船の往来で賑わっていたようですが、後に鉄道などの交通機関も発達し、舟運の利用は大きく減少してしまいました。そして戦後の1951年を最後に蹴上インクラインの運行を停止し、1960年に電気設備が撤去されて事実上の廃線となりました。後にレールも撤去されましたが、産業遺産として保存するために1977年に見かけの設備が復元されました。そして1996年には国の史跡に指定され、現在に至っています。

  
  

尚、今回の区間は徒歩でサラッと辿っただけなので調査が不十分なことをお詫び申し上げます。
また、今回も写真が少ないです。ご了承願います。

  
  

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(Yahoo!地図を使用)  

  
  

路線名   延長   廃止日  
蹴上インクライン  640m  1960年(事実上の廃止年)  
(※)単線並列のインクライン(ケーブルカー)。つるべ式と思われます。電圧、軌間は不明。     

  
  

探訪・撮影時   2009年11月   

  

  

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(4)蹴上交差点より蹴上インクラインを望む。
蹴上インクライン跡は左右を結ぶ道路より奥の高台の上を通っています。
かつては手前から右前方に延びる三条通の路上を京阪京津線が通っていました。
⇒京阪京津線・京津三条~御陵の廃線跡探訪記事はこちら
現在は三条通の地下を京都市営地下鉄東西線が通っています。

  
  

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(1)琵琶湖疏水記念館の敷地内より蹴上インクラインを望む。
山麓側の船着場はそのまま琵琶湖疏水と繋がっており、船がスムーズに移動できるようになっていました。
蹴上インクラインは斜面を登っていきます。軌間は広いです。
また、琵琶湖疏水記念館には琵琶湖疏水にまつわる資料が展示されています。

  

余談ですが、琵琶湖疏水にはもう一つ、伏見インクラインもあったようです。

  
  

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(2)上の写真に写っている橋より山麓方を撮影。
琵琶湖疏水記念館は写真右側の木の陰にあります。
また、おそらく現役当時は水面がもっと手前側まで来ていたものと思われます。
山麓側のレールの一部は土の中に埋もれているのでしょうか?
尚、蹴上インクライン区間の琵琶湖疏水はトンネル区間で迂回して山頂側から山麓側へ流れています。

  
  

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(2)上の写真に写っている橋の下より山頂方を撮影。
一方的な上り勾配になっていますが、鋼索鉄道の路線にしては勾配が緩やかな印象です。
尚、軌道敷はほぼ全線にわたり歩くことができます。

  
  

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(3)しばらく山頂方へ歩き続けると、右側のレールに橋桁のようなものが保存されています。
これは橋桁ではなく台車(復元)で、この上に船を載せてインクラインで運び、高低差を克服していました。

  
  

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(3)上の写真と同じ地点で山麓方を望む。
水路である琵琶湖疏水に直結させるため、線路は地下へ潜る感じになっています。

  
  

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(4)さらに山頂方へ歩いて西側を見ると蹴上交差点へ差し掛かりました。

  
  

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(4)上写真と同じ地点より山頂方を望む。
レールだけでなく枕木やバラストも復元されています。また、石畳が一部敷かれていて歩きやすくなっています。

  
  

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(4)上写真と同じ地点より山麓方を望む。
左の線路と右の線路の間隔が狭くなっているのが特徴的です。

  
  

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(5)蹴上交差点より少し山頂方へ歩くと、かなり高い場所を走るようになり、
道路をオーバークロス(立体交差)します。

  
  

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(5)上写真の立体交差を下の道路側(東側)より撮影。
トンネルはレンガ積みの構造になっています。

  
  

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(6)さらにインクラインの軌道敷を山頂方へ歩くと、間もなく山頂側の終点に着きます。
ここは踏切のような構造になっていますが、ケーブルを通す溝がないので廃止後に設置されたものと思われます。

  
  

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(6)上写真と同じ地点より山麓方を望む。
思ったより高低差がありました。さすがに水路だけでこの高低差をクリアするのは無理ですね…。

  
  

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(7)山頂側の船着場にて。船着場の向こう側は琵琶湖疏水です。
山頂側の終端部は上り勾配から下り勾配になっていて、船がスムーズに移動できるようになっています。
こちら側にも台車があり、上には船が置かれています。

  
  

(おしまい)  

  

  

廃線跡探訪の注意点  

私が蹴上インクラインの廃線跡を訪問したのは2009年でした。
京阪京津線の廃止区間の廃線跡を探訪時に蹴上インクラインの廃線跡も訪ねました。
京都市営地下鉄東西線の蹴上駅からも近く、また路線バスも多数運行されているので、比較的簡単に現地入りできます。

  

今回の廃線跡は距離が640mで、全線にわたり線路敷を歩けますが、地面は舗装されておらず、また全区間にわたり傾斜しているので、スニーカーなどを履いての探訪が望ましいでしょう。探訪時間は30分あれば大丈夫でしょう。飲料・食料についてですが、蹴上地区には意外とコンビニがありません。自動販売機はあるので飲料の調達は可能ですが…。食事は地下鉄で京都市中心部や山科へ移動された方が確実です。

  

皆様もハイキングがてら、またこの秋の深まる時期は紅葉狩りついでに蹴上インクラインの廃線跡を探訪してみませんか?

  
  

(参考:Wikipedia)