第792回('11) 福知山線の廃線跡(武田尾)を探訪 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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2011年5月14日、午前中はまだ行った事がない福知山線の旧線跡(兵庫県西宮市~宝塚市)の生瀬~武田尾を探訪しました。
前年にお世話になっているamemaさんの廃線跡記事を拝見して、私も行きたくなり実行に移しましたw
そして、午後は大阪近郊の乗り鉄をしました。

今回は前半の模様です。
まずはJRや阪急を乗り継いでJR宝塚線の生瀬駅へ向かい、下車後は徒歩で福知山線廃線跡を探訪しました。
なかなか危険で、トンネル通行時は懐中電灯を使いました。
今回の日程 2011年5月7日(土) 【前半】

加古川720(JR神戸線・3208M新快速)750三ノ宮/三宮800(阪急神戸本線・特急)815西宮北口818(今津線)832宝塚839(JR宝塚線・1117B)841生瀬845(徒歩・国鉄福知山線の旧線跡)1107武田尾1116(JR宝塚線・1144B)1124宝塚

【後半へ続く】
この日は5時に起床し、朝食後に自宅を出発して加古川駅へ。今回は『 ICOCA 』で入場し、JR神戸線の上り新快速(223系8連+4連)に乗車しました。乗車率が高く空席がなかったので私は後方ドア脇に立席となり、スポーツ新聞を読みながら三ノ宮駅まで乗車しました。

三ノ宮駅では西口から改札外へ出て、隣接している阪急の三宮駅(現在の神戸三宮駅)へ。こちらも『 ICOCA 』で入場し、神戸本線の特急・梅田行きに乗車しました。車両は8000系8002F8連で、三宮方の2両はセミクロスシートになっていました。私は空いている転換クロスシート窓側席に座り、車窓風景を眺めて西宮北口駅で下車しました。三宮発車時点では空席もありましたが、岡本、夙川と停車していくうちに席が埋まり立客が増えました。



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西宮北口駅では3分の接続で今津(北)線の宝塚行き電車に乗り継ぎました。当時公開されていた映画「阪急電車」のヘッドマークを付けた3100系3105F6連で、車内は混雑していたので私は左側のドア脇へ。道中は車窓風景を眺めていました。関西学院大学に近い甲東園や阪神競馬場に近い仁川では多くの人が下車して車内は空いてきましたが、それでも殆どの席が埋まっているので私は引き続きドア脇で車窓風景を眺め続けました。



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そして武庫川を渡り宝塚大劇場を見て走ると、14分の乗車で終点の宝塚に到着しました。



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宝塚駅では車両の写真を撮影し、トイレに寄ってから改札を出ました。そしてリニューアルされていたJR駅へと移動し、『 ICOCA 』で入場してJR宝塚線下りホームへ階段を下りると、「ドアを閉めます」と女性車掌の放送が聞こえてきました。私は慌ててホームへ下りました。発車する普通・新三田行きは207系4連+3連で、私が飛び乗ろうとしたのは、この2011年4月18日より終日女性専用車両に指定された5号車で、私はさらに6号車まで走ろうとしましたが、女性車掌は手で「入って!」と合図したので私はやむを得ず女性専用車両に飛び乗り、直後にドアが閉まりました。車内には女性が数人いましたが、私は駆け込み乗車を演出するために女性専用車両内を走り、6号車へと移動しました。

6号車へ移動後は、着席して息を整えました。しかし、落ち着く間もなく電車は下車駅である生瀬に到着し、私は下車しました。



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生瀬駅で下車後は改札を出て、まずは国道176号線を歩いて旧線の遺構を探しますが、道路からも旧線の橋梁やトンネルが見えました。しかし、この付近は国道の拡幅工事が進行していて、現在はこれらの遺構にも変化があるかもしれません。その後は武庫川沿いに右へカーブしますが、この付近は道路拡幅工事の影響で遺構は姿を消していました。



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中国道をくぐって国道の武庫川寄りへ渡って、国道から外れて坂道を下ると、バラストではなく砂利が敷かれた旧線跡が姿を現します。この道をしばらく歩くと、橋梁の手前にJR西日本が設置した立て看板がありました。「ハイキングコースではない、万一の事故にもその責を負いかねます」などと書かれていますが、事実上廃線跡に入る事を黙認している形です。私は注意書きを読んでからその先へと進みました。



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旧線跡は武庫川に迫る崖っぷちの部分を走り、現役当時は自然災害が多かったであろうと想像できます。しかし、その分車窓風景は素晴らしかったようで、私も一度は乗りたかったですね…。廃線跡には枕木や通信機器など多彩な遺構が残っていまして、橋梁やトンネルもあるので本格的です。



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しばらく歩くと、トンネルに差し掛かり、私は用意していた懐中電灯を照らしてトンネルを歩きました。もし懐中電灯がなかったら通り抜けるのはかなり厳しかったでしょうね…。



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トンネルを抜けた後も武庫川沿いに歩きます。武庫川の風景が素晴らしかったです。また、通行人もちらほら見られました。そして、結構長そうなトンネルが現れ、私は懐中電灯を灯してトンネルに入ろうとしましたが、トンネルの手前で入ろうか止めようか迷っている感じの夫婦がいました。懐中電灯を持っていなかったようで、私は夫婦に予備で用意していた小型ペンライト(ダイソーで105円)を夫婦に貸して、トンネルを通るように促しました。確かに懐中電灯がないと通り抜けるのが困難なトンネルで、私自身も懐中電灯を用意して良かったと思いました。そしてトンネルを出て少しすると夫婦も出てきて、感謝の言葉を述べて頂いてペンライトを私に返却しました。私は先を急ぎましたが、夫婦はこの先どうなったのか分かりません…。

さらに歩くと、武庫川を渡る鉄橋に差し掛かりました。



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鉄路のあった部分は通れませんでしたが、脇にある保線作業員用の通路は通れました。この通路は人1人が通れる程度の幅で、対向者が来るとすれ違いも大変なレベルでした。私が渡った時は運良く誰も来ませんでしたが…。その後しばらくすると、今度は反対側向きの立看板があり、この先はやや整備されたハイキングコースといった感じの廃線跡になりました。こちらにも道床には枕木が敷かれていました。



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引き続き廃線跡を武庫川に沿って歩きますが、ハイキング客が多かったです。そして温泉街へと入り、橋梁を渡ると旧・武田尾駅に着きました。駅跡には遺構がなかったと記憶しています。



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今回はここで廃線跡探訪を終了し、現在線の武田尾駅へ向かいました。普段は無人駅ですが、この日は廃線跡などのハイキング客が多いからか、JR西日本の社員が改札前に折り畳み式の机を用意して臨時窓口を設置してきっぷの販売をしていました。結局JR西日本は旧線跡への訪問客を認めているとも取れますね(立看板の手前までは正式に公認しているようですが)。



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私は『 ICOCA 』で入場し、大半がトンネル内にあるホームへと上がりました。



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そして高槻行きの普通電車(207系4連+3連)に乗車し、車内はガラガラだったので着席して車窓風景を眺め、宝塚駅で下車しました。時刻は11時24分でした。



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この後も乗り鉄を続けました。

(つづく)


今回新たに徒歩で訪問した廃線跡

路線名区間備考
日本国有鉄道:福知山線生瀬→武田尾(約6km)1986年現在線に切替
(参考:Wikipedia)