第763回('10) 四国へ。ことでん琴平線などを乗り鉄 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

イメージ 1

前回の続き…

2010年12月23日の天皇誕生日、主に冬の『青春18きっぷ』を利用して山陽地方および四国を乗り鉄しました。

今回は後半の行程です。岡山から瀬戸大橋を渡って四国へと入り、高松琴平電気鉄道【ことでん】琴平線を乗り鉄しました。
そして瀬戸大橋線で本州へと戻り、新幹線ではなく在来線の山陽本線で帰宅しました。
今回の日程 2010年12月23日(木・祝) 【後半】  

岡山1113(宇野線→本四備讃線【瀬戸大橋線】・3125M快速マリンライナー25号)1152坂出1200(予讃線→土讃線・1253M快速サンポート)1230琴平(徒歩)琴電琴平1243(高松琴平電気鉄道琴平線)1343高松築港(徒歩)高松1410(予讃線→本四備讃線→宇野線・3138M快速マリンライナー38号)1502岡山1514(山陽本線・1320M)1620相生1621(3284M新快速)1651加古川

【帰宅】
岡山駅からは、瀬戸大橋線の快速『マリンライナー25号』高松行きに乗車しました。5000系3連+223系5000番台2連で、私は後方の223系の転換クロスシート窓側席に座りました。
全座席が埋まるほどの乗車率でマリンライナーは定刻に岡山を発車し、宇野線をダラダラと走ります。宇野線の岡山~茶屋町は全区間複線化してほしいですね。茶屋町を過ぎると本四備讃線へと入り、複線で高規格の線路になったこともありスピードが上がります。そして相当数の乗客が下車した児島を過ぎると列車は瀬戸大橋を渡り四国へと入りますが、道中はずっと車窓風景を眺めていました。



イメージ 2

瀬戸大橋を渡り終えて四国へ入るとデルタ線を左側へ走り、予讃線と合流すると坂出に着きました。私は終点の高松まで行かずに坂出で下車しました。



イメージ 3

坂出駅では一旦改札を出て駅のコンビニで昼食の調達を…と思いましたが、構内には何も見当たりません。駅の外にはコンビニがあったかもしれませんが、何せ乗換時間が8分のみだったので駅の外へ出るのは諦め、再び改札内へと戻り下りホームにある売店に賭けてみることにしました。幸い、ホームの売店はキヨスクスタイルでしたが少し大きめで品揃えが豊富だったので、私はパンを調達できました。そしてパンを購入直後に予讃線の琴平行き快速『サンポート』が到着し、私は乗車しました。車両は121系2連で、私は空いているクロスシートを独占して早速パンを食べました。それにしても、この121系はいつまで使い続けるのでしょうね…。国鉄末期に製造されたステンレス車なので車体はさほど古くないのですが、機器類に廃車発生品を使用しているはずなので、相当老朽化が進んでいると思います。近いうちに置き換えなければならないでしょうが、代替車は新車なのか、それともJR他社からの譲渡車なのか…。まさかJR四国の路線で東急や京王の中古車が走ることはないでしょうが…。



イメージ 4多度津駅にて。

快速『サンポート』は定刻に坂出を発車しました。私はパンを食べながら車窓風景を眺めていました。宇多津、丸亀の順に停車していきますが、丸亀といえば我が兵庫県加古川市を発祥とする讃岐うどんチェーン「丸亀製麺」を思い出します。まぁ、丸亀の人にとっては違和感があるかもしれませんが…。その後は多度津から土讃線へと入り、善通寺を経て琴平へ近づくと、かつて金刀比羅宮への参詣客輸送で鉄道省(現・JR)としのぎを削っていた琴平参宮電鉄や琴平急行電鉄の廃線跡を車窓から確認しました。琴平参宮電鉄の廃線跡はトンネルが確認できましたが、うまく撮影できませんでした。また、琴平急行電鉄の廃線跡はコトデンをオーバークロスする橋梁に遺構があるのですが、さすがにJRの車窓からは撮影できませんでした…。そして快速サンポートは定刻に終点の琴平に到着しました。30分の乗車時間でした。



イメージ 5
イメージ 6

琴平駅では駅の外へ出て、レトロ感のある駅舎を撮影してから駅の正面へ延びる道路を西へ歩きました。2~3分歩くと高松琴平電気鉄道【ことでん・コトデン・琴電】の琴電琴平駅に着きました。琴電の駅舎も風情たっぷりでしたが、現駅舎が建てられたのは比較的最近のようで…。私は駅舎を撮影した後に駅舎内へと入り、自動券売機で高松築港までの610円の乗車券を購入してから入場しました。そして、停車していた高松築港行き電車に乗車しました。元京急700形の1200形2連で、私は前方車両のドア脇に乗車しました。乗客は少なかったです。



イメージ 7
イメージ 1

電車は12時43分に琴電琴平を発車し、すぐに土讃線をアンダークロスしました。この時、旧琴平急行電鉄線のガード跡が残っていたのを確認できましたが撮影できませんでした…orz その後は讃岐富士を遠望しながら山あいの農村風景の中を走ります。岡田駅には「NEWレオマワールド前」の看板がありましたが、NEWレオマワールドへの客らしき姿は見られませんでした。



イメージ 8

その後も農村部を走りますが、駅ごとに乗客が増えてきました。そして車両基地のある仏生山駅からはさらに乗客が増え、座席は全て埋まりました。やがて市街地へと入り、高徳線をアンダークロスすると長尾線が合流して高松天満屋(現在は閉店)の1階部分にある瓦町駅に着きました。ここでは多くの乗客が下車しましたが、乗車客もそこそこいました。瓦町発車後は【築港線】区間を走り、右手に高松城跡が見えてくると渡り線を通り右側線路を走行し、右へカーブすると13時43分に終点の高松築港に着きました。ちょうど1時間の旅でした。



イメージ 9
イメージ 10

高松築港駅を出て、3分ほど西へ歩くとJRの高松駅に着きました。『青春18きっぷ』で入場し、14時10分発の瀬戸大橋線快速『マリンライナー38号』に乗車しました。5000系3連+223系5000番台2連で、私は先頭の223系に乗りました。私は何とか窓側席をゲットできましたが、発車時には全ての窓側席が埋まっていました。



イメージ 11
イメージ 12

マリンライナーは定刻に高松を発車し、途中はローカルな風景の中も走って坂出に着きました。ここでは下車客より乗車客の方が多かったです。坂出を発車後は予讃線と分かれて本四備讃線へと入り、瀬戸大橋を渡って本州に戻りました。児島でも乗車客が多く車内は混雑してきました。また、茶屋町でも乗客が増えました。宇野線へ入ると、単線区間が残っているために往路と同様にスピードが上がりませんでした。そして市街地へ入ると高松から52分の乗車で終点の岡山に到着しました。単線区間が残っているものの高松~岡山が1時間以内で移動でき、宇高連絡船時代のことを思えばやはり速いです。宇野~高松には瀬戸大橋開通後も一定の需要があり、フェリーの便が多数運航していましたが、鉄道旅客の瀬戸大橋線への移行や瀬戸中央自動車道の通行料割引などによりフェリーは減便を余儀なくされていますね…。



イメージ 13

岡山駅では山陽本線上り・相生行き1320Mに乗り換えました。湘南色115系3連で、私は何とかクロスシート窓側席を確保できました。車内は混雑していました。



イメージ 14

1320Mは15時14分に岡山を発車しました。私は車窓風景を眺めていましたが、眠気に襲われて私は東岡山付近で寝てしまいました。目が覚めたのは上郡の手前で、以後は再び車窓風景を眺めて、16時20分に終点の相生に到着しました。

相生駅では1分の接続で、隣の2番のりばに停車している新快速・草津行き(223系8連)に乗り継ぎました。座れないのは目に見えていたので、私は先頭車両の最前部に乗車し、下車駅の加古川までかぶりつきの前面展望を楽しみました。そして加古川には16時51分に着きました。



イメージ 15

加古川駅で下車後は、とっとと帰宅しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません



(参考:Wikipedia)