第626回('09) 阪神西大阪線に最後の乗車 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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前回の続き…

2009年3月15日、この日は『スルッとKANSAI 3dayチケット』などを使用して、奈良県の吉野まで乗り鉄旅行に出かけました。
そして奈良などに寄り道して帰宅しました。

今回は後半の内容です。奈良県内の近鉄線を乗り鉄した後は大阪へと戻り、
5日後の3月20日に西九条~大阪難波が延伸されて『阪神なんば線』に生まれ変わる阪神西大阪線を乗り鉄して帰宅しました。
今回の日程 2009年3月15日(日) 【後半】 

大和八木1250(近鉄橿原線)1319大和西大寺1327(奈良線・急行)1332近鉄奈良1346(奈良線→大阪線→難波線・急行)1423近鉄難波/なんば1433(大阪市営地下鉄御堂筋線)1441梅田/大阪1447(大阪環状線内回り・1529レ)1453西九条1510(阪神西大阪線)1520尼崎1537(阪神本線→神戸高速鉄道東西線→山陽電気鉄道本線・直通特急【赤】)1637東二見1639(普通車)1645別府

【帰宅】
大和八木駅で昼食を済ませた後は、再び橿原線の電車に乗ります。乗車したのは大和西大寺ゆき普通で、車両は今回も8600系4連でしたが、乗客は少なかったので着席して車窓風景を眺めることにしました。橿原線は一見普通の路線ですが、案外車窓風景の見所が多い印象でした。大和郡山付近では金魚の養魚場が多数みられました。また、大和西大寺に近づくにつれて乗客が増えてきましたが、私は着席したまま車窓風景を眺められるレベルでした。そして29分の乗車で電車は終点の大和西大寺に到着しました。



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大和西大寺駅では奈良線の奈良ゆき急行電車に乗り継ぎました。8600系の4連に「シリーズ21」の9020系2連×2を併結した8両編成でした。私は最前部の8600系に乗車しましたが、席がほどほどに埋まっていたので私はドア脇で車窓風景を眺めることに。電車は大和西大寺を発車し、広々とした平城宮跡などを眺めながらの移動となりました。新大宮を過ぎると地下トンネルへと入り、大和西大寺から5分で終点の近鉄奈良に到着しました。



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近鉄奈良駅では一旦地上へ出て駅ビルを撮影してから再び地下の改札内へ。東大寺などの観光はしませんでしたw また、駅前には2010年の平城遷都1300年祭まであと○○○日とデジタル表示された表示板がありました。数字の横には当時論争が起きていた「せんとくん」が描かれていました。



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そして近鉄奈良駅からは近鉄難波ゆき急行に乗車しました。車両は先程の折り返しでしたが、今回は先頭の9020系に乗車しました。乗客は少なかったですが、大和西大寺や学園前、生駒での大量乗車を警戒して予めドア脇に陣取りました。また、LEDの行先表示器は5日後からの駅名である「大阪難波」になっていました。

急行は13時46分に近鉄奈良を発車し、地上へ出ると再び平城宮跡を見て大和西大寺駅に戻りました。私はその後も乗り続け、車窓風景を眺めました。予想通りに学園前や生駒での大量乗車で満席になりました。そして新生駒トンネルを抜けると大阪府へと入り、石切付近では眼下に大阪市街を遠望できました。その後も車窓風景を眺め続け、最後は地下区間を走り14時23分に終点の近鉄難波駅に到着しました。37分の乗車時間でした。



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近鉄難波駅では駅名標を見ましたが、既に「大阪難波」に変わっていました。但し、近鉄日本橋と反対側の隣駅表示は黒いビニールテープで隠されていました。5日後(2009年3月20日)の阪神なんば線延伸開業に合わせてテープは剥がされて、「桜川」の表示を見ることができるようになりました。



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近鉄難波駅で下車後は大阪市営地下鉄御堂筋線(21系10連)に乗り換えて、梅田まで移動しました。車内は混雑していました。
そして梅田駅にて下車後はJRの大阪駅へ移動し、大阪環状線の内回り電車(201系8連)に乗って西九条駅まで移動しました。別に難波から千日前線に乗って玉川→野田乗換で西九条へ行っても良かったのですが、なぜか今回のようなルートで移動していました。まぁ、阪神なんば線の延伸開業前に難波~西九条を鉄道で移動しようとすると不便だった、ということですwww



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西九条駅では既に完成していた阪神なんば線の高架部をJRのホームから見て、改札を出ました。そして阪神西大阪線の西九条駅へと向かい、チケットを自動改札機に通して入場しました。そして高架ホームへ上がり駅名標を見ると、こちらも新型のものに取り替えられていて、やはり「くじょう」(九条)の部分が青色のビニールテープで覆い隠されていました。また、ホームは10両対応に延伸されていましたが、延伸部は立入禁止になっていました。



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ホームで少し待っていると尼崎方から電車が入線し、これが折り返しの普通・尼崎行きになります。普段は4両編成ばかりの印象だった西大阪線ですが、今回は阪神なんば線用に投入された1000系6連でした。昼間は4連でもガラガラだったのに6連ですとさらに車内は空いていました。私はロングシートに腰掛けて車窓風景を眺めることにしました。



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電車は西九条を15時10分に発車しました。既に踏破している路線なので、見た覚えのある車窓風景を今回も眺めました。終盤は兵庫県へと入り、大物からは阪神本線と線路別複々線の形で並走します。車両基地には1000系が少なくとも3編成留置されていて、5日後に本格デビューするのを待ちわびているようでした。その後は阪神本線の下り線が西大阪線の線路をオーバーパスして方向別複々線になりましたが、以前は尼崎までの全区間が線路別複々線でした。少し前に配線変更されました。そして西九条から10分で終点の尼崎に到着しました。
こちらは新旧表示が入り混じっていました。



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尼崎駅では駅の外へ出て、駅舎を撮影してから高架ホームへと戻りました。



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そして山陽姫路行きの直通特急【赤】(赤色表示は神戸高速線内の西元町・大開を通過)に乗車しました。山陽電鉄の5000系6連で、偶然にも窓割と合ったクロスシートの窓側席が空いていたので私はそこに座りました。



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道中は眠ることなく車窓風景を眺め続け、1時間後に到着した東二見駅で下車しました。

最後は3000系3連の普通車に乗車して、ここでも着席しての移動となり、16時45分に到着した別府駅で下車しました。



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翌日は仕事なので、下車後はそのまま帰宅しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません



(参考:Wikipedia)