第557回('08) 名鉄尾西線と名鉄築港線を乗り鉄 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

前回の続き…

2008年5月31日~6月1日、1泊2日の日程で名古屋方面へ。今回も西日本地区の乗り鉄です。
主に『名鉄電車全線2DAYフリーきっぷ』を使用して、パノラマカー7000系が大幅に減少しつつある名鉄電車を中心に乗り鉄しました。

今回は初日後半の模様です。新幹線で名古屋入りして朝から名鉄を乗り鉄していましたが、
午後は尾西線や築港線を乗り鉄しました。また、廃線跡も探訪しました。

また、この日は岐阜で宿泊しましたが、名古屋は中日ドラゴンズの試合があったかどうかは忘れましたが空いているホテルがなかったので…。
今回の日程 2008年5月31日(土) 【後半】 

名鉄名古屋1310(名鉄名古屋本線・準急→津島線・普通→尾西線・普通)1348弥富1352(尾西線)1403津島1415(尾西線)1445名鉄一宮1509(尾西線)1517玉ノ井1525(徒歩・名鉄尾西線廃止区間など)1630木曽川堤1646(名古屋本線)1657名鉄岐阜1707(名古屋本線・特急)1741神宮前1745(常滑線)1751大江1810(築港線)1812東名古屋港1817(築港線)1819大江1829(常滑線→名古屋本線・急行)1836金山1847(名古屋本線・快速特急)1918名鉄岐阜

【宿泊】
名鉄名古屋駅では10数分間、ホームのベンチに座って目まぐるしく発着する列車を見ていました。そして、13時10分発の準急・弥富行き(須ヶ口から普通)に乗車しました。6000系(初期車)4連で、大半の座席が埋まっていたので今回もドア脇で立席に。小さい扉窓から車窓風景を眺めることにしました。
電車は名鉄名古屋を発車し、栄生と二ツ杁に停車して須ヶ口に着きました。ここからは種別を「普通」に変更して津島線へと入り、各駅に停車していきました。しかし、津島線沿線の方々には申し訳ないのですが、津島線の車窓風景は見所が少なく、私の中では「日本一平凡な路線」に認定しています(2014年4月現在)ww まぁ、駅によっては上りと下りでホームの有効長が違ったり、かつては甚目寺駅に気動車の給油施設があったり、見所が全くないわけではないのですが…。
そして電車は津島に到着し、大半の客が下車しました。私は空いている席に座りながら車窓風景を眺めることにしました。電車は津島駅から尾西線を進み、日比野、佐屋と進みます。そして、「五ノ三」駅に停車しましたが、小学校の組のように聞こえて仕方ありませんwww Wikipediaによると「郷の桟」(意味:村の縁)に由来するとするのが通説のようですが…。
その後は2年前の2006年に廃止されて、ホームが残っている弥富口駅跡を通過して、38分の乗車で終点の弥富に到着しました。少なくとも私の乗車した車両で名鉄名古屋~弥富を乗り通したのは私だけでしたw まぁ、普通はJRか近鉄を利用しますからね…。



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弥富駅はJR東海の管理駅で、豊橋駅同様に名鉄電車は肩身が狭そうな感じでした。折り返し時間の関係で改札外へは出ずに、そのまま折り返し列車(普通東岡崎行き。須ヶ口から準急)に乗車して津島駅まで戻りました。車内はガラガラ状態でした。
津島駅は津島市の代表駅ながら高架線に島式ホーム1面2線と、窮屈な構造なのが気になりました…。私は一旦改札を出て駅舎を撮影しましたが、古びた2階建ての駅ビルには空き店舗が多く、かなり寂れた雰囲気でした…。



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津島駅からは尾西線の名鉄一宮行き普通列車に乗車しました。6800系2連で、私は進行方向向きの固定クロスシート窓側席に座りました。車内はガラガラでした。尾西線の沿線は長閑な田園地帯で、しばし車窓風景に見入ってしまいました。また、(佐屋~)津島~森上が複線区間なのにも驚きました。その後は森上から単線区間へと入り、東海道新幹線をアンダーパスした後の萩原では乗客が増えましたが、津島側の複線区間より一宮側の単線区間の方が乗客が多い印象でした。気のせいでしょうか? そして電車は津島から30分で名鉄一宮駅に到着しました。



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名鉄一宮駅からも引き続き尾西線の旅を続けることにして、玉ノ井行きの電車に乗り継ぎましたが、同じ番線ホームの弥富方と玉ノ井方に尾西線列車を縦列に停車させているので乗継は楽でした。玉ノ井行きも6800系2連で、こちらも空いていたので進行方向の固定クロスシート窓側席に座りました。また、名古屋方面からの列車が着くと、結構な数の乗客がこちらに乗り継いできましたが、それでも空席は残っていました。

電車は名鉄一宮を発車し、名古屋本線と分かれて高架区間を進みます。ほとんど乗降のなかった西一宮を過ぎると地平区間となり、側道のように並行している道路を見ながら走ります。開明を経て住宅街へ入ると奥町に停車し、半数以上の乗客が下車しました。そして電車はラストスパートして、8分の乗車で終点の玉ノ井に到着しました。



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名鉄一宮~玉ノ井の通称「玉ノ井線」は盲腸線なので、そのまま折り返し列車に乗って名鉄一宮駅に戻るのが定石なのですが、実は戦前に尾西線は玉ノ井駅より先、木曽川橋駅を経て木曽川港駅まで延びていて、私はその廃線跡を辿ることにしました。
玉ノ井駅を出てしばらく進むと、廃線跡は2車線の道路に出ました。この道が木曽川橋駅跡の方向へ延びています。私は左手の自然堤防上に続く集落を見ながらこの道路の歩道を歩き続けました。途中にあった里小牧駅は痕跡が見当たりませんでした。さらに歩くと、遺構のひとつである旧国道22号のアンダーパスを潜りました。



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その先、2車線道路は北方中島の交差点を右へカーブしながら分かれ、廃線跡は交差点を直進して幅員の狭い道路として続いていました。少し歩くと木曽川橋駅跡に着きました。他のサイトでホーム跡が民家の土台として残っていることを知っていましたが、私の力では見つけられませんでした…orz そしてさらに進むと、北方西保育園で木曽川橋駅跡の案内看板を発見しました。



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その後は貨物線として営業していた廃線跡を歩き続けます。上り勾配になり、堤防上に出ました。当時は堤防上でスイッチバックして木曽川の河川敷へ下りていたそうですが、痕跡は見られなかったです。尚、木曽川港駅は河川敷の下流側にあったそうで、Wikipediaによると僅かに痕跡があるようですが、玉ノ井から歩いて疲れ果てた私には河川敷まで下りる(=また堤防を上る)体力は残っていませんでしたww 
明治時代に建立された「皇太子殿下御野立所」の石碑があるスイッチバック地点を撮影し終えた後は、すぐ近くにある木曽川堤駅に5分程度で着きました。堤防道路は車が結構飛ばしていたので怖かったですが…。木曽川堤駅は前年11月以来の訪問となりましたが、これならば前年にわざわざ木曽川堤駅に来なくても良かったなぁ~と思ってしまいました。後の祭りですが…。

木曽川堤駅からは名古屋本線の普通・名鉄岐阜行きに乗りました。特急用の増結車・1800系2連が間合運用で使用されていて、得した気分になりました。ガラガラだったので私は転換クロスシートの窓割と一致した窓側席に座り、木曽川や東笠松駅跡、笠松競馬場などを見ながら終点の名鉄岐阜駅まで移動しました。



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この日は岐阜で宿泊する予定でしたが、まだ17時です。5月31日ともなると日照時間が長いので、あと2時間は明るい中での乗り鉄が可能です。そこで、久しぶりに築港線を乗りに行こうと思い、一部特別車特急・豊橋行きに飛び乗って名古屋を越えて神宮前まで移動しました。『パノラマSuper』の1000系-1200系6連で、私は一般車4号車の、空いている窓側席(窓割と一致)に座りました。岐阜発車時点ではガラガラでしたが、国府宮でほぼ満席になりました。そして、名鉄名古屋と金山でどっと客が増えたのが印象的でした。



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神宮前では常滑線の普通に乗り換えました。3500系4連の車内はガラガラで、私は座って大江駅まで移動しました。

大江駅では8年振りとなる築港線に乗りました。まずは中間改札(事実上の東名古屋港駅出場改札)を通ってホームへ。乗車した車両は3100系2連で、方向幕は使わずに乗務員室のの助士側に系統板を吊り下げていました。乗客は私だけでした…。一方、乗務員は運転士と車掌の2人いました。
列車は大江を発車し、臨海部を西へ進みます。以前乗車した時は築港線に並行して中部HSST開発のリニアモーターカー実験線の線路・高架橋がありましたが、既に撤去されていました。また、名古屋臨海鉄道の路線と平面交差している名電築港駅では解体前のパノラマカー7000系が留置されていました…。そして列車は2分後に東名古屋港駅に到着しました。



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私はサッサと写真撮影を済ませて、5分後に発車する折り返し列車に乗車しました。乗客は数人いました。今度も名電築港駅のパノラマカーを見て大江駅まで戻りました。




復路では動画撮影しました。7000系が廃車解体を待っています…。
尚、咳払い、会話、口笛のようなものが聞こえてきますが、私ではないですwww

これでこの日のミッションは完了し、あとは岐阜のホテルを目指すだけでしたが、金山で夕食を食べようと思いました。まずは常滑線の急行犬山経由名鉄岐阜行きに乗車しましたが、何と7000系6連(7003F)でした! 私は最後部の乗車位置にいたので、仕方なく展望室で全面窓に背を向けて着席し、金山駅まで移動しました。そこそこの乗車率でしたが、最後部の展望室だけはガラガラでしたw



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金山駅では一旦改札の外に出て、飲食店を探しましたが見つかりません…。あまり無駄に探しても体力を消耗するだけなので断念し、宿泊地の岐阜で夕食を食べることにしました。また、駅の北口側に新しいビルができていたので驚きました。

金山からは一部特別車快速特急名鉄岐阜行きに乗りました。『パノラマSuper』の1000系-1200系6連は混雑していて、私は座れませんでしたが、次の名鉄名古屋で約半数の乗客が入れ替わったので私は窓側席に座れました。名鉄名古屋から先は暗くなって見えなくなりつつある車窓風景を眺めながらの移動となり、金山から31分で終点の名鉄岐阜に到着しました。

私は改札を出て、飲食店を探しましたがここでも見つからず…。しばらく歩いていると、いつしかJRの岐阜駅に着きました。仕方ないので、岐阜駅の1階にある「モスバーガー」で夕食を済ませ、近くのビジネスホテルにチェックインしました。

ホテルでは入浴した後、すぐに就寝してしまいました。

(つづく)


今回の新規踏破路線はありません



今回新たに徒歩で訪問した廃線跡

路線名区間備考
名古屋鉄道:尾西線玉ノ井→木曽川港(3.8km)1959年廃止
(参考:Wikipedia)