第555回('08) 長崎市から高速バスと新幹線を乗り継いで帰宅。 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

今回までテレビ番組で流行っている路線バスがメインの旅行記が続きますが、ぜひ読んで頂きたいです。コメントも下さると嬉しいです。


前回の続き…
2008年4月26日~30日、この年のゴールデンウィークも九州へ。
主に乗り鉄を楽しみましたが、後半3日間は九州内の路線バスが連続3日間乗り放題の『SUNQパス【全九州】』を使用して九州一円を回りました。

今回は最終5日目(3日間有効の『SUNQパス【全九州】』3日目)終盤の模様です。
長崎市内で各種探訪を終えた後は、高速バスに乗って長崎から福岡・博多まで移動し、山陽新幹線に乗って兵庫県加古川市の自宅に帰宅しました。
今回の日程 2008年4月30日(水) 【その3】 

長崎駅前【降車専用】/長崎駅前県営バスターミナル1715(九州急行バス・『九州号(スーパーノンストップ)』)1929博多駅前【西日本シティ銀行前】/博多2004(山陽新幹線・ひかりレールスター484号)2218姫路2222(山陽本線・850M)2238加古川

【帰宅】
長崎市内で廃線跡探訪などを実行した後は、県営バスターミナルから出る福岡・博多行きの高速バスに乗るべく長崎駅前へ。まずは長崎駅へ行って自宅に「びわゼリー」のお土産を買いました。そして路面電車の走る浦上街道を渡って、長崎駅前県営バスターミナルへと向かいました。



イメージ 1

そして、予め確保していたバスの「定数券」(鉄道では乗車整理券に相当)を提示して、指定された便『九州号(スーパーノンストップ)』に乗車しました。この高速バスは九州急行バスの担当です。既に先客がいたので最前部の席は無理でしたが、大村湾の風景を眺めるために左側の窓側席に座りました。乗客は私の後にも少しずつ乗ってきて、最終的に20人ほどにまでなりました。

バスは定刻の17時15分に県営バスターミナルを発車し、まずは長崎電気軌道本線の走る大波止通りを南へ進みます。最後の乗車停留所となる大波止では乗車がなく、しばらく道なりに進むと、先刻私が電車を乗り間違えて下車した石橋支線の市民病院前電停のある交差点に差し掛かりました。バスはここを直進して有料道路の「ながさき出島道路」のオランダ坂トンネルへと入りました。トンネルを出ると山間部だったので驚きました。バスは長崎ICから長崎自動車道へと入り、快調に走り続けました。
長崎バイパスの合流する長崎多良見ICからは交通量が増えました。諫早IC付近にゼリー会社の「たらみ」の工場または物流センターがあったと記憶しています。その後は長崎本線と交差し、山越えをすると大村湾沿いを走るようになります。しかし、晴れてはいたものの空は霞んでいて遠方まで眺められず、また太陽の位置もやや高く、日が沈むシーンを見ることはできませんでした…。



イメージ 2

大村湾と別れを告げるとバスは山間部へと入り、トンネルが連続しました。長崎県から佐賀県へと変わり、山間部をひたすら走ります。また、佐賀市付近でも長崎自動車道は相当山の方を走っていました。そしてバスは鳥栖ジャンクションで左へ針路を変えて九州自動車道を北へ進みました。九州自動車道はさすがに九州の大動脈とあって片側3車線と広く、交通量も多かったです。また、九州間の高速バスの乗継に便利な高速基山は通過しました。
バスは福岡県へと進み、太宰府ICで九州道を下りて福岡都市高速2号太宰府線へと入りました。噂ではよく混雑する路線と聞いていましたが、交通量は多かったものの普通に流れていたので安心しました。その後は一旦博多駅の北側を通り過ぎて博多港へ出て、海沿いを走って天神北で高速を下りました。そして一般道路を南へ走って西鉄天神バスセンターへと入りましたが、この付近はバスだらけで驚きました。中には、とある西鉄バスの路線バスが、他の西鉄バスを煽っている、同じバス会社同士の異様な光景には唖然としました…。

西鉄天神バスセンターでは約半数の乗客が下車し、バスは再び市街地を走ります。記憶では一旦渡辺通りを南下して、住吉通りへと入ってキャナルシティ博多の南側を走ってから終点の博多駅前に19時29分に到着しました。所要時間は2時間14分で、振子機能をフルに活かして走る長崎本線の『白いかもめ』でも博多~長崎が1時間54分ですから、バスもかなり健闘していると言えます。



イメージ 3

私はバスを下車して、バス停のある西日本シティ銀行前から横断歩道を渡って博多駅へ向かいました。博多駅は九州新幹線(鹿児島ルート)の博多延伸開業に向けて駅ビルの建て替え工事中で、周囲は雑然としていました。



イメージ 4

私はそのまま博多駅へと入り、JR九州の在来線乗り場を通り越してJR西日本の新幹線乗り場へ。自動券売機で加古川までの乗車券と姫路までの新幹線自由席特急券を買って、すぐに改札内へと入りました。そして売店で「かしわめし弁当」(JR西日本の博多駅弁)を買ってからホームへと上がり、少し待って入線してきた山陽新幹線・新大阪行きの『ひかりレールスター484号』(700系8連)の1号車自由席に乗車しました。乗客は思ったよりも少なかったですが、途中駅から乗ってくるのか、より速い『のぞみ』に流れているのか不明でした。

『ひかりレールスター484号』は20時04分に博多を発車しましたが、「いい日旅立ち」の車内チャイムを聞いた後はすぐに眠ってしまいました…。
その後、姫路到着直前の車内チャイムを聞いて慌てて起きましたw 乗車率は上がっていましたが、私の隣席は空席でした。そして22時18分に到着した姫路駅では無事に下車できました。



イメージ 5姫路駅にて2009年撮影。

姫路駅では22時22分発のJR神戸線の普通(223系8連+4連)に乗り継ぎました。車内はガラガラで、私は空席に座りましたが、新幹線の車内でじゅうぶん寝たので、今回は居眠りせずに済みました。
そして22時38分着の加古川駅で下車して、もう夜遅かったので自宅へ直行しました。
自宅へ帰ると、テレビでは「爆笑レッドカーペット」を放送していました。世界のナベアツが「1、2、さ~ん…」のギャグをやっていたのが印象的でした。

(九州旅行編おしまい)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません


(参考:Wikipedia)



今回は本編が短くなってしまったので、後日出かけた廃線跡探訪についても記述します。


5月18日の日曜日、私の地元・兵庫県加古川市にある廃線跡のひとつ、加古川駅と旧陸軍工廠神野兵器所(現・加古川刑務所)を結んでいた軍用線跡(サイトによっては加古川刑務所専用線との表記も見られます)を初めて意識的に探訪しました。軍用線跡はほぼ全区間が道路化されていて、私は自転車や自動車で何度となく通っていましたが、このたび東播磨南北道路(東播磨道)が整備されて野口町水足付近の一部廃線跡が変化してしまうことが判明したため、急きょ探訪することにしました。
今回の日程 2008年5月18日(日)  

自宅1000(自転車・加古川刑務所~加古川駅の軍用線跡を探訪)1220自宅

【帰宅】
朝食後に自宅を出て、自転車で軍用線の終点だった加古川刑務所へ。軍用線の線路のあった場所は陸軍工廠時代の弾薬庫や倉庫など9棟が戦後も放置されていたようですが、2007年1月に解体されたそうです。まぁ、塀の中の出来事なので、知る由もなかったですが、解体前(?)に刑務所の塀が後退したようなので、一般人でもそれらの施設を見る機会があったのかもしれません。また、建物が残っていたということは、もしかしたら地面にレールが残っていた可能性もあったかもしれませんね…。まぁ、2008年の時点では弾薬庫や倉庫などがあったと思われる場所は駐車場が整備されて当時の面影はなかったです。



イメージ 68月撮影。

加古川刑務所を後にして、軍用線跡を転用した道路を道なりに進みます。そして水足付近で右にカーブしますが、ここには当時歩道橋があって、歩道橋の上から軍用線跡を撮影しました。



イメージ 7

その後も軍用線跡を辿り、弾丸列車の用地を活用したとされる加古川バイパスへと差し掛かります。途中、何か所か川や水路を渡る橋梁がありましたが、基本的に遺構や痕跡より沿線風景に興味のある私はそのまま通り過ぎました。水路を渡る橋には軍用線のガーダー橋が利用されていますが、当時の私にとってそんな事どうでも良かったのですww しかし、数年後にamemaさんのブログを拝見しだしてから遺構探索にも関心を持つようになり、現在は橋の下を見たりするほどにまでなりましたw 私が自身が廃線跡を訪問した記事で、今でもあえて「探索」ではなく「探訪」という表現を使用し続けているのはこういった経緯からで、私が「探索」の表現を使うと真剣に廃線探索をされている皆様に失礼だと判断しているからです。なので、私の廃線跡探訪記事は多くの皆様とは違い、遺構より沿線風景を中心に写真を掲載しています。多くの方々とかなり視点が違いますが、ご理解の程宜しくお願い申し上げます。

本題に戻ります。加古川バイパスの部分は軍用線跡に忠実に通る事ができなくて、少し西側を迂回してバイパスを通過しました。その後は道路転用されている軍用線跡を通りましたが、途中には軍用線跡の歴史を簡潔に記していた案内板がありました。



イメージ 8

その後は市街地へと入り、軍用線跡は加古川線と合流していましたが、加古川線は高架化されており、合流の雰囲気を掴みにくかったです。これにて軍用線跡の探訪を終えた私は、加古川駅付近で買い物をしてから自宅へ帰りました。

(つづく)


今回の新規踏破路線はありません



今回新たに自転車で訪問した廃線跡

路線名区間備考
軍用線(陸軍の専用線?)旧陸軍工廠神野兵器所→加古川(約3km)1945年廃止?
(参考:Wikipedia)