牟岐線古庄支線(貨物支線)の廃線跡(羽ノ浦~古庄。徳島県阿南市。2006年訪問) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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今回は、徳島県阿南市(旧・羽ノ浦町)・牟岐線の羽ノ浦駅から分岐して、古庄駅までを結んでいた国鉄の貨物線・
牟岐線貨物支線(通称:牟岐線古庄支線)の廃線跡について簡単にレポートします。

 

古庄支線は、1916年(大正5年)に阿南鉄道によって開業しました。当時の牟岐線に当たる路線は古庄が終点で、将来的には国道55号線沿いに阿南までの延伸を計画していたと思われますが、那賀川に橋を架ける資金がなかったかもしれませんね…。
昭和に入って、国は羽ノ浦から分岐させる形で新たに牟岐線を建設しました。結果、羽ノ浦~古庄は支線格に転落することになります。そして1936年には阿南鉄道が国有化され、羽ノ浦~古庄は休止の後に貨物営業のみ細々と営業を続けていましたが、結局、戦後の1961年に廃止となりました。

 

尚、今回の区間は徒歩でサラッと辿っただけなので調査が不十分なことを、
また写真が少ないことをお詫び申し上げます。
また、訪問時は2006年と古く、当時と現在で廃線跡の状況が異なっていることをご了承願います。

 

今回も廃線跡のバイブルであるJTBキャンブックス『鉄道廃線跡を歩く』シリーズを随分と参考にさせて頂きました。


 

イメージ 1
(Yahoo!地図を使用)


 

路線名  区間  営業キロ  廃止日 
日本国有鉄道:牟岐線貨物支線【古庄支線】  羽ノ浦~古庄  2.1km  1961年4月1日 

  

探訪・撮影時   2006年3月

  

  

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(1)写真奥は古庄支線の起点だった羽ノ浦駅です。住宅地の中に駅があります。
古庄支線は手前左側へ分岐していたと思われます。
軽トラックの奥にある建物は廃線後に造られたのでしょうか?


 

イメージ 3
(1)また、分岐部には橋梁があり、古庄支線の橋台と橋脚が残っていました。
レンガ積みです、橋台や橋脚の一部を道路が再利用しています。


 

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(1)2つ上の写真と同じ位置にて古庄用を望む。
左へ直進する線路は牟岐線です。右へカーブしている道路が古庄支線の廃線跡と思われます。


 

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(2)その後の廃線跡は、廃線後に開発が進んだと思われる住宅地を進みます。


 

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(3)何十年も経つとこの道が廃線跡とは認識しにくくなりますね…。


 

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(4)その後は田園風景の中を南へ進みます。


 

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(5)途中、複数の水路を渡りますが、現役当時の橋台が残っている橋や橋梁(ガーダー橋)が残っている橋があります。


 

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(5)そして古庄支線は那賀川の手前にある古庄駅に到着します。
写真は古庄駅跡のだいぶ手前で撮影しましたが、駅跡は再開発されて住宅などが建ち並んでいます。


 

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(6)古庄駅跡にて。消防団詰所のある所が古庄駅(駅舎?)のあった場所です。
また、駅構内のレールが敷かれていた場所は前述のように宅地などに転用されている模様です。


 

イメージ 11
(6)駅跡より西側を望む。駅跡と、西側を通る国道との間には幅員の広い道路があります。
駅前通りの雰囲気を色濃く残しています。


 

以上で牟岐線古庄支線の廃線跡探訪の記事は終了です。今回も中途半端な内容ですみませんでしたm(_)m

  

  
廃線跡探訪の注意点  

今回の廃線跡は2.1kmと、元気な人であれば徒歩でも何とか1時間で往復可能な距離です。スムーズに行って徒歩で片道30分、途中で止まったりしながら進むと45分~50分ほどかかります。また、廃線跡はほぼ全線にわたり道路に転用されていて、遺構こそ少ないものの概ね廃線跡をトレースできます。但し、羽ノ浦駅から廃線跡へ入るまでは、分かりにくい駅前の細い道を通ることになるので、事前に地図で調べておいた方が良いでしょう。
2006年の時点で遺構は橋台や橋脚など、少ししか残っていませんでしたが、今後数年の間にそう大きな変化はないと思われるので、機会があれば皆様もご訪問下さい。

  

  
接続路線  

駅名   接続路線  
羽ノ浦駅   JR四国:牟岐線  
  
(参考文献:JTBキャンブックス『鉄道廃線跡を歩くⅡ』)
(参考:Wikipedia)