第539回('08) 南海汐見橋線と高師浜線を乗り鉄 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

2008年3月15日、『スルッとKANSAI 3dayチケット』を使用して、日帰りの日程で大阪府南部・泉州地域の私鉄路線を中心に乗り鉄しました。

今回は前半の模様です。
まずは大阪市内に残るローカル線・南海汐見橋線に乗りました。そして泉州地域へ移動して南海高師浜線にも乗りました。
今回の日程 2008年3月15日(土) 【前半】

別府723(山陽電鉄本線・S特急)740山陽明石748(山陽→神戸高速→阪神本線・直通特急)852梅田/西梅田(大阪市営地下鉄四つ橋線)904なんば905(徒歩)920汐見橋940(南海汐見橋線)949岸里玉出953(南海本線)1002堺1005(区間急行)1009羽衣1014(高師浜線)1017高師浜1021(高師浜線)1025羽衣

【後半へ続く】
この日は5時半に起床し、朝食後に自宅を出発。別府駅では『 ICOCA 』で入場して、久しぶりに山陽電気鉄道(山陽・山電)に乗りました。私は神戸方面へ向かいましたが、乗車列車は普通車ではなくラッシュ時などに運行される『S特急』で、私はこの時初めて『S特急』に乗りました。車両は普通車と同じ3000系4連でした。朝なので乗車率は高かったですが、まだ空席が残っていました。私はドア脇で車窓風景を眺めました。S特急と言いながら各駅に停車していきますが、東二見を過ぎると通過運転となり、往年の3000系の爆走(?)を披露してくれました。このまま山陽明石までノンストップで行くのかと思いきや、藤江に停車しました。私の記憶では普通車が待避していたと思います。藤江を発車後も通過運転を続け、S特急は山陽明石に到着しました。山陽明石駅では3000系『S特急』の写真撮影をしましたが、この時の写真を私のブログに採用しました。また、当ブログのホームページアドレスの末尾にある「s_limited_express」は、この『S特急』をアレンジして使わせて頂きました。



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山陽明石駅にて下車後は、一旦改札を出てから有人改札を兼ねた駅の事務室で『スルッとKANSAI 3dayチケット』(5,000円。以下:チケット)を購入しました。そしてカードを自動改札機に通して再入場しましたが、この時は別府駅で山陽明石までの乗車券を買ったうえで山陽明石駅まで移動し、事務室で乗車券を渡せば返金してくれることを知らなくて…。数か月後に損したことに気付きました…orz

山陽明石駅からは、阪神梅田行きの直通特急に乗りましたが、車両がオールロングシートの阪神8000系非リニューアル車だったこと、そして種別幕が黄色(神戸高速線内は各駅に停車)だったこと、その両方にガッカリしました…。でもこの列車が梅田へ先着するので、仕方なく乗ることに…。また、車窓風景は見たいのですが、梅田までは時間が掛かり過ぎて疲れてしまうので、空席に座って反対側の窓越しに車窓風景を眺めて、阪神の梅田駅まで1時間強の乗車に耐えましたw 車内はさほど混雑しませんでしたが、西宮からはやや混雑しました。

阪神の梅田駅で直通特急を下車した後は大阪市営地下鉄四つ橋線に乗り換えました。始発駅なので23系6連の車内は空席が多く残っていて、私はここでも空席に座って、なんば駅まで移動しました。

なんば駅にて下車後は地上へ出て、千日前通を西へ歩きました。途中、湊町駅跡(現在のJR難波駅)を通過しましたが、当時の面影はありませんでした。さらに西へ歩くと、千日前通は翌年に阪神なんば線として開業する西大阪線延伸部の工事中で車線規制されていました。そして地下鉄の桜川駅を通り過ぎると、この日の最初の目的地である南海汐見橋駅に到着しました。



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汐見橋駅は、記憶では1999年以来9年ぶりの訪問でした。しかしながら、駅自体は当時と殆ど変化がなく、昔ながらの面影を残していました。



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私は暫しタイムスリップした感覚に陥った(少しオーバーな表現ですがww)あと、チケットを自動改札機に通して入場しました。そして、しばらく待って岸里玉出行きの各駅停車(各停)に乗車しました。車両は2200系2連で、車内は予想通りガラガラでした…。私はロングシートに座りながら車窓風景を眺めることにしました。



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列車は9時40分に汐見橋を発車し、都市部を南へ走ります。沿線は民家が多いのに、各駅に停車しても乗降客はほとんどいませんでした…。但し、下車より乗車する人の方が多かった印象で、やはり汐見橋駅の位置が悪すぎるのでしょうね…。電車は市街地を坦々と走り続け、最後は高架橋へと上がって南海本線に寄り添い、9分の乗車で終点の岸里玉出に到着しました。汐見橋線は通称で正式には高野線なのですが、難波からの高野線線路とは分断されてしまっています…。

岸里玉出では南海本線に乗り換えました。すぐに和歌山市方面行きの普通が来ましたが、車両が高野線のズームカー・2000系4連でした。前面窓には「2扉車」の表示がデカデカと貼り付けられていました。車内は入るとドア付近が混雑していましたが、私は何とかドア脇へ。2扉なことよりも、車体長が他の車両より約3mも短い17m級しかないことが混雑の原因でしょうね…。やけに狭く感じてしまいました…。そして車内は終始混雑した状態で普通は堺に到着。私は区間急行に乗り換えるために下車しました。

堺からは区間急行に乗りました。7100系の6両編成で、車内はさほど混雑していませんでした。しかし、私は確実に車窓風景を眺めるためにドア脇へ。堺市内の風景を眺めながらの移動となり、列車は高石市へと入って羽衣に到着。私は下車しました。

そして高架化工事中でしたが、仮ホームへの移行前の段階にあった羽衣駅では、2区間のみの支線である高師浜線に乗り継ぎました。2230系2連で、車内には5人もおらずガラガラだったので一番前の座席に座って、前面展望することにしました。



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電車は羽衣を発車し、しばらく南海本線と並走してから右へカーブして高架橋へと上がり、伽羅橋(きゃらばし)に着きました。ホームに人がいましたが、電車には乗りませんでした。おそらく折り返しの羽衣行きに乗るのでしょうね。伽羅橋を発車後は左へカーブし、ほどなくして終点の高師浜に到着しました。僅か3分間の乗り鉄でしたw



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高師浜到着後、4分後には電車が発車してしまうので、私は大慌てで階段を下りて改札を出て駅舎を撮影し、ホームへの階段を上がって停車中の電車に乗りました。息切れしてしまいましたw 



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帰りの電車は既に5~6人が乗車していました。電車は高師浜を発車し、すぐに伽羅橋に着きました。そして伽羅橋では先程待っていた人たちをはじめ、その後から来た人も乗ってきて、乗客は10人以上になりました。そして最後は南海本線と並走して、やはり3分間の乗車で終点の羽衣に着きました。

この後は南海本線の和歌山市方面ホームへ移動して、まだまだ乗り鉄を続けました。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません


(参考:Wikipedia)