第506回('07) 蔵王から仙台空港へ戻り、飛行機で伊丹空港へ。そして帰宅。 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

前回の続き…
2007年8月11日~15日、まずは新幹線で東京まで移動し、『青春18きっぷ』などを使用して東日本を乗り鉄しました。
中でも、3日目~4日目は宮城県と岩手県の三陸方面を旅したのですが、訪問地が2011年の東日本大震災で大きな被害を受けてしまいショックでした…。

今回は最終5日目、8月15日終盤の模様です。
山形県の蔵王温泉スキー場で索道に乗車した後は仙台空港へと戻り、飛行機で一気に伊丹空港へ。そのまま兵庫県加古川市の自宅へ帰りました。
今回の日程 2007年8月15日(水) 【その3】

蔵王山麓1450(レンタカー・西蔵王高原ライン→R286→関沢~村田は山形道と東北道→県道14号など)1615船岡城址公園1620(レンタカー・亘理町荒浜、岩沼市押分経由)1715仙台空港1905(航空便・JALエクスプレス2210便)2025伊丹空港/大阪空港2043(大阪モノレール線)2055千里中央2058(北大阪急行電鉄南北線→大阪市営地下鉄御堂筋線)2111新大阪2124(JR京都線→JR神戸線・3529M新快速)2221加古川

【帰宅】
蔵王温泉で夏期に営業している全ての索道を乗り終えた後は仙台空港へ戻ることにしました。しかし、まだまだ時間があるので、少し寄り道することにしました。
まずはレンタカーに乗り、蔵王温泉街を通って有料道路の西蔵王高原ラインへ。さらに進むと山形県庁近くへ出て国道286号線を東へ進みました。そして笹谷峠の手前にある関沢ICから山形自動車道に乗り、トンネルで一気に峠を越えて山形県から宮城県へ入りました。そして村田JCTから東北道へと入り、すぐの所にある村田ICで下車しました。
その後は一般道を通り、大河原町へ。白石川を渡ってJR東北本線を渡り、16時15分に大河原~船岡の間にある船岡城址公園に着きました。蔵王から1時間25分を要しました。

実はこの船岡城址公園にはスロープカーがあり、乗車しようと思ったのですが、営業している様子がありません…。駅舎へ向かうと、「営業時間は16時まで」と書かれていました…。少し遅かったです…orz なお、ここのスロープカーは船岡城址公園でのイベント時にしか稼働していないことを最近知りました…。



イメージ 1営業していませんでした…残念orz

営業時間が16時までということで、ここに居ても仕方ないので早々と撤収しました。今度はどこへ行こうと考えた結果、太平洋の海岸へ行くことにしました。
船岡城址公園を出て槻木駅近くを経由して、阿武隈川を渡って常磐線の逢隈駅近くへ。さらに海側へと進み、亘理町荒浜港近くの鳥の海を見に行くはずでした。しかし、港の近くには多くの車が…。どうやら夕方~夜にかけてここで花火大会または夏祭りを催す雰囲気でした。これ以上進むのは難しいと判断した私は引き返して仙台空港へ戻ることにしました。しかし、とある信号のないT字路の突き当たりへ出て右折をしようとしたら、優先道路側から車がひっきりなしに右折して、私はいつまで経っても右折できませんでした…。そこで、少しの車間を突いて右折しましたが、優先道路側から右折をしようとした車にクラクションを鳴らされました。私は少々強引な運転だったことを反省しましたが、「譲ってくれてもいいのに…」と思ったりもして、クラクションを鳴らした男性を憎んだりしてしまいましたが、この荒浜地区をはじめ亘理町は4年後の東日本大震災の津波により壊滅的被害を受けてしまいました…。現在はこの男性や夏祭りを訪れた人たち、そして荒浜地区の住民の安否が心配です…。

何とか荒浜地区を脱出した後は亘理大橋で阿武隈川を渡って岩沼市へ。その後は海岸を通る道路を走りましたが、松原に遮られて海を見ることができませんでした…。太平洋を見たいので駐車場を探しましたが、全然見つからなかったので海を見ることを断念しました…。また、この海岸も津波によって甚大な被害を受けてしまいました…。

そしてガソリンスタンドで給油をしてから仙台空港方面へ戻り、空港から少し離れたレンタカーの営業所へ車(日産マーチ)を返却しました。17時15分でした。その後は営業所の係員に空港まで送迎してもらいました。



イメージ 2仙台空港~館腰駅の路線バスは2010年に廃止に。

仙台空港ではお土産を買って、さらに売店でサンドイッチを買って早目の夕食として食べました。そして搭乗手続と保安検査を済ませ、搭乗の案内があるまで、出発ロビーで待ちました。
休憩がてら1時間近く待っていると案内があり、いよいよ搭乗です。今回はJALエクスプレスの伊丹行きで、機材は小型ジェット機のボーイング737-400でした。機内はほぼ満席でした。私は窓側の席でしたが、またしても翼が邪魔で外の景色が満足に見られませんでした…orz まぁ、夜間なので別に構いませんが…。



イメージ 3仙台空港にて。

伊丹行きの便は19時05分に出発し、ほどなくして滑走路を全力疾走して離陸しました。ちなみに仙台空港も津波で大きな被害を受けましたが、関係者の必死の対応により比較的早い時期に復旧しました。
飛行機は陸地の上空を飛んでいるはずですが、どこを飛んでいるのか分かりませんでした。サービスのコーヒーを飲んだ後は機内誌をずっと読んでいましたw そして大阪上空へ来ると着陸態勢へと入り、豊中市を通って伊丹空港に着陸しました。そして20時25分に到着して機外へ出ました。

私はトイレを済ませてから大阪空港駅へ。以前と同じく大阪モノレール(1000系4連)に乗って千里中央駅まで移動しました。客が多くて私はドア脇でした。



イメージ 42013年撮影。

そして千里中央駅では3分の接続で北大阪急行電鉄の「なかもず」行きに乗り継ぎましたが、『 ICOCA 』を持っていなければ1本後の電車になっていたでしょう。10系10連の「なかもず」行きは空いていたので私は着席しました。そして江坂から地下鉄御堂筋線へと変わり、新大阪で下車しました。



イメージ 52013年撮影。

新大阪駅ではJRの在来線に乗り換えました。JR神戸線の新快速(223系8連+4連)に乗りました。



イメージ 62013年撮影。

お盆の時期なので比較的空いていましたが、窓側席は空いていませんでした。私は空いている通路側の席に座り、窓側の客が大阪駅で下車することを期待しました。そして期待通りに大阪駅で窓側席の客が下車し、私は窓側席をゲットできました。その後は疲れで睡眠してしまいましたが、何とか東加古川駅通過中に目が覚めて、無事に加古川駅で下車できました。

下車後は自宅へ直行しましたが、学生時代に「家に着くまで遠足・修学旅行」と言われたことを思い出して、気を抜かずに帰宅しました。
帰宅時をもって4泊5日の乗り鉄旅行が無事終了しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡は有りません


(参考:Wikipedia)