第491回('07) 甲信越を乗り鉄するも中越沖地震に被災して中断……そして帰宅 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

前回の続き…
2007年7月13日~16日、3泊4日の日程で東日本を乗り鉄しました。
14日からの3連休は主に『夏の三連休パス』(26,000円)を使用しました。

今回は最終4日目、7月16日の模様です。
『夏の三連休パス』の最終日は東京から越後湯沢~直江津~長野を経由して東京へ戻って来るプランを立てていたのですが、
越後湯沢の手前で中越沖地震が発生し、電車がストップしてしまいました…。
その結果、予定通りの乗り鉄を断念せざるを得なくなり、後に動き出した上越新幹線で東京へと戻り、その足で兵庫県加古川市の自宅へ帰りました。
今回は中越沖地震に被災する最悪の結果となりましたが、命が助かっただけでも良しとしないと…。
今回の日程 2007年7月16日(月・祝) 

御徒町628(山手線外回り)633東京652(長野新幹線系統・あさま503号)746高崎823(上越線・727M)927水上950(1731M)1017越後中里/越後中里駅1149(列車代行バス)1205越後湯沢駅東口/越後湯沢1320(上越新幹線系統・とき318号)1508東京1550(東海道新幹線・のぞみ41号)1827新大阪1838(山陽新幹線・ひかり379号)1902西明石1913(山陽本線・3283M新快速)1923加古川

【帰宅】
この日は5時に起床して朝食を食べてから6時過ぎにホテルをチェックアウト。まずは御徒町駅から山手線外回り(E231系11連)に乗って東京駅まで移動しました。
そして東京駅では新幹線に乗り換えて、高崎を目指します。乗車する列車は長野新幹線『あさま503号』で、E2系8連でした。自由席はガラガラで、難なく窓側E席をゲットできました。



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列車は定刻に東京を発車し、東北新幹線の線路を走ります。上野と大宮で乗車してきた客は多かったですが、まだ半分程度の乗車率でした。大宮からは上越新幹線へと入り、埼玉県北部の田園地帯を快走します。そして本庄早稲田のみ通過して、東京から54分で高崎に到着しました。このまま長野まで行きたかったのですが、予定通りに高崎で下車しました。

高崎からは上越新幹線ではなく在来線の上越線で越後湯沢を目指します。1999年に上越線は踏破しましたが、水上~越後湯沢はループ線の上り線だけしか踏破していないので、今回は新清水トンネル経由の下り線を踏破すべく上越線列車に乗ります。そして越後湯沢からは北越急行ほくほく線の特急『はくたか』に乗る予定でした。
まずは水上行きの普通列車・727Mに乗車しました。湘南色の115系3連で、やはり『青春18きっぷ』期間でないためか空いていて、余裕でボックス席の進行方向窓側席に座れました。



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727Mは定刻に高崎を発車して、上越線を北上します。私は赤城山や榛名山などの車窓風景を楽しみました。そして1時間4分後の9時27分に終点の水上に到着しました。

水上駅では23分の接続で長岡行きの1731Mに乗り換えました。新潟色の115系2連+3連で、ガラガラの3両編成727Mの受け皿が5両編成の1731Mですから、車内は超閑散としていました。ここでも私は進行方向窓側席を確保しました。



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1731Mは定刻の9時50分に水上を発車し、山間部を進みます。そして湯檜曽の手前で上り線と分かれて新清水トンネルへと入り、トンネル駅の湯檜曽、土合と停車していきました。土合を発車して新潟県へと変わり、ようやく新清水トンネルを出ると上り線と合流して土樽に着きました。土樽からはΩカーブ状の新松川トンネルへと入りました。この区間の上り線はループ線になっています。そして新松川トンネルを出ると魚野川を渡り、越後中里に着きましたが、何分経っても走り出しません。



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私は携帯電話でヤフーのページを見ると、新潟県中越沖で地震発生のニュースがトップで載っていて、驚きました! それで電車が停まっていたのかと思いました。しかし、地震発生時の10時13分は新松川トンネルを走行中で、私は全く揺れに気付きませんでした(湯沢町は震度2~3)。また、湯沢町では大した被害はなかったのですが…。
その後、私は同じ車両の客に中越沖で地震が発生したことを伝えてから車掌の所へ。「地震ですか?」と聞くと車掌は「地震の影響でいつ動くか分かりません…」とのことでした。ここで私は家族に連絡しなければと思い、公衆電話へ。その前に試しにメールを送信してみましたが、予想通りムリでした…。そして、テレホンカードを持っていなかったので10円硬貨を15枚ほど積んで兵庫県加古川市の自宅へ電話しました。結果、一発で通じて家族に無事を伝えました。その後は駅へと戻り、車掌と運転士が話しているところへもう一度「いつ動くのか」と聞いたら、車掌は「まだ時間がかかると思います」と、3年前の中越地震の経験から、復旧に時間を要するとのことでした。そして、運転士が色々と話し掛けてきたのですが、話の流れを聞くと、どうやらこの人は運転士ではなく、JR東日本の旧制服風の服装をしていた一般客だったのです! その後も色々と話していると、60歳くらいのこの男性、私と同じく『夏の三連休パス』で乗り鉄旅行をしているとのことで、この日は只見線経由で会津若松から臨時特急『あいづ』に乗って東京へ戻る予定とのことでした。

しかし、電車は一向に運行再開の気配がありません。私も男性も今後の予定がパーになってしまい、互いに落ち込んでいました…。そして暫く駅の待合室で話していると、「越後湯沢の代行バスを手配しましたので、バスが着いたら案内いたします」と車掌が伝えに来ました。一応、これで新幹線駅の越後湯沢まで行けますが、新幹線も止まっているだろうなぁ…と、半ばあきらめていました。そして20分ほど待つと、駅前に代行バスが1台やって来ました。車掌の案内に従ってバスに乗り、11:49に越後中里駅を発車しました。道中は男性と話しながら越後湯沢駅東口まで移動しました。途中、岩原スキー場前の駅前にも寄りましたが、1731Mで乗降する予定の客は誰もいませんでした。



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12:05に着いた越後湯沢駅では上越新幹線と在来線の運行状況を確認しましたが、どの路線も全く動いていませんでした…。この時点で私は、ほくほく線経由で長野方面へ行くのを諦めました。しばらく男性と話しながら待っていると、「東京~越後湯沢で運転再開の見込みです」とのアナウンスがあり、私と男性はとりあえず東京方面へ戻ることにしました。途中、売店で駅弁(越後林道かまめし \1,000)を買いましたが、男性は「そんないいもの食うのか」と言い、600円ほどの弁当を買っていました。駅弁への考え方も人によって違いますね…。
そして我々は新幹線ホームへと上がり、停車している200系10連の『とき318号』の自由席に乗車しましたが、なかなか空席がありません…。しばらく探していると、3列席に登山用の銀色のマットのようなものが置かれている空席がありました。私は「これで席を確保しているのか…」と思いましたが、男性は「忘れ物か?」と言ってマットを荷棚へ上げて、私に窓側A席に座るように指示して、私はA席、男性はB席に座りました。その後、女性客が我々の列で探し物をしている様子だったので、男性がマットを取り出して「忘れ物ですよ」と。女性は座席を確保するつもりだったかもしれませんが、「すみません」と言ってから去っていきました。本当の所は座席確保か忘れ物か分からなかったのですが、物は考えようですね。

そして座席で昼食を食べていても列車はまだ動き出しません…。中には、携帯のワンセグでTV放送を観ている人もいました。そうこうしているうちに、「間もなく発車します」と車内放送があり、13時20分にようやく発車しました。『とき312号』も越後湯沢駅で長時間停車を余儀なくされており、発車は所定より2時間55分遅れでした…。『とき312号』は震源地から離れていくので、徐行運転することなく東京目指して快走しました。そして、男性は「東北新幹線回りで会津若松へ行けば『あいづ』に乗れる」とのことで、大宮駅で下車して別れました。お互いに連絡先も聞かなかったのですが、地震後の普通ではない心理状態の中、話し相手がいたのでパニクらずに済みました…。一方の私は『とき302号』を東京まで乗り通しました。東京駅には15:08に到着しました。



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しかし、私はもう乗り鉄をする気分にはなれなくて、帰ることにしました。まずは改札を出て加古川までの乗車券と西明石までの自由席特急券を購入して東海道新幹線専用の改札から入場しました。そして、博多行きの『のぞみ41号』に乗車しました。車両は500系16両編成で、私は2号車禁煙自由席に乗車しました。車内は空いていましたが、今回は海側A席に座りました。



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列車は定刻に東京を発車し、品川と新横浜に停車しました。この2駅で自由席はほぼ満席になり、私の列もC席に男性客が着席しました。私は海側の風景を眺め続けましたが、静岡辺りから眠ってしまいました。そして京都到着時に目を覚まし、何とか無事に新大阪で下車できました。

新大阪からは後続の『ひかり379号』(300系16連)に乗り継ぎました。自由席は空いていたので、ここでもA席に座りました。そして、今回は眠らないように注意しました。結果、一睡もせずに西明石で下車しました。

最後はJR神戸線の新快速(223系8+4連)に乗りました。こちらでも遅れが発生していて、乗車した新快速は31分遅れでした。車内は混んでいたので私はドア脇へ。また、この223系に乗ると旅行が終わり、現実へ引き戻された気分になります…。そして10分の乗車で加古川に到着し、下車して今回の乗り鉄を終えました。
加古川駅からは自宅へ直行しました。

今回の乗り鉄はは風による遅延や地震による運休など、大変な目に遭いました。帰宅後には、信越本線の青海川駅付近で土砂崩れが発生したことを知り、ゾッとしました。

(つづく)


今回の新規踏破路線は有りません。以下は参考記録です

路線名区間距離備考
JR東日本:上越線水上→土樽(下り線)21.0km上り線は1999年に踏破済
(参考:Wikipedia)