第441回('06) 郡山から東北新幹線と東海道・山陽新幹線を乗り継いで加古川へ帰る | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…
2006年11月17日~19日、2泊3日の日程で東日本へ。18日~19日は『土・日きっぷ』を使用しました。
今回は3日目後半の内容です。『土・日きっぷ』を使用して、郡山から東京まで東北新幹線に乗りました。
そして、東京駅からは東海道・山陽新幹線に乗って兵庫県加古川市の自宅へ帰りました。
今回の日程 2006年11月19日(日) 【後半】 

郡山1433(東北新幹線・『やまびこ・つばさ116号』)1556東京1613(東海道新幹線・のぞみ43号)1849新大阪1915(山陽新幹線・こだま679号)1939西明石1942(JR神戸線・3291M新快速)1951加古川

【帰宅】
仙台から東北本線(在来線)で郡山まで南下しました。郡山からは家路を急ぐため、新幹線で移動することにしました。
まずは在来線ホームから新幹線ホームへと移動し、ほどなくしてやって来た東北新幹線・山形新幹線『やまびこ116号・つばさ116号』に乗車しました。東北新幹線『やまびこ116号』がオール2階建てのE4系8連、山形新幹線『つばさ116号』がミニ新幹線サイズの400系7連の、計15両編成でした。私は眺望の良いE4系の2階自由席に乗ろうとしたのですが、乗車口には多くの人が…。やはり窓側に座りたいので、一か八かで『つばさ』側の自由席乗車口へ。こちらは人が少なかったので窓側席を期待したのですが、運の良いことに窓側D席が空いていました(400系は2列+2列シート)。車内を見渡すと7割ほどの乗車率だったので、とてもラッキーでした。しかし、やはり事前に指定席を押さえておくべきだったと後悔もしました…。



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山形駅にて2006年9月撮影。400系新幹線電車です。当時は400系が山形新幹線の主力車両でした。

列車は定刻の14時33分に郡山を発車し、見慣れた風景を快調に飛ばしてあっという間に宇都宮に着きました。宇都宮では多くの下車・乗車がありましたが、私の隣席は空席のままでした。その後は関東平野を南下し、都会的な風景へと変わると大宮に到着。ここでは多くの乗客が下車しましたが、割合的には東海道新幹線の上り列車での新横浜より大宮の方が下車率が高いのではないでしょうか?
大宮からはノロノロ走行で埼京線と並走しながらさらに南下し、東京都へ入り赤羽からは京浜東北線と並走して日暮里付近から地下へと潜って上野に着きました。上野での下車客は少なく、地下深い駅構造も影響しているのでしょうか。こちらは東海道新幹線上り列車での品川よりも下車率が低いかもしれません。上野を発車後は秋葉原付近で地上へ出て、山手線や京浜東北線を見ながら走ると、ほどなくして終点・東京に到着しました。郡山からわずか1時間23分、新幹線の速達性は凄いです!



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東京駅にて2011年撮影。400系の前方に連結されていたE4系新幹線電車です。
現在は東北新幹線から撤退して上越新幹線のみで活躍しています。

東京駅では自動改札機に『土・日きっぷ』を通して改札外へ。今回はもう『土・日きっぷ』はお役御免です。東京では終電まで使えるのに、勿体ないですが仕方ありません…。私は自動券売機で加古川までの乗車券と西明石までの自由席特急券を購入し、東海道新幹線専用の改札口を通りホームへ。私は道中眠ろうと思っていたので、寝過ごしても大丈夫な新大阪行きの『のぞみ127号』に乗りたかったのですが、改札を通った頃に発車してしまい、仕方なく後続の博多行き『のぞみ43号』に乗ることにして、17番線ホームの博多方へ向かいました。車両はJR西日本所有の700系B編成16連で、側面行先表示器がLEDでした。私は禁煙自由席の2号車後方ドアから車内へと入り、まずは2人掛けの窓側E席の空席を探しますが、全て埋まっていました…。3人掛け窓側席のA席は半分ほど空いていたので私はA席に座りました。



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西明石駅にて2009年撮影。700系B編成は乗務員扉横に「JR700」のロゴがあります。

幸い私の列のBC席には誰も座らずに『のぞみ43号』は定刻の16時13分に東京を発車しました。しかし、品川はセーフだったのですが、新横浜ではC席に男性客が座りました。まぁ、1席分空いているので隣に座られるよりは心理的に楽でした。新横浜発車時点で7割方の座席が埋まったかと思います。
私は東京発車時からずっと車窓風景を眺めていましたが、折しも日没が早い11月下旬の、しかも曇天の日とあっては暗くなるのがとても早く、小田原通過時には遠くが見えにくくなり、山間部を過ぎて三島通過時には完全に暗くなっていました。こうなると急に眠気が襲ってきて、新富士を過ぎて富士川を渡る頃に私は眠ってしまいました…。
そして目が覚めたのは意外にも名古屋停車時で、以後は眠らずに夜景を眺めていました。『のぞみ43号』は博多行きなので乗車率はほぼ変わらず推移していました。そして18時49分に新大阪到着。私は新大阪始発の『こだま679号』に乗り換えるべく下車しました。新神戸で乗り換える手もあったのですが、乗換時間が26分もあるので、時間をつぶすのなら新神戸より新大阪です。

ちょうど夕食時だったので、私は立食いスタンドで、うどんを食べました。そして山陽新幹線専用の発着ホームである20番線へと向かい、すぐに入線してきた三井住友カラーの100系6連『こだま679号』の車内清掃を待って2号車自由席の車内へと入り、今回もA席に座りました。しかし、『こだま』用になった100系は全て2列+2列シートで、A席側も2人掛けでした。グリーン車用の座席か100系V編成『グランドひかり』の2階建て1階普通車指定席の座席か、どちらを流用したのかは分かりませんが…。

車内はガラガラの状態で『こだま679号』は定刻の19時15分に新大阪を発車し、しばらくは宮原の車両基地など夜景を見ながらの道中となりました。しかし西宮からは六甲トンネルへと入り、乗降が皆無に近かった新神戸を過ぎてもトンネルの連続で、夜景すら望めませんでした。そして伊川谷でトンネル区間が終わるとほどなくして、定刻に西明石に到着。居眠りせずに無事に下車できましたが、西明石で下車した乗客が結構多かったです。



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西明石駅にて2008年撮影。100系新幹線電車です。
分かりづらいですが、「三井住友カラー」と揶揄されていました。

西明石で新幹線と別れを告げ、今回の旅のラストランナーはいつもの乗り鉄と同様に、JR神戸線(東海道本線・山陽本線:大阪~姫路の路線愛称)の新快速でした。223系の8連+4連で、そこそこ混んでいましたが私は通路側の席に座りました。そして9分の乗車で定刻の19時51分に加古川に到着。眠かったですが、何とか居眠りせずに下車できました。

加古川駅の改札を出た後は特に寄り道もせず、家路を急ぎました。
これをもちまして、2泊3日の乗り鉄旅行が終了しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線は有りません


(参考:Wikipedia)