第397回('06) 7年ぶりに山陽電鉄網干線を乗り鉄 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

2006年6月10日、1999年8月以来久しぶりに山陽電鉄網干線を乗り鉄しました。
また、2006年3月のJR姫路駅高架化に伴い、本線がJR線をオーバーパスしていた山陽姫路駅手前ではアンダーパスに切り替えられ、その切替区間を初乗車しました。
今回の日程 2006年6月10日(土) 

別府1004(山陽電気鉄道本線)1019大塩1021(直通特急)1028飾磨1037(網干線)1053山陽網干1100(網干線)1113飾磨1118(本線・直通特急)1123山陽姫路1136(本線)1213別府

【帰宅】
この日は時期的に天気がイマイチで、薄曇りでした。
午前9時半頃に自宅を出発し、山電の別府(べふ)駅から山陽姫路行きの普通車(=普通列車)に乗りました。3000系4連で、車内はガラガラでした。私はロングシートに腰掛けて車窓風景を眺めました。
そして大塩駅では直通特急を待避するために数分間停車しました。私は直通特急に乗り換えて飾磨駅まで移動しましたが、車両が阪神8000系でロングシートだったのが残念でした。最後部の席に座り、車窓風景や後方展望を楽しみました。

飾磨駅では網干線の電車に乗り換えました。3000系3連で、発車直前にはそこそこの乗車率になりました。私はドア脇から7年ぶりとなる車窓風景を眺めましたが、大半が住宅地で特に見所はありませんでした。そして16分の乗車で終点の山陽網干駅に到着しました。当駅は網干の市街地にあります。尚、JRの網干駅は北へ約3kmの街外れにあります。



イメージ 1山陽網干駅にて。
イメージ 2

駅前の通りまで出て街の様子を確認した後はすぐに改札内へと戻り、折り返し列車で飾磨駅まで戻りました。駅ごとに乗客が増えました。

飾磨駅からは本線の下り直通特急に乗って山陽姫路駅を目指しますが、直通特急は5分遅れとのことでした。そして5分後にやって来た直通特急に乗りましたが、車両は最新の5030系6連でした。私は空いている後方車両の転換クロスシートに座り、飾磨港線(播但線支線)の廃線跡を見ながら移動を楽しみました。そして手柄駅を過ぎるとJRの高架化により付け替えられた区間へと入ります。元々はJR在来線を乗り越えていましたが、高架化によりアンダーパスへと変更され、上下が逆転しました。しかも、アンダーパスの地点は飾磨港線の廃線跡の用地を流用していたので、この廃線跡区間では思わぬ形で再び列車が走ることになりました。JR線をアンダーパスした後は右へカーブしながら高架橋へと上がり、終点の山陽姫路駅に到着しました。特急用のホームは6両編成がギリギリ入線できる有効長です。



イメージ 3山陽姫路駅にて。

山陽姫路駅では一旦下車して、大手前通りを渡ってみゆき通り入口にあるチャンスセンターで宝くじを買いました。その後は山陽姫路駅へ戻り、今度は普通車に乗車して別府へ帰ることにしました。車両は嬉しいことに5000系4両で、前向きのクロスシートに座りました。車内はそこそこの乗車率でした。しかし、飾磨までで半数以上の乗客が下車し、一気にガラガラになりました。その後も各駅に停車しながら東へ進みますが、なかなかのスローペースです。高砂を過ぎると加古川を渡り、ようやく加古川市へと戻ってきました。そして尾上の松駅では1人の女性が私の前の席に座りました。私は車窓風景を眺めていたのですが、女性はいきなりブラインド型のカーテンを下ろしてきました。曇っていて眩しくはないですし、大して暑くもないにもかかわらず。しかも窓割が1.5列分あるので、せめて私に断わってからカーテンを下ろすべきなのに…。しかし、この時私は何を思ったのか腰を上げ、ドア脇へと行って車窓風景を眺め続けていました。本当は下ろされた瞬間に上げ返すくらいの事をしなくてはいけないと思いますが、この時の私の消極的行動は今でも後悔しています…。私はこの時の失敗が大きく響き、以後はカーテンに対してさらにナーバスになってしまい、乗り鉄時は座席に座らないケースが増えてしまいました。また、これ以降2年ほどは鉄道車両のカーテンを異常に嫌いになりました…。

自分勝手でアホな女性(私の感想です)のせいで車窓風景も頭に入らなくなり、脳内がモヤモヤした状態で別府駅にて下車しました。結果としては何度も乗っている区間なので1度くらい車窓風景が見れなくても問題ないのですが、それでも女性の行動や、その後の自分の行動に納得いきませんでした…。

下車後はイトーヨーカドーで買い物をしてから帰宅しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線は有りません


(参考:Wikipedia)