第387回('06) 盛岡から山田線(宮古)経由で釜石へ | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

前回の続き…

2006年のゴールデンウィークは5泊6日の日程で東日本へ乗り鉄旅行へ出かけました。

今回は5日目前半の行程です。
『小さな旅ホリデー・パス(いわてフリーエリア)』を使用して盛岡から山田線→釜石線→東北本線の順で一周しました。
今回は釜石までの行程をUP致します。
今回の日程 2006年5月2日(火) 【前半】

盛岡809(山田線・2634D)814上盛岡(徒歩)盛岡943(山田線・9646D臨時快速『さんりくトレイン北山崎号』)1152宮古1257(山田線・650D)1412釜石

【後半へ続く】
この日は6時頃に起床し、7時から上層階の食堂にてサービスの朝食(バイキング)を食べました。岩手山が綺麗に見えました。その後は盛岡9時43分発の山田線列車までフリーだったので一旦「ホテル ルイズ」をチェックアウトせずに外出し、盛岡駅から上盛岡駅まで山田線列車に乗ってみることにしました。駅の自動改札機に『ホリデー・パス』を通し、山田線ホームへ。上米内行の区間列車は盛岡色のキハ58 1520+キハ58 1507の2連で、平日朝でしたが車内はガラガラでした。私は1ボックスを独占して優雅に1駅間の旅を楽しみました。そして上盛岡駅にて下車しました。



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上盛岡駅にて。キハ58系気動車です。



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上盛岡駅の時刻表です。列車の本数が少なすぎます…。


下車後は盛岡市の中心街を25分ほど歩いてホテルへ戻りました。



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途中、北上川の橋を渡りましたが、ここからも岩手山の綺麗な姿を望めました。

その後、9時10分頃にホテルをチェックアウトして再び盛岡駅へ。ホームでしばらく待っていると、山田線の臨時快速『さんりくトレイン北山崎号』が入線してきました。キハ58形改造のジョイフルトレイン『Kenji』の3両編成が使用されていました。私は最後方1号車の自由席の窓側席に座りました。GWだったものの平日であるが故に自由席はガラガラでした。一方の3号車指定席は展望席を含めてほぼ満席で、ファンが多そうでした。この列車の乗客はこれ以上極端に増えることはないだろうと私は思いましたが、実際にその通りとなりました。



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盛岡駅にて。『Kenji』使用の臨時快速『さんりくトレイン北山崎号』です。

臨時快速は9時43分に盛岡を発車し、先程下車した上盛岡を過ぎるともう山が現れ、次の山岸を通過後は早くも山間部へと突入しました。私は2003年に山田線を踏破したのですが、盛岡~茂市は夜間乗車だったため、当該区間の景色を見るのは今回が初めてで半ば興奮しながら車窓風景を眺めていましたww 区間列車の終着駅である上米内を過ぎると人里離れた北上高地の深い山間部を進み、秘境駅で有名な大志田と浅岸を通過して、分水嶺を越えると東北地方では最も標高の高い地点(744m)にある鉄道駅・区界に着きました。ここでは対向列車を待つために数分間停車するということで、車外へ出て区界高原の空気を満喫しました。対向列車の到着後は車内へと戻り、列車は発車しました。

その後はライバル(?)の路線バスが頻繁に走る国道106号線と並走しながら閉伊川の谷を東へ下ります。山間部の風景が延々と続きました。そして岩泉線との接続駅である茂市からは見覚えのある風景となり、閉伊川の川幅が広くなり、平地へ出て市街地へと入ると11時52分に宮古に到着しました。列車はこの先スイッチバックして三陸鉄道北リアス線の久慈駅まで乗り入れますが、私はここで下車しました。



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宮古駅にて。東日本大震災時には当駅にも津波が押し寄せましたが、全壊は免れました。

下車後は、三陸産のアワビを使用した駅弁『いちご弁当』を求めて売店へ向かったものの、残念ながら売り切れでした…。次回宮古へ行く機会があれば『いちご弁当』を食べるぞ、と心に決めていましたが、東日本大震災の影響なのかそれ以前からか分かりませんが、現在、宮古駅では駅弁は販売されていません…。
他の駅弁を買う気にもなれず、駅前にある地元スーパーでちらし寿司を買い、駅のベンチで食べました。378円ながら海の幸を多用していて、美味しかったです。お得感もありました。

そして次は山田線を乗り続けて釜石へと向かいます。釜石行の650Dはキハ100形の2両編成で、私は何とか海側のボックス席を確保できました。乗車率は比較的高く、私のボックスにも斜め向かいが埋まっていました。



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宮古駅にて。現在は不通となっている山田線の海線区間で活躍しているキハ100形気動車です。

650Dは12時57分に宮古を発車しましたが、前半は山間部を走る場面も多く、海は眺められませんでした。しかし、陸中山田を過ぎると三陸海岸が見えてきて、素晴らしい景色を楽しむことができました。面白い駅名の吉里吉里を過ぎると、津波で市街地が壊滅した大槌に着きました。当時は5年後の惨状など予想だにしませんでした…。ここで乗客が増え、以後は主に山間部を通って、定刻の14時12分、終点の釜石に到着しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線は有りません


(参考:Wikipedia)