第354回 下津井電鉄線の廃線跡(岡山県倉敷市)を訪問 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

2005年12月3日、日帰りの日程で岡山県倉敷市へ。1972年に茶屋町~児島が、残る区間も1991年に廃止となった下津井電鉄線の廃線跡をレンタサイクルで辿りました。
今回の日程 2005年12月3日(土)  

加古川1120(JR神戸線・3223M新快速)1130姫路1141(山陽新幹線・のぞみ45号)1201岡山1213(山陽本線・5357M快速シティライナー)1229倉敷⇒倉敷駅前1310(レンタサイクル・茶屋町駅から下津井電鉄線の廃線跡)1535下津井駅跡1600(レンタサイクル・茶屋町駅まで下津井電鉄線の廃線跡)1855倉敷駅前⇒倉敷1910(山陽本線・5368M快速シティライナー)1926岡山1945(山陽新幹線・こだま672号)2021姫路2024(JR神戸線・840T)2039加古川

【帰宅】
この日は前日・金曜日までの連続残業が響いて8時に起床し、朝食後には、睡眠時に行っていたVHSビデオテープ→DVDへのダビング作業の後処理をしました。このVHS→DVDへの移し替えは、300本近くあるビデオテープを全てDVDへダビングする作業で、2003年のGWから約2年半かかりました。これでダビングは終了で、後は翌週にラベルを貼り付けて完了しました。

そして11時前に自宅を出発して加古川駅へ。『みどりの窓口』で倉敷までの乗車券と新幹線自由席特急券を購入してから改札を通り、まずはJR神戸線の新快速(223系4連×2)に乗りました。空いていたので座りました。
姫路駅からは山陽新幹線で一気に岡山駅まで移動しました。今回は『のぞみ45号』で、700系の先行試作車・C1編成の16連でした。自由席は空いていたので私はA席に座って並走する赤穂線などを見ながら20分の移動時間を過ごしました。
そして岡山駅では在来線(山陽本線)の列車に乗り継ぎました。列車は瀬野~岩国間が快速運転となる快速『シティライナー』で、車両も下関の115系2000番台と3000番台が混ざった4両編成でした。比較的乗車率が高かったので、私はドア脇で車窓風景を見ながら移動し、目的地である倉敷駅にて下車しました。ホーム側面は蔵の壁模様なのですが、当時の私は気付きませんでした…orz



イメージ 1

倉敷駅にて。当時は駅北側に「倉敷チボリ公園」がありました。

朝食は遅かったのですが、この後の日程のこともあり、駅構内の「マクドナルド」にて早めの昼食を済ませました。そして南口のぺデストリアンデッキの下にある駅レンタカーの営業所へ向かい、レンタサイクルを借りました。この時で13時。「5時間を超えたら追加料金を頂きます」と言われましたが、私の計算では13時過ぎに倉敷駅を出発して下津井まで行って倉敷駅まで戻ってくるのに約5時間と踏んでいて、少し飛ばせば問題ないレベルであると判断していました。
そして自転車が引き渡され、私は倉敷駅前を13時10分にスタートしました。

まずは商店街や美観地区を通り、市街地を出ると田園地帯を通り約35分、13時45分ごろに下津井電鉄線の起点駅だった茶屋町駅に到着しました。
その後はサイクリングロードとなった廃線跡を快調に走りました。ホーム跡は結構残っていました。
途中から丘陵地帯へと差し掛かり、上り坂もありましたが、追い風が強かったおかげで難なく突破できました。



イメージ 2

稗田駅跡にて。ホーム跡が残っていました。

そして児島地区へと入り、一部線路跡を外れた区間もありましたが、概ね線路跡を辿りながら15時頃に児島駅跡に着きました。児島駅跡を見学しようと思いましたが、車が多数駐車してあって駅跡に入居している下津井電鉄の旅行センターが休業中と思い、見学は諦めました…。そして児島駅南側から今度は1991年に廃止となった区間を辿り、15時35分ごろに下津井駅跡に到着しました。駅跡は、駅舎こそ撤去されていたものの、車庫には現役時に活躍していた車両が留置されていました。



イメージ 3

下津井駅跡にて。車両が留置されていました。

そして港へ移動してしばし休憩しました。しかし、下津井駅跡には30分ほど滞在してしまい、出発したのが16時05分、あと2時間5分で倉敷駅まで戻らねばなりません。写真撮影は往路で済ませたので、復路はひたすら自転車を漕ぐだけだと思っていました。

しかし、帰り道は北へ向かいます。冬の時期なので、今度は向かい風がきつくて思うように前へ進めません…。また、往路で撮影した個所もまた止まって写真撮影したりして、自分で自分の足を引っ張っていました…。そのせいで児島駅跡を通過したのは16時45分頃、あと1時間25分しかありません! 
さらに試練は訪れます。児島駅以北は一方的な上り坂で、しかも北へ向かっているので全然前へ進めません…。それでも残った体力を振り絞って気合いで自転車を漕ぎ続けました。そして日は暮れ、山越えをして林駅跡に着くころには真っ暗になってしまいました。その後も休憩せずに漕ぎ続けましたが、茶屋町駅に着いたのは18時ちょうど…。あと10分で倉敷駅まで戻るのは到底不可能で、私は急に力が抜けてしまいました…orz その後はさらに向かい風が強くなり思うように前へ進めず、また日没後は急激に気温が下がってきて寒気がしてきました。

しかも道に迷ってしまい、往路で通った道からは数百メートル北へ外れてしまいました。途中、偶然にも本屋があったので入り、道路地図で現在位置と倉敷駅の位置を確かめてから再スタート。運良く(?)ほぼ一本道だったのですが、自転車のスピードは徒歩と同じくらいまで下がっていました…。そして18時55分、予定より45分オーバーで倉敷駅前の駅レンタカー営業所に到着。レンタサイクルを返却の際は追加料金をしっかりと取られ、倉敷駅へと急げる体力がなかったのでスローペースで歩きました…。ちなみにレンタサイクルの料金は5時間まで400円、それ以上は2~3時間毎に250円刻みの追加料金が発生する料金体系だったと記憶しています。

倉敷駅からは往路と逆のルートで帰ります。岡山駅まで乗った山陽本線電車は、またも快速『シティライナー』でした。115系でしたが、2000番台か3000番台かは疲れのせいで記憶に残っていませんでした…。
岡山駅では山陽新幹線の『こだま672号』に乗り継ぎました。100系6連で、2列+2列シートでしかも車内はガラガラだったので快適に移動でき、体力が幾分回復しました。



イメージ 4

岡山駅にて2003年撮影。100系新幹線電車です(2005年当時は別塗装)。

そして姫路駅では、またもガラガラだったJR神戸線の普通(221系8連)に乗り継ぎ、無事に加古川駅にて下車できました。

加古川駅にて下車後は自宅へ直行しましたが、やはりスタミナが切れていて、いつもの倍の時間をかけて帰宅しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線は有りません

今回新たに自転車で訪問した廃線跡

路線名区間備考
下津井電鉄:下津井電鉄線茶屋町~下津井(21.0km)1991年全線廃止
(参考:Wikipedia)