第296回 小松島線の廃線跡や眉山ロープウェイを訪問 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

前回の続き…。

2004年10月16日、明石海峡大橋を渡る高速バスを利用して四国・徳島県へ。
日帰りの乗り鉄旅行に出かけました。

後半は徳島県内で廃線跡歩きやロープウェイ乗車を楽しみました。
今回の日程 2004年10月16日(土) 【後半】

徳島1200(牟岐線・4549D)1215中田(徒歩・小松島線の廃線跡)小松島港駅跡(徒歩・廃線跡)中田1430(牟岐線・4554D)1445徳島(徒歩)眉山山麓1500(眉山ロープウェイ)1506眉山山頂1515(ロープウェイ)1521眉山山麓(徒歩)徳島駅1600(高速バス『阿波エクスプレス70号』)1720高速舞子(徒歩)舞子1724(JR神戸線・普通)1733西明石1740(3275M新快速)1749加古川

【帰宅】
徳島駅にて昼食を済ませた後は、牟岐線の列車に乗ってさら南を目指しました。乗車したのは阿南行き4549Dで、1000形気動車の2両編成でした。私は千鳥配置のボックス席に座れましたが、発車直前には学生を中心に座席はほぼ埋まりました。
列車は定刻に発車し、市街地を南下します。やがて郊外の風景となり、徳島市から小松島市へと変わると中田(ちゅうでん)駅に到着。本心は牟岐線を乗りつぶしたかったのですが、『青春18きっぷ』の期間でもなく、費用面でも時間面でも厳しいものがあったので計画段階で断念。今回は中田駅で下車して、1985(昭和60)年に廃止となった小松島線の廃線跡を歩くプランにしました。



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中田駅にて。かつては当駅より小松島線が分岐していました。

中田駅を出て東側へと歩くと、牟岐線と並行した後に左へ分かれる遊歩道が延びています。これが小松島線の廃線跡で、私は周りの景色を見ながら遊歩道となった廃線跡を歩きました。途中には車掌車を使用したラーメン屋?がありましたが、小松島線とは関係なさそうです。また、沿道には中継信号機が残っていましたが、私はアホなことに撮影せず…orz これは後日撮影しに行きました。
そして30分ほど歩くと小松島駅跡に到着。駅跡は「小松島ステーションパーク」という公園へと変わっていて、園内にはC12形蒸気機関車とオハフ50形客車が静態保存されていました。当時の保存状態は比較的良好でしたが、屋根に覆われていなかったので、現在は陳腐化していないか心配です…。



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小松島駅跡は公園になっていて、SLと客車が保存されていました。

その後はさらに先へ。数分で小松島港仮乗降場に着き、南側にある公園で休憩しました。私の廃線跡探訪における教科書のような存在の『鉄道廃線跡を歩く』によると、1996年時点ではまだホームがバスの発着場として残っていましたが、2004年当時は既にホームが撤去され、車またはバスの待機場所のような停車スペースに変わっていました。しかし、小松島港仮乗降場にて小松島線と連絡していた和歌山行きの南海フェリーは1999年に四国側の発着港を小松島から徳島に変更し、ここ小松島ではフェリーの運航がなくなってしまいました…。また、私はここでも肝心の小松島港仮乗降場跡の写真を撮らずにそのまま引き返してしまい、こちらも後日にリベンジ撮影しました。
帰りは寄り道せずにストレートに廃線跡を歩き、約2時間で中田駅へ戻りました。

中田駅からは牟岐線の列車(1000形単行)に乗り、徳島駅まで乗車しました。単行だったので車内は混雑していて、私は最後部の位置で車窓風景を眺めていました。

徳島駅では再び改札を出て、今度は駅の正面やや右側に見える、映画にもなった「眉山(びざん)」に架かる眉山ロープウェイに乗るべく、徒歩で駅前の大通りを歩きました。途中には「さくらや」と書かれたカメラ屋がありましたが、東京にある「さくらや」とは無関係なようです。
そして歩くこと約10分、眉山の麓にある眉山山麓駅に着きました。駅舎は駅ビル?の「阿波おどり会館」になっていて、阿波踊り関連の展示や実演を行う文化施設です。ロープウェイ乗り場は5階にあり、私はエレベーターで5階まで上がりました。窓口で往復チケットを買い、早速改札を通りホームへ。搬器は小型のものが2台繋がっていて、搬器相互間の移動はできませんでした。また、座席は簡易型のものしかなかったように記憶しています…。山麓側の搬器が満員だったので、私は山頂側の搬器の前方中央に陣取り、前面展望をすることにしました。ロープウェイの上りで前面展望をしても、正面は山なので眺望的にはあまり面白くないのですが…。ロープウェイはほぼ満員の状態で発車し、3分後には中間地点で山頂駅からの搬器とすれちがいました。そして山麓駅を発車して6分後には眉山山頂駅に到着しました。

山頂では外へ出て、展望台から市街地を眺めたり駅周辺を少し歩いたりしました。その時、ふと頭に「眉山リフト」という言葉が出てきて、以前に見た古い地図に「眉山リフト」の表示があったのを思い出しました。そして駅近くで遺構がないか探しましたが、この時は見つかりませんでした…。こちらも後に調べた上で、後日再訪問しました(記事にもしました)。その後は、あまり長居をしても仕方ないと思い、駅へと戻りロープウェイに乗って下山しました。今回は山麓側の搬器が空いていたので、しっかりと徳島市街をはじめ吉野川や紀伊水道、さらには淡路島の諭鶴羽山地(ゆづるはさんち)の素晴らしい眺めを堪能しました。



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眉山ロープウェイからの眺めです。

そして山麓駅に到着後は、阿波おどり会館に寄らずにそのまま徒歩で徳島駅へと戻りました。阿波おどり会館はいつか見学しようと思っていますが、いまだ実現できていません…。

時刻は15時30分過ぎ。まだ帰るには早いかもしれませんが、行きと同じく帰りも乗り慣れない高速バスを利用するので、余裕を持ったスケジュールに設定していました。まずは駅前のバスチケット発売所で高速舞子までのチケットを求めました。今度はしっかりと「窓側席で」と要求したので、窓側席の指定を取れました。そしてバスのりばで待っていると、ほどなくして神戸・三宮行きの『阿波エクスプレス70号』がやって来ました。今回はJR四国バスによる運行便でした。その後すぐに運転手にチケットを提示して乗車し、指定された窓側席へ……確かに窓側席だったのですが、右側席でした…。なぜ右側席がダメかと言うと、大鳴門橋や明石海峡大橋では右側ですと中央分離帯側になるので、左側と比べて海をまともに見られないのです…。またも失敗しました…orz まぁ、また高速バスで徳島へ来ることもあるでしょうから、次回のリベンジを誓いました。

発車直前には約半数の席が埋まり、バスは徳島駅前を発車しました。交通量の多い国道11号線を北上し、松茂に停車した後に鳴門ICから神戸淡路鳴門自動車道へ。案の定、大鳴門橋や明石海峡大橋からの景色は右側の反対車線越しにしか眺められませんでした。そして明石海峡大橋を渡り終えて高速舞子バスストップに着きましたが、この時に私は景色をまともに見られない動揺からか、走行中に席を離れてしまい、当然ながら停車時に慣性の法則?によりかなり前へ体を持っていかれてしまい、転びそうになりました…。何とか怪我をせずに済みましたが、以後、バスでの下車時は停車してから席を離れるようにしています…。

高速舞子バスストップを下車し、今度はエスカレーターで道路の下へおりて舞子駅へ。『ICOCA』で改札を通り、ホームへ下りるとすぐに普通・西明石行き(201系7連)が来たので、これに乗車して西明石駅まで移動しました。車内はガラガラではないものの、空いていました。
そして西明石駅では新快速に乗り継ぎましたが、この新快速は223系の6連×2でした。223系6連は、現在では快速(普通)専用ですが、当時は新快速運用にも就いていました。車内は席が埋まるほどの乗車率でした。私は座り心地の悪い補助席に座り、加古川駅まで移動しました。
薄暗くなりつつあった加古川駅にて下車後は、そのまま帰宅の途につきました。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
JR四国:牟岐線徳島~中田9.2km
眉山ロープウェイ (眉山)山麓~(眉山)山頂 787m


今回新たに訪問した廃線跡

路線名区間備考
日本国有鉄道:小松島線中田~小松島港仮乗降場(1.9km)1985年廃止

(参考:JTBキャンブックス『鉄道廃線跡を歩くⅡ』、Wikipedia)