第257回 茨城県のローカル私鉄を乗りつぶし(1) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

前回の続き…

2004年のゴールデンウィーク、5月1日~5月4日は、
3泊4日の日程で東京方面の私鉄路線を中心に乗り鉄をしました。

今回は2日目、茨城県の中小私鉄路線を乗り鉄しました。中には既に廃止された路線もあります…。
今回の日程 2004年5月2日(日) 【前半】

中野坂上606(東京メトロ丸ノ内線)610新宿625(中央線・各停)639御茶ノ水641(中央・総武緩行線)642秋葉原644(山手線内回り)647上野700(東北→常磐線・3M特急『スーパーひたち3号』)810水戸821(水郡線→支線・525D)853常陸太田(徒歩)常北太田920(日立電鉄線)1007鮎川1038(日立電鉄線)1051大甕1055(常磐線・632M)1110勝田1124(茨城交通湊線)1150阿字ヶ浦1201(湊線)1228勝田

【後半へ続く】
この日は朝5時頃に起床して、朝食後、6時前に父親の単身赴任先のアパートを出発しました。そして中野坂上から東京地下鉄(東京メトロ)丸ノ内線で新宿まで移動しました。
新宿駅ではJRの『みどりの窓口』へ。この日は日立電鉄から乗り鉄する予定だったので、水郡線・常陸太田までの乗車券と上野~水戸の自由席特急券を求めました。そして中央線電車に乗りましたが、この時間帯は快速運転をしておらず、快速用の201系電車も緩行線を各駅停車で運転していました。早く上野へ行きたいのですが、電車は各駅に停車していきます…。そして御茶ノ水では当駅始発の総武緩行線電車(209系500番台10連)で秋葉原まで1駅移動し、さらに山手線内回り(205系11連)に乗り継いでようやく上野駅に到着しました。座席を確保するために地平の特急ホームへ走りましたが、時既に遅し…『スーパーひたち3号』(651系7連)の自由席は窓側席が全て埋まっていました…orz 仕方なく通路側の席に座りました。最終的に自由席はほぼ一杯となりました。列車は定刻の7時に上野を発車しましたが、通路側では景色もまともに見られないですし、まだ眠かったこともあり、まだ東京都内を走行中に眠ってしまいました…。

50分以上が経過し、偕楽園付近を走行中に目が覚めました。そして無事に水戸で下車することができました。水戸までの1時間10分はあっという間でした。相当数の乗客が下車しましたが、自由席は相変わらず乗客が多い状態で勝田へ向けて発車して行きました。



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水戸駅にて撮影。651系『スーパーひたち』です。

水戸駅では水郡線に乗り換えました。キハ110系の2連で、時間的にラッシュの逆方向の列車だからか車内は余裕があり、私は着席できました。そして列車は定刻に水戸を発車し、終点の常陸太田までのんびりと走りました。今回の区間は2年前に初めて乗りましたが、車窓風景をずっと眺めていました。そして定刻の8時53分に終点の常陸太田に到着しました。当時は昔ながらの駅舎が残っていましたが、その後常陸太田駅はリニューアルされました。



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2枚とも常陸太田駅にて撮影。現在はガラリと変化しています。

常陸太田駅を後にして、東側にある日立電鉄の常北太田駅へやって来ました。日立電鉄は2002年に1度乗りつぶしましたが、写真をほとんど撮っていなかったのと、2005年3月31日に廃止されると発表されたことから、もう一度乗り鉄した次第であります。窓口で1日フリー乗車券(900円)を求め改札内へ。元営団銀座線の車両や駅ホーム、留置されている電車を撮影してから鮎川行きの電車に乗りました。車両は2000形の2連で、車内は廃止も頷けるほどガラガラでした…。



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2枚とも常北太田駅にて撮影。

電車は定刻に発車し、ローカル風景の中を進んで行きました。途中駅での乗車は少なかったです。有名な撮影地であった高架橋の区間は乗っていては実感しづらかったです。久慈浜では10人以上が乗ってきて、勾配を上り大甕(おおみか)に到着。殆どの乗客が入れ替わりました。10分間停車だったので、私は一度改札外に出て周りの状況を確認し、すぐに車内へ戻りました。大甕から先は住宅地を走りましたが、乗客は少なかったです。車窓右側にはわずかに太平洋も見られました。そして常北太田から47分で終点の鮎川駅に到着しました。乗客は5人ほどで、ファンはいなかったです。



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鮎川駅にて撮影。すぐ横を常磐線が通っていて、415系電車が走っています。

鮎川駅では待ち時間の間に駅や周辺を写真撮影して、10時38分発の電車で大甕駅まで戻り、日立電鉄線に最後の別れを告げました。
大甕駅ではJR常磐線に乗り換えました。その際に東京までの乗車券を買いましたが、行先が山手線内になっていました。この時に山手線内の駅名標にある「□(しかく)に山」の表示の意味を知りました。また、当時は大甕~東京山手線内の乗車券で途中下車できましたが、今は大甕駅周辺も東京近郊区間に含まれたので途中下車はできなくなりました(はずです)。

大甕駅から乗車した水戸行き632Mは415系の4連×2で、鋼製車とステンレス車を併結していました。私はステンレス車に乗りましたが車内は混雑していて、私はドア脇の場所を何とか確保しました。先程乗車した日立電鉄線などを眺めながら移動し、勝田駅で下車しました。

勝田駅からは、こちらは日立電鉄線とは違い第3セクターの「ひたちなか海浜鉄道」へ移管されて存続したローカル鉄道、茨城交通湊線の乗りつぶしをしました。まずはJR駅構内にある茨城交通線の窓口でパズル付きの『湊線90周年記念フリーきっぷ』(900円)を購入しました。そしてすぐに列車に乗り込みましたが、気動車でした。茨城県は北部にある日立電鉄を除き石岡市柿岡の気象庁地磁気観測所の影響か、非電化の私鉄が多いですね。車両はキハ20系を期待したのですが、新型のキハ3710-02の単行で、3710(ミナト)とは洒落っ気があって面白いですね。乗客は10人程いましたが、私はロングシートの空いている場所に座り、体を窓の方へ傾けて車窓風景を楽しむことにしました。

列車は定刻に勝田を発車し、しばらくすると田園と丘陵が広がるローカルな風景の中を延々と走ったのが印象的でした。やがて市街地へ入ると左手に車両基地が見え、キハ20系列の車両が留置されていました。そして線内の拠点駅である那珂湊では半数の乗客が下車し、車内は閑散となりました。その後は海が見えるかなと期待したのですがわずかに見えたのみでした…。そして勝田から26分で終点の阿字ヶ浦に到着。乗客は4人のみでした。阿字ヶ浦駅は終着駅といった感じの駅でしたが、かつては海水浴の季節にJRから臨時列車が乗り入れていたのが嘘のようにひっりとした駅でした。



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2枚とも阿字ヶ浦駅にて撮影。

できれば海を見たかったのですが、時間の関係で折り返し列車に乗車して勝田駅まで戻りました。帰りは那珂湊での乗車が多く、勝田到着時点では20人ほどの乗客がいました。
勝田駅到着後は、ちょうど昼食の時間だったのでJRホームにある立ち食いそばの店へ入り、関西人らしく?そばとご飯ものを食べました。

この日は午後も茨城県の乗り鉄を続けました。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
茨城交通(※1):湊線勝田~阿字ヶ浦14.3km踏破達成!
(※1)2008年4月1日より『ひたちなか海浜鉄道』へ移管。

(参考:Wikipedia)