第222回 2003年の夏は東日本へ。吾妻線を乗りつぶし | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

2003年8月9日~8月13日、4泊5日の日程で東日本・北陸方面を乗り鉄しました。
今回より数回に分けてUPしていきます。
今回の日程① 2003年8月9日(土)

加古川1104(山陽本線・3303M新快速)1114姫路1126(山陽→東海道新幹線・ひかり184号)1510東京1527(京浜東北線)1557南浦和1607(京浜東北線)1618大宮1656(高崎線・3937M快速アーバン)1808高崎

【宿泊】
この日も起床は遅く、またもスロースタートとなってしまいました…orz 本当に勿体ないです。
自宅を出たのは10時半頃で、加古川駅に着いたのは11時前でした。まずは下りの新快速(223系12連)に乗り姫路まで移動しましたが、この頃の私は山陽新幹線の西明石~姫路の、いわゆる私の地元の車窓風景を新幹線から眺めたくて仕方ない状態でして、今回は東京へ向かうにもかかわらず新幹線は姫路駅から乗車しました。

姫路駅では一度改札を出て東京(都区内)までの乗車券と新幹線自由席特急券を購入し、再入場して新幹線ホームへ。ほどなくして東京行きの臨時『ひかり184号』が入線してきました。車両は300系16連で、この頃はまだ『ひかり』主体のダイヤで、300系は当然としても700系もよく使用されていました。私は2号車の禁煙自由席に向かいましたが、窓側席はすべて埋まっていました。結局通路側C席に座り、目的だった地元の車窓風景も眺められずじまいでした…orz 退屈していたら、ちょうど車内販売が回ってきたので、弁当を買うことに。九州で作られた幕の内弁当を買いましたが、関西から関東まで移動するのに九州の弁当を食べられるなんて、新幹線ならではですね。
そして新神戸で窓側E席に座っていた自由席の乗客が下車し、私はすかさずそのE席に移動しました。これで快適に旅ができます…。新大阪から東海道区間へ入ったところで私は先ほど買った弁当を食べました。すると急に眠くなり、起きつ眠りつの状態で東京までのひとときを過ごしました。



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東京駅にて2008年撮影。今月(2012年3月)に引退予定の300系です。
2003年当時は主力車両として活躍していました。

『ひかり184号』は15時10分に東京駅に到着し、私は京浜東北線に乗り換えました。そして北行の、記憶では南浦和行き電車(209系10連)に乗って風景を楽しみながら終点まで移動しました。南浦和では携帯電話やメールのチェックをしてから後続の大宮行きに乗り継ぎ、16時18分に終点の大宮駅に到着しました。そして私は改札外へ出ようと思い、精算所で「赤羽から…」と言おうとしたら「浮間船渡からね」と係員に言われました。私はこの時まで大宮へは埼京線の浮間船渡の方が近いとは全く気づいていませんでした…。乗り越し運賃は想定していたより少し安く済みました。



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大宮駅にて2008年撮影。2003年当時の京浜東北線は209系オンリーでしたが…。

大宮駅では駅の外に出て、駅前を散策しました。そしてこの日は高崎で泊まろうと思っていたのですが、新幹線で行こうか在来線の高崎線で行こうか迷いました…。そして数分間迷った挙句、金銭的負担の少ない高崎線経由を選択し、再び改札内へと入りました。その後ホームへ向かうと、上野方から211系5連×2の快速『アーバン』が入線してきて、私はこれに乗りましたが列の後ろの方だったので座席に座れず、ドア脇で車窓風景を眺めることとしました。



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大宮駅にて2008年撮影。快速『アーバン』で乗車した211系電車です。

高崎線は大宮発車後に見える大宮工場などの鉄道関連施設(この時点では鉄道博物館はまだありません)、熊谷駅や籠原駅付近を除けば住宅地中心のやや単調な車窓風景でした。鴻巣からはドア横の戸袋窓の部分の席に着席し、反対側の窓越しに車窓風景を眺めつつ高崎までの移動時間を過ごしました。そして定刻の18時08分、高崎に到着。列車は前橋まで足を延ばしますが、私はここで下車しました。

その後改札を出て、例の如く公衆電話へ。今回は2泊分については事前にインターネットでホテルを予約していたのですが、この日と翌々日については現地で探すことにしていました。そしてタウンページで探して、東口側のホテルを予約できました。これで一安心した後は駅前の『吉野家』で夕食を済ませ、翌日の朝食などをコンビニで購入してホテルへチェックイン。入浴後は連日の仕事の疲れもあって、21時頃には眠ってしまいました…。



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高崎駅東口にて撮影。現在はペデストリアンデッキが設置されて印象が変わっていると思います。

今回の日程② 2003年8月9日(日) 【前半】

高崎614(上越線→吾妻線・525M)804大前847(吾妻線→上越線・528M)1028高崎

【後半へ続く】
この日は前もってスケジュールを決定していたので、朝5時にモーニングコールで起床しました。そして朝食後ホテルをチェックアウト。高崎駅へ向かい、有人改札口で『青春18きっぷ』のスタンプが押されました。
ホームへ下ると、すでに本日乗りつぶす予定の吾妻線・大前行きの525Mが入線していました。しかし、車両はオールロングシートの107系2連…orz 初めて乗るのですが、北関東でこの車両に当たるとガッカリしてしまいます…。ちなみに車内はガラガラで、ロングシートの中央部分に座り、体を横にして車窓風景を楽しむことにしました。



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高崎駅にて撮影。この107系電車に乗って大前まで往復しました。

525Mは定刻の6時14分に高崎を発車し、渋川までは上越線を走ります。新前橋の車両基地や榛名山などを望めました。渋川からは吾妻線に入り、山間部の吾妻川の谷間を西へ進みます。夏なので駅に着くごとに蝉の鳴き声が車内にも聞こえてきました。そして川原湯温泉の手前では全長7.2mの樽沢トンネルをくぐりましたが、全然気がつきませんでした…orz ちなみに今回吾妻線を乗りつぶしたのは、現在建設か凍結かで問題になっている八ッ場ダムが建設された暁には線路が付け替えられて、現在通っている線路がダム湖の中に水没してしまうので何としても一度乗りつぶす必要があったからです。しかし、今も現在線を通っていますが…。
その後、草津温泉へはバスで乗換の長野原草津口では大半の乗客が下車し、1両当たり3~4人にまで減少しました。さらに終点1駅前の万座・鹿沢口では殆どの乗客が下車し、ついに私と鉄道ファンの男性の2人のみとなりました。最後はゆっくりと走り、高崎から1時間50分、8時04分に終点の大前に到着しました。無人駅だったので車掌に『18きっぷ』を提示しました。



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大前駅にて撮影。とても閑散とした感じの終着駅でした。

折り返し列車(528M)の発車まで待ち時間が結構あったので駅前を散策したりして時間をつぶしました。そして車内に戻り、発車を待ちました。発車時点では5~6人が乗っていました。
復路は駅毎に乗客が増えました。またも樽沢トンネルに気づかず悔しい思いをしていると、中之条でロングシートの座席がすべて埋まってしまい、車窓風景を望むのが困難になってしまいました…。さらに上越線との接続駅である渋川では多くの乗客が加わり、107系2連の528Mは満員状態になってしまいました。上越線区間では座りながらも混雑に耐え、定刻の10時28分に終点高崎着。ようやく苦痛から解放されました…。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
JR東日本:吾妻線渋川~大前55.6km踏破達成!
(参考:Wikipedia)