第216回 東海地方へ。天浜線を乗りつぶし。 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

2003年6月13日~15日の間、2泊3日の日程で久しぶりに東海地方へ。
乗り鉄などを楽しみました。
今回より数回に分けてUP致します。
今回の日程① 2003年6月13日(金)

加古川2027(山陽→東海道本線・3670M新快速)2119新大阪2133(東海道新幹線・ひかり178号)2243名古屋2250(東海道本線・2266F新快速)2253金山

【宿泊】
この日は仕事を終えてからソッコーで帰宅し、夕食・入浴後の20時頃に自宅を出発。加古川駅を20時27分頃に発車する新快速(223系1000番台8連)に乗り、新大阪まで移動しました。
そして新大阪からは東海道新幹線で一気に名古屋へ移動します。事前に金券ショップで購入していた『新幹線エコノミーきっぷ』を使用したので自由席しか利用できませんでしたが、ホームへ上がるとすでに乗車待ちの列が……結局、2号車後方のデッキで立席となりました…。通常運賃・料金より2,000円以上も節約しているので仕方ありませんが…。ちなみに私が乗ったのは名古屋行きの『ひかり』で、現在は風前の灯となっている300系の16連でした。名古屋までは1時間少々なのでデッキでも大丈夫かな…と思った矢先、京都で意外にも大勢の乗客が下車し、私は通路側のD席にありつくことができました。夜間で景色も見えないのもあり、仕事の疲れが一気に来て私は眠ってしまいました。そして目を覚ますと同時に終点到着前のメロディー(当時のバージョン)と車内放送が始まり、何とか無事に名古屋で下車できました…。
名古屋からは豊橋方面へ向かう新快速(313系4連)に乗り、1区間だけ金曜深夜の独特な車内のドア脇で過ごし、次の停車駅である金山で下車。この日は金山で宿泊しました。


今回の日程② 2003年6月14日(土) 【前半】

金山614(名鉄名古屋本線・特急)704豊橋709(東海道本線・5482M)718新所原736(天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線・116レ)948掛川1008(東海道本線・429M)1034浜松1105(939M)1139豊橋1145(名鉄名古屋本線・特急)1232金山

【後半へ続く】
この日は朝5時頃に起床し、6時前には金山駅へ向かいました。そして今度は名鉄の駅へ向かい、窓口で『名鉄電車2DAYフリーきっぷ』と豊橋までの特別車両券(ミューチケット)を購入。早速自動改札を通りホームへ向かいました。今までの名鉄の旅は自動改札非対応の『3・3・SUNフリーきっぷ』を使用することが多かったので、自動改札を利用できる今回のフリーきっぷはとても便利に感じました。
私は6時14分発の豊橋行き特急に乗車しました。『パノラマスーパー』の1000-1200系と1800系を併結した8連だったと記憶していますが、私は先頭1号車の展望席、それも最前列に座りました。しかも展望室は私一人の貸切状態で、壁越しに運転士の動作や点呼も聞こえてきました。神宮前発車後に車内改札を済ませ、6月なのですでに明るいダイナミックな車窓風景を楽しみました。梅雨時なので天気は悪かったですが…。そして国府駅付近を走行中に車掌が再びやってきて、ミューチケットを回収されました。豊橋駅をJR東海が管理しているための措置だそうです。金山から50分で豊橋に到着しましたが、展望室は終始私の貸切状態でした…。



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豊橋駅にて2010年撮影。『パノラマスーパー』の展望室最前列に座り名古屋から移動しました。

豊橋駅では一旦改札を出てJRのきっぷを買い、再入場して熱海行きの5482Mに乗車。現地では走らなくなったセミクロスシートの湘南色113系3連×2で、私はドア横のロングシートに座り、新所原まで移動しました。

新所原駅からは、戦前に東海道本線の迂回線・二俣線として建設され、現在は第三セクター鉄道となった天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線(以下:天浜線)の乗りつぶしです。窓口で片道方向のみ途中下車が可能な『天浜線みちくさきっぷ(1,200円)』を購入し、ホームへ移動して列車に乗ります。車両は旧型(とは言っても1995年製造ですが…)のTH3501で、乗客は3名のみだったので浜名湖を望める海側のボックスシートをいとも簡単にGETできました。



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新所原駅にて撮影。今は廃車となったTH3501です。

新所原を発車後はしばらく内陸を北へ走ります。途中の「アスモ前」駅は近隣にある企業の名前が付けられています。知波田付近からは浜名湖が見えるようになりました。みかんで有名な三ヶ日から東へ針路を変えてからも西気賀まで浜名湖を望むことができました。金指の手前では遠州鉄道奥山線の廃線跡の橋脚を確認。その後は山あいを進み、浜北市(現在は浜松市浜北区)に入り宮口からは比較的平坦になりました。そして遠州鉄道西鹿島線との接続駅である西鹿島駅では乗換客が多いと思ったのですが、意外に少なかったです…。その後は天竜川を渡り天竜市街(天竜市も現在は浜松市天竜区)を見ながら進むと天浜線の要衛である天竜二俣駅に到着しました。



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3枚とも天竜二俣駅にて撮影。駅構内には20系客車が雨ざらしの状態で留置されていました。


天竜二俣からも山あいの丘陵地帯を進みますが、少しずつ乗客が増えてきました。特に遠州森では10人近くが乗車しました。次の戸綿の駅前は何となく私の地元・兵庫県にある神戸電鉄粟生線の三木上の丸駅に雰囲気が似てるなぁ~と思いました。その戸綿や原谷などでも乗車が続き、たちまち座席が埋まってしまいました。天浜線は社名や路線名の天竜地区や奥浜名湖地区より、掛川地区の方が利用が多いのではと思いました。やがて列車は掛川市街を進み、東海道本線に寄り添うと終点の掛川に到着しました。余談ですが、この「掛川(かけがわ)」は私の住む「加古川(かこがわ)」と読みが1字違いです…。



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掛川駅にて撮影。

掛川からは在来線の東海道本線で浜松駅まで移動。113系の4連+3連でしたが混雑していたので私はドア脇で景色を眺めていました。終点の浜松では当然ですが一斉に下車。大都市圏に負けるとも劣らないすごい人でした…。その浜松駅ではお腹が減ったので『ロッテリア』で昼食。そして「夜のお菓子(夜に家族で一家だんらんのひとときを…との意味だそうです)」としても有名な浜松のお土産「うなぎパイ」を購入しました。 



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金谷駅にて2006年撮影。当時の東海道本線・静岡地区の主力車両であった113系電車です。

浜松駅からは再び東海道本線の電車(113系4連)に乗りました。今度はボックスシートに座れましたが、この頃の静岡地区は113系が当たり前のように走っていました…。車窓風景を眺めながら移動し、終点の豊橋で下車。今回は『名鉄電車2DAYフリーきっぷ』を持っているのでこのままJRでは移動せず改札内で名鉄線に乗り換えました。そして新岐阜(現在の名鉄岐阜)行き特急(1000系-1200系の6連)の一般車に乗車しましたが、豊橋発車時点ではまだ空席がありました。しかし東岡崎で座席は埋まり、知立発車後はドア付近に沢山の人がかたまっていました。あと、確か中京競馬場前に臨時停車したと記憶しています。そして金山では大勢の乗客とともに下車し、一度改札を出てこの日の後半戦に備えました。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
天竜浜名湖鉄道:天竜浜名湖線新所原→掛川67.7km踏破達成!
(参考:Wikipedia)