第192回 『嵐山もみじ号』に乗車&尼崎港線跡を歩く | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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2002年11月16日、この日は神戸発嵯峨嵐山行きの臨時新快速『嵐山もみじ号』に乗車し、東海道本線の貨物支線(山陰連絡線または山陰短絡線)の踏破を果たしました。
その後は尼崎へ戻って、尼崎港線の廃線跡(一部)を歩きました。
今回の日程 2002年11月16日(土)

加古川824(山陽本線・3212M新快速)850神戸908(東海道本線→山陰短絡線→山陰本線・臨時新快速『嵐山もみじ号』)1021嵯峨嵐山1023(山陰本線・2208M快速)1035京都1047(東海道本線・3311M新快速)1120尼崎(徒歩・尼崎港線の廃線跡)大物1210(阪神本線)1226梅田(徒歩)梅田1410(阪急神戸本線・特急)1422西宮北口1424(普通)1436御影(徒歩・石屋川トンネル跡)六甲道1507(東海道本線)1511三ノ宮1521(3341M新快速)1549加古川

【帰宅】
この日の起床は7時頃で、予定通りでした。8時頃に自宅を出発、加古川駅から新快速(223系12連)に乗って神戸駅で下車しました。そして、平日朝ラッシュ時しか使用されない1番線ホームへ向かうと、223系8両編成で運転される『嵐山もみじ号』はすでに停車していました。私は一度先頭車両へ向かいましたが、先頭部は既に複数のファンが陣取っていて断念。ガラガラの中間車両に乗って、嵯峨嵐山までの道中をゆったりと楽しむこととしました。



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『嵐山もみじ号』で使用された223系2000番台です(姫路駅にて撮影)。

『嵐山もみじ号』は定刻に神戸駅を発車しました。『新快速』なので三ノ宮、芦屋、尼崎、大阪、新大阪の順に停車していきましたが、高槻は通過しました。新大阪発車時には乗車率は5割程度になりました。そして、高槻付近を走行中に車掌が乗客に『嵐山もみじ号』についてのアンケート用紙を配布し、後ほど回収に来ました。

『嵐山もみじ号』は桂川を渡り、西大路駅の手前でポイントを渡って左側の線路へ。貨物駅の梅小路駅(現在の京都貨物駅)構内へ入りました。その後電車は一番左の線路へ。ついに東海道本線貨物支線(通称:山陰連絡線or山陰短絡線)へ入りました。そして高架橋を上がり始め、梅小路蒸気機関車館を望みながら左へカーブすると右側から山陰本線【嵯峨野線】と合流し、丹波口駅を通過しました。



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2010年、梅小路蒸気機関車館にて貨物支線を撮影。

その後は山陰本線をノンストップで走り、神戸駅から1時間13分で終点の嵯峨嵐山駅に到着しました。

せっかくここまで来たので、嵐山観光をしてから帰ろうと思いましたが、改札口に殺到する多くの乗客を見て駅を出る気がなくなってしまい、やむなく京都行きの快速電車(113系4連)で引き返しました。車内は混雑していましたが、私は何とかドア脇のポジションをゲットできました。そして京都到着時に、『嵐山もみじ号』の写真を撮り忘れたことに気付きましたが、後の祭りでした…orz

京都で運賃を精算した後は、本線の下り新快速(223系12連)に乗りました。帰ろうと思いましたが、やはり帰るには時間的にまだ早すぎるので、途中の尼崎で下車して、福知山線の通称:尼崎港線区間の廃線跡を少し辿ることにしました。

尼崎駅の南口を出て西側へ。本線をオーバークロスしていた部分から南側へ歩いて行きます。築堤はほとんど撤去されていたと記憶していますが、下の写真のようなレンガ積みの橋台が残っていました。



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しかし、これより先の廃線跡の大半は住宅に変わり、遺構といった遺構は発見できませんでした…。
その後、阪神電鉄の大物駅前にさしかかる時、踏切の跡(?)を発見しました。



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本当はもっと先まで行きたかったのですが、バテてしまい断念。大物駅から阪神電車(5000系4連)に乗って梅田駅まで移動しました。
そして梅田では買い物や食事をして14時過ぎまで滞在しました。

そして今度は阪急に乗って梅田を後にしました。久しぶりに神戸線の特急(7000系8連)に乗り、西宮北口まで移動。さらに普通電車(5000系8連)に乗り継ぎましたが、この電車は当時の阪急では珍しい女性運転士でした。そして途中の御影で下車しました。

御影からは坂を下りJR東海道本線の高架下へ。この付近は住吉~六甲道間ですが、私は六甲道を目指して歩きました。すると、線路は天井川の石屋川を渡るためにかなり高い高架線上を走るようになりますが、大昔はこの石屋川を橋で渡らずにトンネルを掘ってくぐっていました。この地点が、日本初の鉄道トンネルとして有名な石屋川トンネル跡です。現在は全く別物の道路トンネルが通っています。



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石屋川トンネル跡にて2010年撮影(東京方を望む)。

石屋川トンネル跡を通った後は六甲道駅まで歩き、六甲道駅からは普通(201系7連)と新快速(223系12連)を乗り継いで加古川へ。帰宅の途につきました。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
JR西日本:(東海道本線貨物支線)(京都貨物駅)→丹波口不明(参考記録)

今回踏破した廃線跡

路線名区間備考
国鉄:福知山線(尼崎港線)尼崎(仮)→阪神大物駅付近(約1.5km)1981年旅客営業廃止
国鉄:東海道本線住吉~六甲道間の石屋川トンネル跡1919年解体
(参考:Wikipedia)