第158回 嵯峨野観光鉄道線などを乗りつぶし | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

2002年3月14日、この日も『青春18きっぷ』を使用して、京都方面へ出かけました。
その中で、長年の(?)悲願だった嵯峨野観光鉄道の乗りつぶしをしました。

今回の日程 2002年3月14日(水)

加古川942(山陽→東海道本線・3304M新快速)1057京都1104(山陰本線・2203M快速)1117嵯峨嵐山(徒歩)トロッコ嵯峨1128(嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線・115レ『嵯峨野5号』)1151トロッコ亀岡(徒歩)馬堀1203(山陰本線・241M)1206亀岡1215(山陰本線・2212M快速)1235京都1305(山陰本線・2207M快速)1345園部1346(137M)1504福知山1515(437M)1553和田山1555(播但線・240D)1645寺前1648(670M)1728姫路1732(山陽本線・3648M新快速)1741加古川

【帰宅】
この日は前日の疲れもあり寝坊してしまい(いつものことですが…)、自宅を出たのは9時20分頃になってしまいましたorz
まずは加古川駅9時42分発の新快速・長浜行きに乗って、京都で下車しました。乗客の大半が大阪で入れ替わりました。
そして京都では山陰本線【嵯峨野線】に乗り換えて嵯峨嵐山まで移動しました。車両は113系4連で、確か湘南色の非リニューアル車と記憶しています。

嵯峨嵐山駅下車後、JR駅の西隣にある嵯峨野観光鉄道のトロッコ嵯峨駅へ。窓口で乗車券を求め、座席指定された乗車券を手に入れました。


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トロッコ嵯峨駅にて撮影。

そして一息つく間もなく列車がやって来て、私は5号車のボックス席に着席しました。このボックスには私ひとりだけでしたが、車内全体を見渡せば団体客などでそこそこの乗車率でした。

『嵯峨野5号』はDE10形ディーゼル機関車が最後尾に連結されていて、推進運転でトロッコ嵯峨を目指します。1駅目のトロッコ嵐山(乗降ともにゼロだったと思います)を過ぎるといよいよ山陰本線の旧線区間、保津川の峡谷を蛇行しながら走ります。私は景色に見とれていましたが、いつもながら写真撮影せず…orz 過去の私に「もっと写真撮れや!」と言ってやりたいです…。
代わりに、添乗員らしき女性が「記念撮影はいかがですか?」とカメラを持って登場。何も知らない私は「お願いします」と返して写真を1枚撮影しました。そして女性は「トロッコ亀岡駅でお渡しします」とだけ言って次の乗客の方へ行きました。

『嵯峨野5号』はトロッコ保津峡駅に停車。数人ずつの乗降がありました。引き続き保津峡に沿って走り、最後は亀岡盆地に出て山陰本線に寄り添い、トロッコ嵯峨駅から23分で終点のトロッコ亀岡駅に到着しました。トロッコ嵯峨駅からの乗客の殆どが終点まで乗り通していました。


イメージ 3

トロッコ亀岡駅にて撮影。

トロッコ亀岡駅を出ようとすると、出入口付近にボードがあり、そこに先程『嵯峨野5号』で添乗員の女性が撮影した乗客の写真が多数貼り付けられていました。私は自分の写真を指差して「これ下さい」と言うと、係の女性が「1000円です」と。……ハァ?と思った瞬間、女性は続けて「もしご購入されなくてもこちらで責任を持って廃棄処分を致しますのでご安心下さい」と。この場は廃棄処分という言葉に負けてしまい、1000円を出して写真を買ってしまいました…。客をあたかもサービスと勘違いさせて写真を撮っておいて、後から写真を「廃棄処分します」と客を精神的に揺さぶるという……しかしこれは詐欺まがいの商法にも思えて仕方ないのです。 車内では料金の事を一切言わずに撮ったのは客からしたら明らかにおかしいです! もしこれが合法か違法かと問われれば、客の同意を得て撮っていて、別に販売を強制してはいないので「合法」になるのでしょう。しかし、納得いかない商法です…。結局私は2004年にもう一度騙されてしまいましたが、その後は観光地などで業者がこの手の写真撮影をしようとして来た時は全て拒否しています。ただ、業者が「撮影・写真代が1000円」と客に対して事前に説明していれば問題はないと思います。

話が逸れてしまいスミマセン…トロッコ亀岡駅からは徒歩でJR山陰本線の馬堀駅へ。京都へ戻ろうとしましたが上り列車が発車した直後で、私はすかさずリュックから時刻表を取り出し、亀岡まで下り列車で行って上り快速で戻れば京都に早く着くことが判明。『18きっぷ』の乗り放題のメリットを活用して、前述のルートで京都まで戻りました。

当初はこのまま加古川へ帰ろうかと思っていましたが、まだ時間があり、せっかくの『18きっぷ』ももったいないので、時刻表を調べた結果、山陰本線→播但線のルートで加古川を目指すことにしました。そして駅のコンビニでパンを購入して、発車待ちの山陰本線【嵯峨野線】2207M快速(113系4連)の車内で食べました。

2207Mは立客も出るほどの混雑で京都を発車しました。嵯峨嵐山を過ぎると今度は新線区間を走り、嵯峨野観光鉄道の線路を見ながら保津峡を越えました。亀岡からは空席も目立ち始め、車窓風景もローカル色が濃くなってきました。そして京都から40分で園部に到着し、1分の接続で137M福知山行きに乗り継ぎました。137Mは113系の2連だったと記憶しています。私は運よくボックスシートの前向き窓側に座れましたが、乗車率は各ボックスに1名程度でした。

137Mは園部を発車し、ローカルムードの濃い山里を走ります。途中の胡麻では長時間停車して上下線の特急『きのさき』を待避しました。胡麻から先は由良川の支流、そして本流に沿って山の中を走り、やがて市街地が現れて舞鶴線と合流すると綾部。乗客が一気に増えました。綾部から複線になり盆地内の田園地帯を走ります。そして再び市街地に入り、福知山線と合流すると間もなく福知山駅に着きました。
当時の福知山駅はまだ地上駅で、昔ながらの拠点駅の雰囲気が色濃く残っていました。


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福知山駅にて撮影。

福知山からは山陰本線をさらに西へ。437Mの車両は113系2連、通称『サンパチ』でした。前面デザインは旧型国電を彷彿とさせ、ダサい印象でした。車内は1ボックスに1名ほどの入りで、私はボックスシートの窓側席をゲットできました。

福知山を出て北近畿タンゴ鉄道宮福線が分かれると山里を西へ走ります。そして兵庫県に入り、福知山から38分で和田山に到着。そして大急ぎで播但線の寺前行きに乗り換えました。2分の接続で和田山を発車した240Dは、キハ47形を両運転台に改造したキハ41形を2両つないだ編成で、私は何とかボックス席にありつけました。

播但線は、恥ずかしながらこの時が初乗車で、沿線の景色を必死になって見ていました。生野を過ぎて深い山間部を越えると寺前に着きました。


イメージ 5

寺前駅にて2009年撮影。

寺前でも3分の接続で670M姫路行きに乗り継ぎました。車両は103系の2連+2連で、私はガラガラの状態の最後尾の車両に乗りました。ロングシート車なので、横向きに座って車窓風景を眺めました。野里からは姫路市街に入り、姫路城を遠望しつつ和田山から約1時間半で姫路に到着しました。地上駅だった当時、播但線は東側の行き止まり式ホームから発着していました。

そして姫路からは山陽本線の3648M新快速に乗って加古川へ。17時41分に到着しました。
加古川到着後は寄り道をせずに家路を急ぎました。

(つづく)


路線名区間距離備考
嵯峨野観光鉄道:嵯峨野観光線トロッコ嵯峨→トロッコ亀岡7.3km踏破達成!
JR西日本:山陰本線馬堀~亀岡2.1km
JR西日本:山陰本線馬堀~嵯峨嵐山7.8km
JR西日本:山陰本線亀岡→綾部56.0km
JR西日本:播但線和田山→姫路65.7km踏破達成!
(参考:Wikipedia)