野上電気鉄道野上線の廃線跡(和歌山県。1994年廃止、2009年訪問)【野上電鉄】 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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下佐々駅近くにて静態保存されている野上電気鉄道の車両です(車番は不明)。

  

今回は、2002年3月に訪問し、2009年4月に再訪問した、和歌山県海南市の日方駅と紀美野町(当時は野上町)の登山口駅を結んでいた野上電気鉄道野上線の廃線跡を簡単に紹介します。

  

尚、今回は遺構にはあまり触れずに、できるだけ沿線風景を織り込んだ構成にしています。
ご了承下さい。

  
 

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(Yahoo!地図を使用)  

  

  

路線名   区間   営業キロ  備考  
野上電気鉄道:野上線  日方~登山口  11.4km   全線単線。直流600V電化。1994年廃止  
  
  
初訪問時   2002年3月  
撮影時   2009年4月  

  

  

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起点の日方駅跡は更地になっていました。
かつては構内が広く、車庫もありました。


 

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日方駅から80m南へ、JR紀勢本線の海南駅との乗り換え用に設けられた連絡口駅跡付近にて。
連絡口駅は実際には日方駅の構内扱いで、日方~連絡口のみの乗車は原則不可能だったそうです。
こちらも施設が撤去されたのでしょうか?

  

連絡口駅を発車するとすぐに左へカーブし、東へ針路を取りました。
この付近(海南駅東口)は再開発が進み、今頃は当時の面影がなくなっているかもしれません。

  
  

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しばらくすると、廃線跡がアスファルトで舗装された状態になって現れます。
ここから沖野々駅跡までの間は「健康ロード」と称して、海南市(?)によって大部分が整備されています。

 

しばらくすると舗装の形態が変わり、いかにも遊歩道・サイクリングロードといった感じになります。


 

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春日前駅跡は公園になっていました。
また、幡川駅跡も公園が整備されていました。
ちなみに両駅跡とも、野上電気鉄道の電車のイラストが掲示されています。

 

その後も「健康ロード」は続きますが、途中でアスファルト舗装に後退し、
さらに一部区間では廃線跡の用地に住宅が建っています。
そこを迂回すると、再び廃線跡の「健康ロード」が現れ、公園が整備された重根駅跡を通過します。


 

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重根駅跡を過ぎると上り勾配がきつくなり、切り通しを通過します。
切り通しには大正時代に造られた橋が今も架けられています。

 

切り通しを越えると下り勾配になり、やがて平坦になると紀伊阪井駅跡で、ここも道路用地が広くなっているので駅跡だと分かります。
その後も民家の裏手を走り、国道370号線に寄り添います。この先しばらくの間、廃線跡は国道の歩道として利用されています。


 

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駅跡がどこにあるか分かりにくい沖野々を過ぎると下り勾配になります。
切り通しには国道と廃線跡の両方を跨ぐ陸橋が架けられています。

 

ちなみに沖野々で「健康ロード」は終了します。


 

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勾配を下り終えると貴志川の橋を渡ります。
現在は新しい橋に架け替えられていますが(橋脚・橋台は未確認)、最近まで野上線の橋梁が残存していました。
道路を走っているのは代替バスの大十オレンジバスです。


 

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貴志川を渡り終え、野上中駅跡付近からは廃線跡が2車線のバイパス道路に変わっています。
同じような景色が北山駅跡、海南市から紀美野町に入って八幡馬場駅跡と続きます。

 

八幡馬場駅跡を過ぎるとバイパス道路は終わり、この先は単線分の幅の細い道になります。はじめはアスファルト舗装ですが、やがて未舗装の道に変化します。そしてこの区間でもバイパスの建設工事でしょうか、工事が行われています。いずれは野上中~登山口の廃線跡がすべて2車線の道路に変わってしまうかもしれませんね。


 

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そしてすぐに紀伊野上駅跡に到着します。相対式ホームの跡が左右に残っていて、当駅では最後まで列車交換が行われていました。

 

紀伊野上駅跡を過ぎてしばらくすると線路跡に柵が設置されていて、通行不能になります。
仕方なく高台を走る国道へ迂回します。


 

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途中、小さな橋梁を発見しましたが、板で覆われています。
危なっかしくて、とても板の上を歩く気分にはなれませんねぇ~。


 

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紀伊野上~動木間の貴志川沿いの大カーブにて。廃線跡は草が生い茂っています。
この付近は撮影名所だったそうですね。

 

カーブを終えた後に鉄橋を渡っていましたが、この鉄橋は残存していました。
そして動木(とどろき)駅跡に着きますが、私が駅の存在を忘れてしまい、駅跡には行けませんでしたorz


 

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動木駅跡を過ぎるとトンネル(どうやら跨線橋のようですが)をくぐりますが、比較的新しい印象を受けました。
もしかしたら将来的には2車線道路がここを通るようになるのでしょうか?

 

トンネルを過ぎるとまた柵があり、道路を跨ぐ橋が通行不能になっていました。


 

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橋を迂回して再び線路跡に入ると、そこが龍光寺前駅跡でした。ホーム跡が残っています。

 

龍光寺前駅跡を過ぎるとしばらくの間は貴志川沿いの断崖を走りますが、やがて線路跡が2車線の道路(2009年時点では建設中)に変わります。
そして下佐々駅跡付近からは平坦になり、のどかな風景の中を進みます。


 

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下佐々~登山口にて。

 

元阪神の31号車が静態保存されている公園付近からは2車線道路が整備されていて、元鉄道路線らしい緩やかな左カーブを描きながら貴志川沿いを走ると程なくして終点の登山口駅跡に到着します。


 

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登山口駅跡にて。左側の大十オレンジバスの車庫にはホームの跡が残っています。


 

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登山口駅跡は鉄道代替バスを運行する大十オレンジバスの車庫になっています。
駅舎はこの付近にあったそうです。


 

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(おまけ)
下佐々~登山口間の沿線にある公園には、
元・阪神電気鉄道の1130号であったモハ30形31号が静態保存されています。
  
また、当記事の一番上の写真は、
下佐々のNTT西日本野上別館や田臥医院の近くにて静態保存されている車両です(車番不明)。

  

  

あとがき(2011年時点)  

私が野上電気鉄道野上線の廃線跡を初訪問したのは2002年3月。当時は遺構がまだまだ残っていましたが、いつもながら写真を撮らずorz
そこで、2009年に再訪問をして写真を撮りまくりました。やはり7年の歳月は長く、沿線の雰囲気もだいぶ変わってしまっていました。
動木駅跡付近など、取り(撮り?)こぼしが多かったのが悔やまれますが…orz

  

今後は野上中~登山口間の廃線跡がすべてバイパス道路に変わってしまう可能性もあります。
野上電気鉄道野上線の廃線跡を訪問されるのは今のうちが良いかと思います。

  

  
アクセス(2011年時点)  

JR海南駅改札外の海南市物産観光センターにてレンタサイクルの貸し出しあり。
(1日/9:30~17:30⇒1,000円、3時間以内は500円)。

  

また、鉄道路線に概ね並行して代替バスの大十オレンジバス(海南駅前~登山口)が運行しています。
(30分~1時間毎の運行で時刻は要確認。海南駅前~登山口の所要時間は30分)。

  
  

のりかえ  

乗換駅   乗換路線  
連絡口駅   JR西日本(海南駅):紀勢本線【きのくに線】  
  
(参考:宮脇俊三編著『鉄道廃線跡を歩くⅤ』(JTBキャンブックス)、海南観光ナビ、Wikipedia)