“不滅の父と子” 〜子連れ狼 最後の闘い ③〜 | サト_fleetの港

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ブログで取り上げる話題はノンセクションです。
広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


阿部頼母は、手に入れた
封廻状を持って江戸城に登城していた。
そして、公方に謁見して封廻状のからくりを暴露し、柳生烈堂が陰で幕府を操っていると訴えた。
封廻状は京都所司代や各藩藩主が直接将軍や老中に宛てた書簡だが、
書かれた文書とは別に、柳生が全国に張り巡らせた “草” と呼ばれる忍びのネットワークを使って集めた秘密情報が隠されていた。



本来、封廻状は将軍や老中らが目を通したあと奥御祐筆 (おくごゆうひつ) ※注釈1 に下げ渡され、
とくに保存すべきもの以外は、日付や差出人を記録してから廃棄されることになっていた。

しかし、奥御祐筆内にも草を潜入させていた烈堂は、

そこから文書を入手し、秘密の通信を読み取って諸国の情報を収集していたのだ。

公方は奥御祐筆組頭の中川にことの真偽を詰問するが、中川は答えることなくその場で自害する。
公方は頼母の訴えを信じ、烈堂の召喚を命じた。

その夜、烈堂の屋敷には、くのいち姿の中川の娘が密かに訪れていた。
父が下城しない時は、烈堂のもとに参上するようにと教えられていたからだった。
身に危険が迫っていると察した烈堂は、中川の娘に “奔草の狼煙” (ほんそうののろし) をあげるよう命じ、江戸城に向かう。

奔草の狼煙とは花火状の狼煙で、

諸国六十余州に根を張るように、素性を隠して代々活動している柳生の草を招集する緊急信号である。

これを見た草は、リレー方式で隣国の草に同じ方法で招集を知らせることになっていた。




登城した烈堂はさっそく幕閣の評定にかけられたが、のらりくらりと追及をかわし、

封廻状に関しては一切身に覚えがないとシラを切り通した。

日間におよんだ評定で幕閣は疲労の極に達し、

業を煮やした公方は烈堂を謹慎の身として江戸城内に幽閉した。

そして、頼母にその監視役を命じた。

頼母は食事に毒を入れて烈堂に出すが、

毒が入っていることは百も承知の烈堂は食べようとしない。

何も食べなければやがて衰弱死する。

それを狙っている頼母であった。




だが、烈堂は六日経っても衰弱した様子はない。

静かに瞑目して正座している。

それもそのはず、

江戸城に潜入した草が、飲まず食わずでもしばらく生きながらえる秘伝の丸薬を密かに烈堂に渡していたのだ。

奔草の狼煙を見て諸国から参集した草たちが、烈堂の周りで活動し出していた。

烈堂の反撃がはじまった。

烈堂は天井裏に潜む草に、頼母が管轄する江戸城配膳所に火を放てと指示する。

公方が紅葉山東照宮に参詣する日、配膳所から火が出た。

邪気を嫌うこの日にボヤを出した責任を問われ、頼母は切腹を命じられる。



八丁河原の拝一刀は、中川の娘から

「あるいは死参」との烈堂の伝言を受け取っていた。

“死んで参る” とは、烈堂の身に異変が起こっているに違いないと感じた一刀は、

「義には義をもって返さねばならぬ」

と、烈堂の消息確認のため江戸城に潜入することを決意する。




折からの山王祭り (天下祭り) の神輿行列に紛れて江戸城内に入るべく、

一刀は祭りを差配する町年寄に会って承諾を得る。

この祭りの日だけは、将軍家も氏子であるとの考え方から、神輿行列の町人衆が江戸城内に繰り込むことが許可されていたのだ。

一刀は裃 (かみしも) を着けて行列の先頭に立って江戸城に入った。

ところが、とくに変装しているわけでもないのに、城中の侍たちは誰も一刀に気付かない。

そればかりか、

「拝一刀」と名乗っても、みな黙礼をするのみで、その行く手を阻もうともしない。

常に生死を超越したところに身を置いている一刀は、周囲を圧倒する気迫と品格をもっていた。




その頃、頼母は城中で切腹の時を待っていた。
死の恐怖を紛らわせるため酒をあおったり、切腹の前に自分の毒で死のうとしたりするが、
結局死にきれず、泣きわめくばかりの頼母であった。
そこへ一刀が現れ、驚く頼母から烈堂の居場所を聞き出す。
自分を逃がしてくれと追いすがる頼母を振り払い、

江戸城の奥の御用部屋に行き着いた一刀は、そこに幽閉されている烈堂と対面する。
「わが魂は八丁河原にあり」
「同じじゃ、されば待て一刀」
再戦を誓う短い会話を交わし、二人はまた別れていった。



夜になった。
切腹の場に引き出された頼母は、土壇場になっても覚悟ができていなかった。
最後に辞世の句をと促され、涙ながらに口をついて出たのは、“ねんねんサイコロ・・・” の毒屋の子の歌であった。
柄を付けず紙を巻いた九寸五分 (約30㎝) の切腹用の短刀が運ばれてきても、
往生際が悪い頼母は抵抗して切腹しようとしない。
とうとう、立ち会いの侍たちに取り押さえられ、腹に切腹刀を突き立てられる。
絶叫とともに断末魔の形相で立ち上がった頼母は、腹の切腹刀を抜き取り、周りの侍たちを斬って暴れまわる。


   


最後の最後まで見苦しい頼母であったが、そこに一刀が現れる。
元公儀介錯人の登場に、頼母はついに観念し、
「あんたや烈堂より先に死ぬことになるとは・・・」
と嘆くように呟く。
一刀の振り下ろした白刃がきらめく。
ここに、阿部頼母の数奇な運命は潰 (つい) えた。

冴え冴えと輝く月光の下、一刀は江戸城をあとにした。




一方、烈堂は公方の疑惑と怒りを解くため、密かにある行動をとった。

深夜、草が監視の侍を眠らせている間に謹慎中の部屋を抜け出し、

御長屋御門近くの井戸端で水を浴び、将軍家の安泰を祈願していたのだ。

これを目撃した者がこのことを公方に伝えると、公方はいたく感動し、烈堂の謹慎を解いた。

最初からこうなることを目論んで、烈堂はひと芝居打ったのだ。

烈堂は下城すると柳生屋敷に戻った。


江戸には、急きょ諸国から呼び集められた草たち二百余名が集結していた。

すでに表裏あわせた柳生門下の者たちも黒鍬衆も全滅している中、

草の集団は烈堂が頼りとする最後の部隊であった。

このことは とりも直さず、諜報活動の根幹をなす草まで動員せねばならぬほど、

柳生の危急存亡の時であることを示していた。

屋敷に集まった草たちを前に烈堂は、

柳生の存続に障害となる一刀父子をいかなる手段を用いても倒せと下知する。




それからしばらくして、

八丁河原の一刀のもとに研ぎ師の八兵衛という男がやって来た。

烈堂の依頼で胴太貫 (同田貫) を研ぎにきたのだという。

大事な対決を前にしての烈堂の配慮と思った一刀は、疑いなく胴太貫を八兵衛に渡す。

八兵衛が川の水で刀身を研ぐ様子を、大五郎がじっと見つめていた。

ひとしきり研いだあと、

刃に目に見えないほどの錆があったので落としておいたと言って、八兵衛は研ぎ上がった胴太貫を一刀に渡す。

一刀もその仕上がりに満足した。


八兵衛が一刀のもとを立ち去ろうとした時だった。

突然、背負った道具箱から刀を取り出し、大五郎に斬りかかった。

「草か!」

間一髪、一刀が八兵衛を斬る。

大五郎は無事だったが、一刀は気付いていなかった。

草である八兵衛は、一刀の胴太貫を研ぐふりをして、斬り合いの際に折れるよう細工をしていたのだ。




早朝から、草たちの波状攻撃が始まった。
まず、体に爆薬を仕込んだ第一波が来襲した。
たとえ斬られても、自爆することにより一刀を道連れにしようという戦法である。
襲い来る人間爆弾の攻撃を、
一刀は予め掘ってあった穴 (塹壕) に飛び込んで防ぎ、
あるいは草むらに身を隠しながら迎え撃った。
次々に斬られ、爆死していく草たち。
やがて自爆攻撃が収束すると、
第二波が古代中国の兵法書『六韜』(りくとう) にある “烏雲の陣” (ううんのじん) で攻め立ててきた。
これは、カラスの如く飛翔し雲の如くに変化する陣形で、
自爆攻撃に使う爆薬も尽きた草たちが行う最後の総攻撃であった。
忍者刀をかざして突撃してくる草たちと、胴太貫を振るって闘っていた一刀だったが、
激しい剣戟 (けんげき) のさなか、ついにその刀身が折れてしまう。
すべては、一刀の胴太貫を折るための力攻めだったのだ。



刀が折れながらも獅子奮迅の闘いぶりを見せていた一刀も、
左肩に一太刀を浴びて深手を負う。
それでも一刀は、すべての草を討ち取った。
最後に斬られた草が今際のきわに、
胴太貫を折るのは烈堂ではなく草が考案した策だったことを明かし、これを卑怯と言うかと一刀に問うた。
一刀が答える。
「戦いに策あるは当然、それに気付かなんだは我が失策」


草の総攻撃を退け、一刀は庵の中で傷ついた体を横たえていた。
それを、大五郎がかいがいしく手当てする。
いくらか持ち直した一刀は、河原に出て大五郎とつかの間の平穏な時を過ごした。
「川は海に注ぎ波となる。人の命は寄せては返す波と同じで絶えることはない。
生まれ変わりたる次の世でも、その次の世でも我らは父と子、我らは永遠 (とわ) に不滅の父と子ぞ」
大五郎にそう言って聞かす一刀。
この言葉は、死を予感した一刀の遺言のようでもあった。

そこに、いずこからともなく流れる尺八の音 (ね)。
それは、死んでいった者たちへの弔いであるかのように もの悲しく聴こえた。
現れたのは、槍を携えた虚無僧姿の烈堂だった。



刀を折られた一刀に、草の帯びていた刀をとって闘えと言う烈堂。
だが、一刀はそれを拒否し
「草の刀で柳生の幹を斬り倒しては、枯れゆく草が浮かばれまい」
と、折れた刀のままで烈堂と向き合う。

ついに、一刀と烈堂が雌雄を決する時が来た。
激しく突き出される烈堂の槍。
それを一刀は槍止めの技で止め、奪い取る。
奪われた槍で一撃された烈堂は胸をしたたか斬られ、血がほとばしる。
烈堂は腰の刀を抜き、槍を構えた一刀に斬りかかる。


  

 


しかし、この時すでに一刀の体からは力が萎えようとしていた。
手から槍を落とし、膝をつく一刀。
すかさず烈堂が斬りつける。

反射的に身を起こした一刀は、無刀取りの極意でその刃を受け止める。

大五郎も父の加勢のため烈堂の足にしがみつく。
それを烈堂は振り払うが、大五郎は何度もしがみつき、父を斬らせまいとする。

そして一刀は、体を右に左に転回させると、烈堂の刀をねじり取った。
息つく間もない闘いが続く。

 


  


八丁河原の対決の成り行きは、江戸の人々の耳目を集めていた。
それは、公方とて例外ではなかった。
江戸城では、烈堂の助太刀に行くと息巻く公方を幕閣が必死に止めていた。
公方自らが現場に向かえば、天下の一大事と、旗本や大名たちが不穏な動きをしかねないからである。
それでも、居ても立ってもいられない公方は、お忍びの馬攻め※注釈2 と称して八丁河原に向かった。
だが、公方に同行する供の者たちは、
とてもお忍びとは思えない人数と物々しさであった。

八丁河原の死闘は延々と続いていた。
一刀と烈堂、ともに手傷を負っており、
一つの刀を奪い合っての闘いは、いつ果てるとも知れなかった。
一刀が振り下ろす刀を烈堂が白刃取りで止め、奪い返す。
今度は烈堂が斬りかかれば、一刀がまたその刃を受け止めて奪う。
この両者死力を尽くした闘いに、八丁河原に駆け付けて見守る公方は、
騎乗した馬の鐙 (あぶみ) から足を外すという武士として最高の礼で敬意を表した。



烈堂は、一刀が振り下ろした刀を眉間の寸前で両掌で止めていた。
そのうち、
烈堂も大五郎も一刀の様子がおかしいことに気付く。

烈堂が刃を挟んでいた掌をそっと離した。

が、刀は静止している。


一刀は、刀を握った体勢で立ったまま絶命していた。



 


「ちゃーん!」

大五郎の悲痛な声が響いた。

一刀の体は静かに傾き、前のめりに倒れた。

“子連れ狼” の壮絶な最期であった。


拝一刀と柳生烈堂の宿命の対決に終止符が打たれたかに見えた。

だが、宿敵を倒した烈堂は、なおも立ちつくしている。

その時、大五郎が落ちていた槍を手に取った。

そして、涙をこらえて烈堂めがけて突進していった。

烈堂は、それを避けようともせず両手を広げている。

大五郎の槍が烈堂の胴に突き刺さった。

すると烈堂は、槍を握った大五郎を抱き寄せた。

槍の切っ先が烈堂の体を貫く。


 


「わが孫よ・・・」

烈堂はそう言って大五郎を抱き上げた。

それは、これまでの闘いを通じて烈堂が大五郎に抱いた感情からきた言葉だった。

言ってみれば、敵ではあるが “戦友” のような存在、大五郎が幼少なので “わが孫” と表現したのだろう。

なんとしてでも一刀父子を倒すと敵愾心に燃えていた烈堂も、

長い修羅の日々の末、恩讐を越えた感情が芽生えていたのかもしれない。


いずれにしても、

ここに、一刀父子と柳生一族の長年の対決は幕を閉じたのであった。※注釈3




 




【注釈】
1. 幕府の公文書を作成する役職である祐筆のうち、さらに機密性の高い文書の作成や管理にあたる役人および部署。

2. 馬を乗りならすこと。

3. 同じ小池一夫原作の『新・子連れ狼』(2003-2006年 週刊ポスト連載) には、このあとが描かれている。
抱き上げた大五郎を降ろしたあと、烈堂は刺さった槍を引き抜き、息絶える。