“もののふの道” 〜子連れ狼 最後の闘い ②〜 | サト_fleetの港

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広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


拝一刀を謀反人と信じる公方 (くぼう=将軍) は、
一刀が江戸に入ったとの知らせに、それを阻止できなかった烈堂を叱責する。
そして、新たに公儀 御口唇役 (おくちやく) の阿部頼母 (あべ たのも) を貸し与えるので、十日以内に一刀を始末するようにと命じる。

御口唇役とは公方の毒見役のことで、阿部頼母は毒薬の知識を活かして一刀を倒し、
さらに烈堂も倒して、柳生に代わって幕府を陰で操ろうと目論む。
一方の烈堂も、もし頼母が毒の力をもって先に一刀を倒すようなことがあれば、

即座に頼母を抹殺し、あくまでも幕府内における柳生の地位を守る構えだ。


ここに、一刀父子、烈堂、頼母の三つどもえの死闘がはじまった。





烈堂は残った門弟たちを集め、
柳生の総力を挙げて一刀父子を探しだして討つと、決意のほどを明かす。

その頃、江戸の市中は、阿部頼母が手を回し、飯屋、米屋、八百屋など飲食に関する店にくまなく一刀父子の手配書が配られていた。
もし、一刀父子が立ち寄れば頼母に連絡が行くようになっていたのだ。
探索の手を逃れるため、一刀は人通りのない大川 (隅田川下流) 沿いを進んでいた。

頼母がアヘンを使って思いのままに使役している夜鷹 ※注釈1 たちが一刀父子を発見した。
夜鷹たちは、なんとか一刀を油断させて討ち取ろうとするが、
一刀は付け入る隙を見せない。

 


そこで、浪人姿に変装した頼母が応援に赴く。
頼母は、毒薬使いに加えて変装も得意としていた。

一刀父子に接近することに成功した頼母は、焚き火に眠り薬をくべ、一刀父子を眠らせる。

その上で夜鷹たちに一斉に襲わせたものの、

一刀は眠ったままで気配を察し、抜刀して夜鷹たちをことごとくなで斬りにした。
「拝一刀は化け物じゃ!」
見ていた頼母は恐れをなして屋敷に逃げ帰る。
「一人では恐ろしくてかなわん」
と、腰元二人を招き入れて布団をかぶって震える頼母。

そこへ、不意に烈堂が訪ねてくる。
頼母は平静を装って応対しつつ、この機をとらえて烈堂を毒殺しようと試みるが、そんな手にひっかかる烈堂ではなかった。

逆に一刀の件から手を引くよう刀を抜いて頼母に迫る。
失禁して恐れおののく頼母を見て烈堂は、侍にあらずとあざ笑う。
そして、柳生に取って代わって幕府を牛耳ろうとしたことを血書に書かせると、
それを公方に見せ、切腹を賜るようしておくので屋敷から一歩も出るなと言って立ち去る。



切腹などしてたまるかと、頼母は降り出した雨の中、
腰元たちに担がせた駕籠に乗り、慌てふためいて屋敷を脱出する。
そのあとを、烈堂と柳生一門の門弟たちが追う。



  


馬に乗った烈堂と、走って従う門弟たちの一団は、重い頼母を乗せて進む駕籠に追いつくが、
毒まきびしと腰元たちの抵抗で時間を取られる。
頼母を逃がそうと、文字通り体を張った抵抗を見せる腰元たちだったが、次々に烈堂に斬り伏せられる。
「哀れ、これほどまでにして護る男でもあるまいに」
と呟く烈堂。
その間に頼母はまんまと逃走し、
一刀父子の箱車の轍をたどってその居場所を突き止めていた。


余談になるが、以前このブログで、
『子連れ狼』第3部は家族が安心して観ることができる内容にしたようだと書いたが、阿部頼母の登場回は例外だ。
頼母の配下はなぜか女人ばかりで、しっかりとエロいシーン満載である。
その女人たちに護られるようにして権勢を振るう頼母は、目的のためなら卑怯な手段も平気で使う残忍さと狡猾さを持っていた。
川遊びをする大五郎を殺そうと、無関係な人々に犠牲が出るのもかまわず川に毒を流したり、
それでいて、自分の身が危険になると恐怖に泣きわめき、腰元を盾にして逃げるなど、およそ武士のイメージとはかけ離れたキャラクターに描かれている。


一刀と大五郎は、深川の浄満寺に知己の住職を頼って身を寄せていた。
頼母がその場所を突き止めた時、一刀父子は投擲雷と白装束を求めるため江戸市中に出ていた。
頼母は寺に侵入し住職を殺害すると、髷 (まげ) を剃って代理の住職になりすまして一刀の帰りを待った。

“♪ねんねんサイコロ毒屋の子
すり鉢もてこい 毒つくろ
ねんねんサイコロ毒屋の子
盃もてこい 毒飲ましょ・・・”

毒を調合しながら頼母が歌う不気味な歌が響く。

寺に戻ってきた一刀に、僧侶に化けた頼母は、
住職が葬儀に出かけたので代わりに留守番をしている旅の托鉢僧だと言い、自分の作ったとろろ汁をすすめる。



このとろろ汁には、頼母の調合した無色で無味無臭の毒が入れられていた。
まず、大五郎の椀にとろろ汁が注がれた。
一部が大五郎の着た白装束にこぼれた。
白装束のその部分が、見る見る黒く変色する。
沈香の伽羅を焚き込んだ白装束が毒に反応したのだ。
(沈香は毒に接すると変色するといわれていた)
毒を仕込んだことがバレて狼狽する頼母だったが、なぜか一刀は頼母を斬らずに立ち去る。

それは、烈堂も同様だった。
後日、烈堂に追い詰められた頼母は、首を吊ったふりをしてやり過ごそうとしたが、見破られてしまう。
震え上がって命乞いする頼母に烈堂は、
「士道とは死することなり。※注釈2 
それをわからぬは侍にあらず、ただのゲス、虫けら。ゲスを斬るは刀の汚れ」
と言い放つ。
一刀も烈堂も、頼母は斬るに値しない輩と見ていたのだ。

これに対して頼母は、烈堂が去ったあと負け惜しみのように、
「武士として死ぬるよりも、生きている方がよいわ。ゲスであろうと虫けらであろうと同じ命じゃ!」と叫ぶ。
さらに、
「烈堂も一刀も気取るだけ気取って、子供まで巻き添えにして…」
と、幼い大五郎まで道連れにすることを批判する。




だが、これはある意味正論かもしれない。
「士道とは死すること」
と烈堂が言うように、『子連れ狼』の中の武士は死に急ぎすぎる。
命より大義や名誉を守るため、勝てぬとわかっていても果たし合いに臨んで斬り死にする道を選んだりする。
武家の妻女たちも同様で、一刀に依頼して仇を討ったあとに自害したり、
自分がいては夫が心置きなく一刀と闘えないと自害したりする。
これを潔 (いさぎよ) しとするのが武士道なのかもしれないが、
あまりにも人命軽視の気がする。
それに対するアンチテーゼを劇中で体現しているのが阿部頼母なのだろう。


一刀父子は浄満寺を出て八丁河原にいた。
そこへ、一刀の依頼した投擲雷を長崎屋が荷馬車で届けに来る。
投擲雷は、まだ剣を握って闘えない大五郎が身を護るためのものだった。
長崎屋が使用法を教えると、大五郎はすぐにそれを習得した。



やがて、門弟を引き連れて烈堂が現れる。
拝家の根絶やしを図る烈堂は、大五郎をも抹殺しようとしていた。
押し寄せる何十人もの敵を前に、大五郎は投擲雷を草むらに投げ、その爆発力を見せつける。
自分の武器を正々堂々と敵に知らしめのだ。



 


だが、一刀は柳生との決着はあくまで刀でつける覚悟でいた。
果たし合いは、お互い同等の武器で闘い、武士はその命である刀で闘うというのが一刀の信念であった。
箱車に装備された斉発銃 (連装機関銃) も、相手が鉄砲隊を動員した時や、
大人数で大五郎を人質に取るなど卑怯な手段に出た時にのみ使用してきた。

柳生の門弟たちは、二人剣、三人剣、車懸りの剣と、柳生暗殺剣の秘技を繰り出して一刀を追い詰めるが、
打倒柳生の執念に燃える一刀の剣は次々にそれを破り、大五郎の投げた投擲雷の援護もあり、すべての門弟を斬り伏せる。
残るは烈堂ただ一人、一刀と烈堂は一対一で剣を構えて対峙する。

その時、先ほど投擲雷を届けて帰ったはずの長崎屋が慌てた様子で戻ってきた。
長崎屋は、何者かが昨夜の大雨で増水した新川の水門を開けたため、江戸市中が濁流に飲まれようとしていると告げる。



水門を開けたのは阿部頼母だった。
八丁河原にいる一刀と烈堂を一挙に押し流して屠 (ほふ) ろうとしたのだが、
間違えて八丁河原の方向ではなく、江戸全体を大洪水の危機にさらす水門を開けてしまったのだ。
これを回避する方法は、一刀に渡した大量の投擲雷で堤を爆破し、
濁流の流れを変えるしかないと言う長崎屋。
この方法だと、両国一帯は水没するが、江戸の大半の地域は救われる。
これに合意した一刀と烈堂はいったん和睦し、ともに協力して長崎屋の馬車で投擲雷を堤に運ぶ。
八丁河原には、一刀と烈堂の刀が並んで突き立てられた。
再びこの地に戻ってくるまで剣を交えない約定の証であった。


決死の堤爆破は成功し、江戸の町は洪水の危機を脱した。
しかし、一刀らは爆破した堤から溢れ出た濁流に飲まれてしまう。
一刀と烈堂は岸に泳ぎ着き、烈堂は流されていた大五郎を助ける。
大五郎の無事に安堵する一刀。
和睦はここまでと、一刀と烈堂は再び対決する。



ところが、二人の刀には頼母が毒を塗ってあった。
斬り合ううち、刃がかすった傷から体内に毒の成分が入り、一刀と烈堂は意識が朦朧となる。
そして、大五郎も高熱を出して倒れてしまう。
大五郎の体は洪水に流された時に傷付いており、破傷風を発症していた。
思わぬ邪魔が入ったため、対決はまたも中断した。
重症の大五郎を治療するため、烈堂は一刀と大五郎を屋敷に案内する。

その途上烈堂は、果たし合いを見物中に木から落ちて失神していた阿部頼母を捕らえ、一緒に屋敷に連れ帰る。
毒に精通した頼母は、毒を消す薬の知識にも詳しかったため、破傷風の治療薬を作らされた。
この時ばかりは、敵同士である三人が協力して大五郎の治療にあたるというヒューマニズムあふれる光景に見えたが、
治療をしている最中、頼母は大五郎の腹掛けの中に隠されていた柳生封廻状を発見し、密かに抜き取る。
そのことに気付かず、一刀は回復した大五郎とともに烈堂の屋敷から八丁河原に戻り、
庵を編んで烈堂と対決する日を待った。

八丁河原には休戦の印として、
そして、また必ず相まみえる印として、二つの刀が並んで残されていた。
一刀と烈堂が再びこの刀を手にする時、それは二人が雌雄を決する時であった。




【注釈】
1. 江戸時代、夜の辻に立った街娼。

2. “武士道とは死ぬことと見つけたり” と、『葉隠』(はがくれ) にも同様の記述がある。
葉隠』は、肥前佐賀藩士の山本常朝が口述した武士の心得を、同藩の田代陣基が筆録した江戸時代中期の書物。