“大五郎の死生眼” 〜子連れ狼 最後の闘い ①〜 | サト_fleetの港

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広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


子連れ狼こと拝一刀 (おがみ いっとう) は言う。
「われら親子、六道四生順逆の境は覚悟の上・・・」




六道 (りくどう) とは、仏教思想において、生前の業 (ごう) の結果生まれ変わる六つの世界、
天道、人間道、修羅道、餓鬼道、地獄道のこと。
四生 (ししょう) とは、その生まれる形、胎生、卵生、湿生、化生をさし、
胎生は母胎から生まれる人間など哺乳類、卵生は卵から生まれる鳥など、湿生はジメジメした所から生まれる蚊や蛾などの虫、化生は自らの業によって忽然と生まれる天の神や地獄の住人などが該当する。



普通、六道では天道、四生では胎生に輪廻することを理想とするものだが、
その順が逆になるのも覚悟、つまり、地獄の餓鬼となることも恐れず悲願を達成しようという一刀親子の悲壮な覚悟を表した言葉だ。
その言葉の通り、一刀と大五郎父子は時には人であることも棄てて、

仇敵の柳生烈堂 (やぎゅう れつどう) を倒すため、冥府魔道の旅を続けてきた。


刺客を生業にして諸国を巡る一刀は、刺客の仕事に出る時には、大五郎を無人の古寺などに置いていく。
数日戻れない予定の時は、保存食の干し飯 (ほしいい) と竹筒に入れた水を大五郎に渡す。
飯を乾燥させた干し飯は、食べて旨いものではないが、生きるために食するのである。 
大五郎は、生まれてすぐに母が烈堂の手の者に殺害されたため、母乳の味も知らない。
父一刀と冥府魔道の旅に出てからは、
本懐を遂げるまで、親子ともに一切の美食を断っているので菓子を味わったこともない。
大五郎は家族のあたたかさや、同じ年頃の子供が知る遊びの楽しさも知らずに育った。




そんな父子に烈堂の魔の手が迫る。
拝一族を根絶やしにしようとする烈堂は、裏柳生の配下の者を次々に差し向ける。
だが、元公儀介錯人の一刀は無双の剣客で、たやすく斬られたりはしない。
愛刀の胴太貫 (同田貫) を振るって、襲い来る裏柳生の暗殺者と熾烈な闘いを繰り返す。
一刀に斬られた暗殺者たちは、無残な屍をさらしていく。
大五郎はそれを見つめてきた。

このように一刀は、敵との斬り合いの場に幼い大五郎がいても、その凄惨な場面を見せまいとはしない。
あえて実地教育のように、生きるための闘い方を見せて学ばせているようでもある。
もちろん、まだ剣を使って自衛できない大五郎に危害が及ばないよう、脇に避難させたりはする。

ところが一刀は、拝家再興のための大事な跡取りである大五郎を道具に使って闘いに勝ったこともある。
わざと大五郎を肩車して、女刺客の母性に訴えて攻撃の手を鈍らせたり、
こともあろうに、大五郎を投げつけて驚かせ、その隙を突いて相手を斬るという “荒技”も見せた。
これも「父の願いは子の願い」と、ともに冥府魔道の道を行く一刀父子ならではの戦法である。



とはいっても、一刀は決して大五郎が可愛くないわけではない。
大五郎が急病になった時は、冷水を浴びて回復を祈願している。
大五郎を厳しい環境に置くのも、実戦を見聞させるのも、
万が一、父なきあとに大五郎一人が生きていかねばならない時に備えてのことである。

過酷な旅を繰り返し、幾多の修羅場を見てきた体験から、
大五郎は、あどけなさの中にも、百戦錬磨の武人のような胆力と面構えを備えるに至った。
大五郎が捕らわれるような時があっても、自分よりはるかに大きな相手を前にして、
それを見上げる大五郎の眼には、臆する気配はない。
刃物を突き付けられて脅されても、その眼は変わらない、泣きわめくこともしない。
それは、生死を超越した覚悟の者のみが持つ “死生眼” (ししょうがん) の澄み切った眼差しである。




一刀父子が柳生の手を逃れて江戸を出奔して4年。
その間、烈堂は裏柳生のみならず、支配下に置く忍び集団 “黒鍬衆”※注釈1 も動員して一刀父子を討ち取ろうとしたが、ことごとく失敗した。
烈堂の正嫡の3人の息子は、いずれも手練 (てだれ) の者であったが、一刀の水鷗流の剣の前に敗れ去った。

妾腹の息子と娘も一刀に挑んだが、力及ばず倒された。


当初、烈堂は裏柳生の力のみで隠密裏に一刀を始末しようとしていた。
だが、秘密が隠された “柳生封廻状” を一刀に奪われてからは、

その地位を利用して天下六十余州に号令し、一刀を公儀手配の大罪人として捕縛を命ずる。

柳生封廻状には裏柳生の陰謀が、普通では判読できない特殊な方法※注釈2 で記されていた。

一刀はこの解読に成功しており、江戸へ戻ってこれを将軍の前で披歴し、

烈堂を断罪して拝家の再興を願い出ると思われた。

烈堂は一族の存亡をかけて、それを阻止しようと躍起だった。


※拝一刀と大五郎の手配書
“捕縛したる者はその生死を問わず
五千百両を与えるものなり” とある。


賞金首となった一刀父子は、柳生の放った刺客のみならず、
各藩や天領の奉行所・代官所、そして、その首にかけられた報奨金に群がる賞金稼ぎたちにも狙われることになった。

代官や幕府の要人の中には、裏柳生と一刀の確執は私怨からきたものとして、
一刀は追討すべき大罪人ではないという意見も少なからずあった。
しかし、いくら一刀に同情的であっても、自分の管轄する範囲内に一刀父子が現れたとなれば、
役目上、これを捕らえるか斬らねばならない。
やむを得ず一刀に勝負を挑むそれらの者たちは、武士らしく従容 (しょうよう) として刃を合わせ、死んでいくのであった。



拝一刀と大五郎は、

柳生に面従腹背する者たちの陰の協力で江戸に入ることができた。

江戸には、一刀がこれまでに刺客稼業で稼いだ総額四万二千両が保管されている場所があった。
送金されてくるこの大金を密かに管理していたのは今戸の竹阿弥 (ちくあみ) という竹細工師で、
かつては一刀の妻に長年仕えた男だった。
これまでの経緯を知る竹阿弥は一刀に協力すべく、
送られた四万二千両を溶かして不純物を取り除き、竹林の竹の節に流し込んで金塊にして保管していたのだ。

久しぶりの再会を喜んだ竹阿弥だったが、金塊を引き渡したあと、
大五郎に死は恐ろしくないとさとすと、自害して笑って死んでいった。
一刀父子の悲願成就を祈ってのことであった。



その夜、江戸は激しい雨となった。
一刀は以前窮地を救ったことがある廻船問屋の長崎屋を訪れ、

竹阿弥が保管していた金塊で、異国の爆薬 “投擲雷”を荷車1台分購入する。

投擲雷はダイナマイト状の一種の手榴弾で、強力な爆発力を持っていた。

もちろん、こんなものが廻船問屋の正規の扱い品のわけがない。

代金が四万二千両分の金塊というケタ違いの価格からみてわかるように、

陰の協力者の一人である長崎屋が、二年をかけて特別なルートで入手した禁制品である。



 


投擲雷を指定の場所に届けるよう依頼すると、
一刀は大五郎とともに降りしきる雨の中、夜の江戸市中に消えていった。


その夜、一刀が再び現れたのは、丹後屋という呉服商の店先だった。
店はすでに営業を終えていたが、
「明日なき身なれば」と、懇願して店を開けてもらった一刀は、
自分と大五郎の分の羽二重の白装束を朝までに作ってくれと注文する。

それが、死を覚悟した者が着る死装束 (しにしょうぞく) ではないかと気付いた丹後屋の主人は、
訳は知らないが、幼い大五郎まで道連れにするような装束は作れないと拒否する。
一刀は「この子の意志でもある」と再度頼むが、丹後屋は応じない。
すると、これを聞いていた大五郎は、
近くにあった白羽二重の反物を取り出して首に引っ掛けると、店の奥へと走っていった。
あとを追った丹後屋は、奥座敷の仏壇の前に正座し、
反物を白装束のように纏 (まと) って合掌する大五郎を見つける。
その時の大五郎の眼も、なんら迷いのない澄んだ死生眼だった。



父に言われるままではなく、自らの意志で白装束を着る覚悟の大五郎を見て、
丹後屋は妻とともに徹夜で父子の白装束を縫い上げる。
出来上がって一刀の前に差し出された白装束には、伽羅 (きゃら)※注釈3 の香が焚き込められていた。
それは、武士が合戦に臨む際、武運長久を祈って香を体に焚き込む習わしに準じたものであった。
「かたじけない」と一刀は礼を言うと、
「武士の心遣いには、武士としての礼で返したい」と、自分が拝一刀であると名乗る。
父子二人分の白装束を受け取った一刀は、
大五郎とともに丹後屋をあとにした。

いよいよ、烈堂との最後の闘いが迫っていた。



【注釈】
1. 黒鍬衆 (くろくわしゅう) とは世襲制の密偵集団で、身分は武士ではない。
目的のためには手段を選ばない非情さを持っている。原作の小池一雄の創作。
土木作業や雑務・伝令に従事した江戸幕府の黒鍬組がモデル。

2. 桑の葉を溶かした無色透明の薬品で紙に極秘の文章を書き、そこに蚕を這わせて、蚕が喰い破った部分が文字として浮き出るようにした加工。(虫喰い文書)。

3. 伽羅は主に東南アジアに産する香木。
一定の条件が揃わないと出来ない希少なもので、沈香 (じんこう) とも呼ばれる。