それからの紋次郎 | サト_fleetの港

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広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


3月22日放送の『アナザーストーリーズ』(NHK総合) に “木枯し紋次郎” が取り上げられていた。
(正確にいうと、同時期に放送されていた必殺仕掛人と合わせての特集だった)
紋次郎ファンの私としては、観ないわけにはいかない。
と、思って観たのだが・・・。



この番組では、木枯し紋次郎と必殺仕掛人をライバル※注釈1 として解説していたが、
両ドラマのヒットは、学生運動の終焉でドロップアウトした者たちの心情に訴えるものがあったからという指摘には賛同できない。
この番組のスタッフは、学生運動の混乱を栄光の戦いととらえているようで、
同じ時期に人気を博した木枯し紋次郎などのヒーローを、そのシンボルにしたいらしい。
ファンから言わせてもらえば、
木枯し紋次郎を政治利用しないでほしい。
なんでもかんでも政治的背景、それも反政府的な動きにこじつけるのは最近のNHKの悪いクセだ。
(そんなことだから、“日本反日協会” などと揶揄される)

たしかに、1970年代初頭の日本は経済成長の中にあったとはいえ、
人々は漠然とした不安や不満のようなものを感じていたかもしれない。
しかし、当時リアルタイムで『木枯し紋次郎』を観ていた私の肌感覚からしたら、
巷でこのドラマに熱狂していた人たちに、政治的な影など微塵も感じられなかった。
それこそ視聴者には「関わりのない」ことである。
みんな、純粋に面白いから観る、面白くなければ観ない。
それだけのことだ。

笹沢左保原作、市川崑監督・監修の『木枯し紋次郎』には、
その頃ゴールデンタイムに放送されていたマンネリ時代劇の常識を覆す新鮮さがあった。
それは、のどが渇いた時に、フレッシュなドリンクを飲んだように身体にしみわたった。
また、決してハッピーエンドに終わらない内容にも関わらず、主人公の紋次郎の生き様にどこかエネルギッシュなものを感じたものだ。
これも、紋次郎を演じていた中村敦夫さんのなせる業だと思う。
だから、
私の中では、“木枯し紋次郎=中村敦夫” なのだ。※注釈2

 


そういうわけで、
これまでも、このブログで何度か木枯し紋次郎について書かせていただいたが、
今回は、最初のテレビ放送 (フジテレビ版) が終了した以降に登場した “中村紋次郎” について語ってみたい。

フジテレビ系列で放送された第1シーズン (1972年1月〜5月 全18話)※注釈3 および第2シーズン (1972年11月〜1973年3月 全20話) のあと、
東京12チャンネル (現テレビ東京) で『新・木枯し紋次郎』(1977年5月〜1978年3月 全26話) が放送された。
(これから『新・木枯し紋次郎』について話を進めるにあたり、第1〜2シーズンの『木枯し紋次郎』を前作と表記したい)

新しい作品イメージが模索されたといわれる『新・木枯し紋次郎』は、
前作の世界観はそのままに、細部にはいろいろと変化が見られる。
紋次郎の “マイナーチェンジ” といったところだろうか。

※『新・木枯し紋次郎』OPタイトル
バックは大林宣彦が制作、
主題歌はやしきたかじんが歌った。


『新・木枯し紋次郎』の舞台は、前作より年月が経っている設定になっていて、
前作で “三十歳ちょっと過ぎ” だった紋次郎も
「今年、三十六になりやす」と劇中で言っている。
(第7話『四度渡った泪橋』内での台詞)

年齢を重ねた分、紋次郎の生き方にも変化があった。
まずその第一は、
街道の親分衆のもとにわらじを脱ぐようになったこと。
これまで、余計な義理を作りたくないと、一宿一飯の恩義にはあずからなかった紋次郎なのに、これは大きな変化だった。
三十代も後半にさしかかり、野宿はいささか身体にこたえたのかもしれない。

それから、剣の腕がさらに上達したように思える。
前作では、けんか殺法的なイレギュラーな殺陣が特徴の紋次郎だったが、
『新・木枯し紋次郎』では綺麗な?殺陣で、群がる敵を剣豪ばりにバッタバッタと倒していた。
これが、相手が同じ渡世人ばかりでなく、侍 (浪人) の集団にまで危なげなく勝ってしまうのだから恐れ入る。



とはいえ、紋次郎の長ドス (長脇差) は頑丈な造りながら、しょせんは渡世人の持つ安物のドスなので、
本格的に斬り結べば、折れたり曲がったりするはず。
案の定、第4話『雷神が二度吼えた』では、大勢の敵と斬り合ううちに折れてしまうのだが、
一緒に戦っていた侍から、志津三郎兼氏 (しずさぶろうかねうじ) の名刀を譲り受け、以後その刀を所持して戦うことになる。
これなら、たとえ相手が侍の刀であろうが力負けしない。

また、紋次郎の決め台詞「あっしには関わりのねえこって」も、本作では言わない。
代わりに「あっしには言い訳なんぞござんせん」と言うのだが、これは流行らなかった。
もっとも「関わりのねえ…」もまったく言わないわけではなく、言おうとするのだが、
機先を制して相手に「関わりないって言いたいのかい」と、言われてしまったりする。
紋次郎も諸国の街道一帯に名が知られるようになって、その口ぐせも知れ渡っているということらしい。

 


ほかにも、キャラクター的に変化が見られる。
木枯し紋次郎が、他人に関わりを持たない生き方を貫いているのはご承知の通りだが、
本当はお人好しなのではないかと、私はこの前の『木枯し紋次郎』についてのブログ記事で書いた。
それが『新・木枯し紋次郎』でさらに顕著になり、むしろ積極的に人に関わることが増えてきた。
とくに、自らの生い立ちを重ねてしまうのか、子供には弱い。

ある時など、行きずりの瀕死の渡世人の頼みで女の子を預かり、
実家にあたる分限者 (ぶげんしゃ=資産家) の屋敷に送り届けたりした。
この時など、そのことで屋敷の乗っ取りに失敗した当主の妻から、
「あのお節介な渡世人」と言われる始末。

跡取りの血を引く女の子を連れ
て来た紋次郎だったが...。
(新・木枯し紋次郎  第22話
 『鬼が一匹関わった』より)


『新・木枯し紋次郎』では、これまでのテレビシリーズで語られなかった紋次郎の若い頃のエピソードが明かされることもあった。
紋次郎は無宿渡世に足を踏み入れた頃、兄貴分の身代わりになって三宅島に流刑になったことがあるのだ。
原作小説の第1作『赦免花は散った』で、このへんの経緯は語られているのだが、
テレビシリーズでは、これまで描かれていなかった。※注釈4

同宿の渡世人も三宅島帰りと知り
過酷な流刑の日々を思う紋次郎。
(新・木枯し紋次郎  第25話
『生国は地獄にござんす』より)


また、紋次郎は産まれてすぐ間引きされそうになったところを、姉の機転で命を救われたといわれていたが、
本作では、その時の詳細が再現シーンのように描かれている。
そして、紋次郎は年に一度、その姉の命日に墓参りを欠かさないことも描かれていた。
(第2話『年に一度の手向草』中のエピソード)

旅先で、出身地の三日月村の幼馴染み二人にひょっこり出会った回もあった。
町に出て商人になった男と、やはり同じ町で商家に嫁いだ女だった。

幼馴染みに請われて断りきれず
逗留した紋次郎にまた試練が。
(新・木枯し紋次郎  第21話
 『命は一度捨てるもの』より)


これまで、意に反して揉め事に関わってしまい、そのたびに裏切られてきた紋次郎だが、
この同窓会のような回でも、やはり幼馴染みに利用されることになる。
紋次郎にとっては、故郷の人たちといえども、決して心を許せる存在ではないのだ。
それは第2シリーズ最終話『上州新田郡三日月村』をみても明らかだ。


面白いと思ったところでは、
『新・木枯し紋次郎』には、前作のオマージュのような回もあった。
第13話『明日も無宿の次男坊』には、宇都宮雅代と高橋長英がゲストで出演していたが、
この二人は前作の『木枯し紋次郎』にも2回ずつ出演している。

このうち、二人が夫婦役で出演した前作第1シーズン第2話『地蔵峠の雨に消える』では、盲腸炎で苦しむ高橋演じる渡世人を、紋次郎がおぶって宿に運ぶシーンがあるが、
これとよく似たシーンが『明日も無宿の次男坊』に出てくる。
やはり高橋演じる行き倒れ寸前の渡世人を、紋次郎がおぶって生家まで連れて行くのだ。
この回では宇都宮は妻役ではないが、高橋が想いを寄せる兄嫁という役柄だった。


※前シリーズの名作回以来の共演
高橋長英と宇都宮雅代。
(新・木枯し紋次郎  第13話
 『明日無宿の次男坊』より)


この渡世人は、生家の大店 (おおだな) にたどり着いたものの、実の親に邪険にされて死んでいく。
このあたりは、第2シーズン第13話『怨念坂を蛍が越えた』で、
やはり無宿人役の高橋が、今は土地の実力者になった姉に会えたにも関わらず、無視されるのにそっくりだ。
評判の良かった前作のエピソードと出演者をリスペクトして、これらの回に再出演させた粋な図らいだと思う。


1993年には、映画『帰って来た木枯し紋次郎』が公開された。
ストーリーは、わけあって5年の間、木曽山中で木こりとしてカタギの生活を送っていた紋次郎が、
再び無宿渡世の世界に戻って長ドスを抜くことになるまでが描かれ、時代もこれまでの天保から弘化※注釈5 になっていた。

この作品は、笹沢佐保が新たにシノプシスを書き下ろし、市川崑がメガホンをとった大作で、
主題歌も大ヒットした72年当時と同じ上條恒彦が歌うものが使われた。

※映画『帰って来た木枯し紋次郎』
1994年にフジテレビ系でテレビ
放送もされた。


原作の小説はまだまだ続いていたのだが、中村敦夫主演の映像化シリーズとしては、これが最後となる作品であった。

その原作小説も、2002年に原作者の笹沢左保が世を去り、もはや続編が書かれることもなくなった。
笹沢左保の逝去にあたり、ニュース番組の取材で思い出を聞かれた中村敦夫は、
『新・木枯し紋次郎』に笹沢が “俳優” として国定忠治役で出演した回をあげ、
木枯し紋次郎に啖呵を切るシーンが印象に残っていると語っていた。
自分の生み出した紋次郎を体現する中村に、ここぞとばかり説教をしているみたいだと感じたそうだ。
こういうシーンは、一種の趣向というかスタッフの遊び心だったと思う。

手前が国定忠治に扮する笹沢左保。
(新・木枯し紋次郎  第16話
 『二度と拝めぬ三日月』より)


以上、ざっと『新・木枯し紋次郎』について述べたが、正直なところ、まだまだ語り足りない。
しかし、あまり長くなってもいけないので、今回はこのへんにしたい。
機会があれば、またいつか木枯し紋次郎を語りたいと思う。




【注釈】
1. 中村敦夫は、かつてライバルだった必殺シリーズの第7作『必殺仕業人』(1976年) と、第14作『翔べ! 必殺うらごろし』(1978-79年) にもレギュラー出演し、『うらごろし』では主役を務めた。

2. 中村敦夫が紋次郎を演じたテレビシリーズのほかにも、
菅原文太による映画版や、岩城滉一や江口洋介が紋次郎を演じた単発スペシャルドラマがあった。

3. 撮影中、中村敦夫がアキレス腱を切るケガをしたため途中4話分のワクが『笹沢佐保 峠シリーズ』に差し替えられた。

4. 原作の『赦免花は散った』では、紋次郎は火山の噴火に乗じて島から舟で脱出する。
このあたりは、菅原文太の映画版に詳しく描かれている。

5. 弘化は天保の後の年号。
幕末の西暦1845〜1848年にあたる。