空の神兵 | サト_fleetの港

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広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


笠置シズ子をモデルにした朝ドラ『ブギウギ』が終了した。
私なんか、笠置シズ子というと、昭和40〜50年代に放送されていた『家族そろって歌合戦』(TBS系) に審査員として出ていたのを思い出す。
同じ頃、こちらも『ブギウギ』の登場人物のモデルだった淡谷のり子が、
全日本歌謡選手権』(NTV= 現 日テレ系) で、「クニへ帰りなさい」などと出場者を酷評したのに比べ、笠置シズ子はいつもニコニコした柔和なオバサンの印象がある。

『家族そろって歌合戦』には、ほかにも作曲家の市川昭介や高木東六ら、
日本の音楽界の重鎮が審査員でひかえていた。
こんなことを書くと、そんな番組をリアルタイムで観ていた私も、
若い人たちからみたら “昭和の生き証人” のように思われてしまうかもしれない。
(子供の頃の記憶なので。念のため)

※晩年の高木東六氏


さて、先述の高木東六は、当初ピアニストを志してフランス留学もした人物で、
帰国後、留学中に知り合った山田耕筰の勧めで作曲家に転向した。
戦前から戦後にかけて、オペラや管弦楽などの作曲で活躍したが、
その多くの作品の中で、私がとても意外に思った曲がある。
昭和17年 (1942年) 4月に発表された『空の神兵』(作詞は梅木三郎) である。

この曲は、同年1月に海軍落下傘部隊がセレベス島 (現スラウェシ島) メナドに、
2月には陸軍落下傘部隊がスマトラ島パレンバンに降下して連合軍の守備隊を破り、油田地帯を占領したことを讃えて作られた。
半年後、『空の神兵』は陸軍落下傘部隊を描いた同名映画の主題歌となり、
映画公開とともにさらにヒットした。

※輸送機に乗り込む陸軍落下傘部隊
(着色写真)

※パレンバンに降下する落下傘部隊 


私は最初、シャンソンなども手がける洋楽を得意とした高木東六と、いわゆる軍歌がどうしても結びつかなかった。
戦時下の日本においては、古関裕而や古賀政男らも国策として国威発揚の曲作りに携わったことはよく知られているが、
高木東六もご多分にもれず、そういった仕事に動員されたのだろう。

高木東六の曲は、彼の洋楽を基調とする音楽センスにより、やや歌曲風の曲調になっている。
これがまた、空を舞台にした曲にふさわしいスケールの大きさを感じさせる。
一方、梅木三郎の詞も、
舞い降りる落下傘を “藍より蒼き” 大空に咲いた百千のバラにたとえるなど、軍歌に似合わぬ詩的な華麗さを持っている。

むしろ、こういった歌だったからこそ、
戦時下の閉塞的な世の中に受けたのかもしれない。
『空の神兵』は、今でも軍歌・戦時歌謡を集めたアルバムには必ずと言っていいほど収録されている。



空の神兵

作詞∶梅木三郎 作曲∶高木東六

(一) 藍より蒼き  大空に大空に
  たちまち開く  百千の
  真白き薔薇の  花模様
  見よ落下傘  空に降り
  見よ落下傘  空を征く
  見よ落下傘  空を征く

(ニ) 世紀の華よ  落下傘落下傘
  その純白に  赤き血を
  捧げて悔いぬ  奇襲隊
  この青空も  敵の空
  この山河も  敵の陣
  この山河も  敵の陣

(三) 敵 撃摧と  舞い降る舞い降る
  まなじり高き  つわものの
  いずくか見ゆる  おさな顔
  ああ純白の  花負いて
  ああ青雲に  花負いて
  ああ青雲に  花負いて

(四) 讃えよ空の 神兵を神兵を
  肉弾粉と  砕くとも
  撃ちてしやまぬ  大和魂
  わが丈夫 (ますらお) は  天降る
  わが皇軍は  天降る
  わが皇軍は  天降る