『私を野球に連れてって』 | サト_fleetの港

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ブログで取り上げる話題はノンセクションです。
広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


最近のスポーツニュースをみていると、

日本の野球の話題より先に、アメリカのメジャーリーグ (MLB) での日本人選手の活躍が紹介される。

エンゼルスの大谷翔平選手にいたっては、普通のニュースの中でも、ホームラン何号が出たとか報道される。

ともすれば、“大谷翔平” がトップニュースの時もある。


メジャーリーグで、これほどまでに日本人選手が脚光を浴びる時代が来るとは、

私が子供だったン十年前には想像も出来なかった。

(昭和の時代は “大リーグ” と言っていた)

何だかんだと言っても、メジャーリーグはすごい。

ベーブ・ルースをはじめ、超が付く名選手を輩出した歴史は偉大だ。


※エンゼルスの大谷翔平選手


その偉大な野球の舞台で、観客が一体になって行われる “セレモニー” がある。

7回表が終わった時点で、スタンドの観客全員が立ち上がり、

音楽に合わせて歌いながら、背伸びをしたり手足を動かしたりして、長時間座って固まった体をほぐすのだ。

(歌っているだけの人も多い)


これは “セブンス・イニング・ストレッチ” (Seventh inning stretch) と呼ばれ、長い歴史がある。

ことの起こりは、1910年にワシントンで行われた公式戦開幕試合で、当時のウイリアム・タフト大統領※注釈1 が、7回の攻撃中に立ち上がって背伸びをしたことに始まる。

タフト大統領は巨漢で知られていたので、

座席に座っているのが窮屈だったのだろう。

それをまねて、観客も行うようになり、現在に至っているのだが、

その時に歌われる歌が、

『私を野球に連れてって』(“Take Me Out to the Ball Game”) だ。



『私を野球に連れてって』は1908年に作られ、

その歌詞は、野球好きの女性が彼氏に、野球を観に連れてってとおねだりする内容になっている。

当時、アメリカン・ボードビル界で活動していた二人、ジャック・ノーワースが作詞し、アルバート・フォン・ティルザーが作曲した。


『私を野球に連れてって』楽譜
(1908年 ヨーク・ミュージック
カンパニー製)


なお、最初は歌なしでストレッチタイムが行われていたのだが、

その時間に『私を野球に連れてって』を歌うよう広めたのは、シカゴ・カブスの実況アナウンサーだったハリー・ケリー氏だといわれている。

1970〜80年代に、彼は実況のたびに歌い、観客にも歌うようマイクを通してすすめたのだそうだ。


それが、シカゴ・カブスからメジャーリーグ全体に広がったというわけだ。



『私を野球に連れてって』歌詞

 (コーラス部分)


Take me out to the ball game.

私を野球に連れてって

Take me out with the crowd.

人混みにまぎれて連れ出して

Buy me some peanuts and Cracker jack.

ピーナッツとクラッカージャック※注釈2

も買ってね

I don't care if I never get back.

(今夜は) 帰らなくてもいいから

Let me root, root, root, for the home team.

ホームチームを応援させて

If they don't win, it's a shame.

勝てなかったら恥ずかしいんだから

For it's one, two, three strikes, you’re out.

1,2,3ストライクでバッターアウト

At the old ball game.

それが野球なのよ



日本でも、この曲を試合の合間に流している球場があるが、

実際に現地アメリカの球場で体験した人によると、流れる曲に合わせて観客全体が大合唱する光景は壮観で、

メジャーリーグの歴史と伝統を肌で感じたという。


100年以上にわたって世界の野球好きに歌われ続ける『私を野球に連れてって』は、

メジャーリーグとともに歩み、数々の感動の場面とともに人々の記憶に刻まれている。






【注釈】

1. 明治45年 (1912年)、東京市長 尾崎行雄が、後にポトマック河畔の桜として有名になる桜の苗木をアメリカに贈った時の大統領


2. アメリカのスナック菓子。キャラメルコーン。



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