黄砂の日本史 | サト_fleetの港

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春霞  たなびきにけり  ひさかたの  月のかつらも  花や咲くらむ


平安時代の貴族で歌人の紀貫之が詠んだ歌である。

“春霞がたなびき、月も朧 (おぼろ) にかすんでいる。月の世界に生えているという桂の木も、花を咲かせているのだろうか”

と、春の宵の風情を詠った風雅な歌だが、

ここに詠まれた春霞の正体は、あの黄砂だったかもしれないのだ。



黄砂とは、ユーラシア大陸の砂漠や黄土高原から強風で空高く舞い上げられた微細な砂が、

偏西風に乗って、日本などに飛来する現象であることはご存知の通り。

だが、この黄砂現象は今に始まったことではない。

日本でも、昔から観測されていたようだ。




古来、歌にも詠まれて春の風物詩のようになっている先述の春霞や朧月なども、

空気中の水蒸気によるものばかりでなく、黄砂が原因だったと考えられるものもあるという。

古文書には、泥雨、赤雪、黄雪などの記述があり、これらは春先の黄砂が混じった雨や雪のことだといわれている。

江戸時代に編纂された『本朝年代記』には、

室町時代の文明9年 (1477年)、北国 (北陸) に紅雪が降ったとの記述がある。


さらに歴史をさかのぼって、

鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』には、文永3年2月1日 (1266年3月16日) の出来事として、

“晩に泥の混じる雨降る  希代の怪異なり”

との記述がある。

また『吾妻鏡』はこのことに関連して、

過去には、天平14年 (742年) に陸奥国で丹雪 (赤い雪) が降った例があるとも記している。




このように、昔の人は発生メカニズムはわからないものの、

春に降る黄砂のことはよく見聞きしていたと思われる。

日本人は黄砂とは古いつきあいなのだ。

そのため、大正時代頃から俳句の春の季語に黄砂を意味する語が登場する。

その中の “霾” (ばい) は、訓読みすると “霾 (つちふ) る” となり、文字通り土が降ってくる意味。

ほかにも、黄砂の古語が季語になったものとしては、“霾曇 (よなぐもり)” “霾風 (ばいふう)” などいくつかある。



最近では、昔はなかった有害物質をくっつけて運んでくるようになってしまった厄介な黄砂。

気象情報でも、黄砂がひどい日は外出を控えるようにと注意を呼びかけるまでになった。

黄砂やらミサイルやら、空から物騒なものが降ってきやしないかと、

戦々恐々とする今日この頃である。