時代を越えたメロディー ②『海軍小唄 (ズンドコ節)』 | サト_fleetの港

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広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


誰が作ったかは知らないが、

人々に親しまれて長い年月歌い継がれる歌がある。

時代の変化にも色褪せることなく、現在も息づく不朽のメロディー。


そんな歌のひとつがここにある。



『海軍小唄』

作詞・作曲者不詳


(一) 汽車の窓から 手を握り

  送ってくれた 人よりも

  ホームの陰で 泣いていた

  可愛いあの娘 (こ) が 忘られぬ


(ニ) 花は桜木 人は武士

  語ってくれた 人よりも

  港のすみで 泣いていた

  可愛いあの娘が 目に浮かぶ


(三) 元気でいるかと いう便り

  送ってくれた 人よりも

  涙のにじむ 筆のあと

  いとしいあの娘が 忘られぬ




この歌は、艦隊勤務のため、しばし愛しい人と別れねばならない海軍兵士が歌ったといわれているが、

作詞・作曲者や作られた時期など、詳しいことは一切わかっていない。

国威発揚のために作られたプロパガンダ軍歌と違い、シャバを離れて軍務に就く兵士の本音を歌っていることから、

名も知らぬ兵士たちが、思いつくままに口づさみ、それがルーツとなった原曲が軍隊内で密かに歌い継がれていったものではないかと思われる。

“密かに” というのは、内容が多分に厭戦的なため、おおっぴらに軍隊内で歌うと、上官から鉄拳制裁を受けたであろうと推測されるからだ。


曲の間に “ズンドコ、ズンドコ” という囃子詞 (はやしことば) が入るので、

『ズンドコ節』という名でも知られるこの歌は、

作詞・作曲者が不詳で著作権が存在しないため、戦後も替歌や一部メロディーを借りた派生歌謡のレコードが続々と発売された。

歌っている歌手の名前を冠して、

『○○のズンドコ節』と名付けられた歌も多い。


有名なところでは、


■『アキラのズンドコ節』(1960年)

小林旭が主演映画の挿入歌として歌い、レコード化もされた。

オリジナルの歌の中に『海軍小唄』のメロディーの替歌が入っている。発売年のレコード売上30万枚。


■『ドリフのズンドコ節』(1969年)

ザ・ドリフターズの3枚目のシングル。

世界観を現代に置き換え、『海軍小唄』をコミカルにアレンジした。

1970年の第12回日本レコード大賞大衆賞、同年の日本歌謡大賞放送文化賞を受賞。


■『きよしのズンドコ節』(2002年)

氷川きよしの初期の代表曲のひとつ。

オリジナルの歌と『海軍小唄』の替歌で構成されている。

オリコン週間チャート最高5位、年間23位。


など、大ヒット曲が並ぶ。


なお、曲名に “ズンドコ節” となっていても『海軍小唄』のメロディーではない別系統のズンドコ節も存在する。

これらは、歌詞の中に “ズンドコ” という囃子詞が入っているためそう呼ばれている。

(田端義夫のズンドコ節など)



戦前、戦中、戦後から現代にいたるまで、その時代に合わせて形を変えながら生き続けてきた『海軍小唄』。

名もなき兵士たちの心の歌声は、詠み人知らずの防人歌のように、

時代を越えて人々に訴えかけているようだ。








【おことわり】
本ブログ中に使用しました画像は、映画『出口のない海』(2006年) の上野樹里さんのシーンから引用させていただきました。
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