『サザエさん』の歴史 | サト_fleetの港

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広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


先日、アニメ『サザエさん』で、長年タラちゃんの声を担当してきた貴家堂子 (さすがたかこ) さんが急逝された。
亡くなる3日前まで収録に臨んでいたというから、
突然のことに共演者の人たちも、さぞかし驚き悲しんでいることだろう。

謹んで哀悼の意を表したい。


テレビアニメ『サザエさん』が昭和44年 (1969年) に放送を開始してから今年で54年になる。
原作はご存知の通り長谷川町子先生の4コマ漫画で、こちらの方も歴史は長い。
昭和21年 (1946年) 4月に、福岡県の地方紙に掲載を始めたのを皮切りに、
長谷川先生が活動拠点を東京に移すと、掲載紙も東京の新聞に変更して連載された。

昭和49年 (1974年) 2月、当時掲載されていた朝日新聞朝刊の紙上で、
長谷川先生が病気のためしばらく休載すると告知があったが、以後再開されることはなかった。
一時的な休載期間を含めて、28年近く各紙で続いた『サザエさん』の連載はここに終了した。

終戦直後から連載が始まった漫画『サザエさん』は、初期の頃は復興途上の日本の世相を背景に、サザエさんの家族や市井の人々の生活が題材になっていた。
しかし、日本が経済発展を遂げた後期になると、社会風刺を効かせた内容が多くなっていった。
そのため、
『サザエさん』は、戦後日本の復興とともに歩んだ (昭和の) “日本家庭の象徴” と評されている。

※朝日新聞『サザエさん』最後の掲載
1974年2月21日 (右) と、同年2月23日
休載のお知らせ (左)。
(文春オンライン記事より)


昭和49年 (1974年) 3月、
フィリピンのルバング島で、戦後もジャングルに潜んでいた元陸軍少尉 小野田寛郎さんが姿を現し、29年ぶりに帰国した。
それまで、厚生省復員援護局による度重なる捜索でも姿を現さなかった小野田さんがジャングルから出てくるきっかけになったのは、
独自の捜索を行っていた冒険家 鈴木紀夫さんとの偶然の出逢いだった。

鈴木青年に心を開いた小野田さんは、潜伏中のことをいろいろ話したが、
戦争が終わったことを知らせるため、捜索隊が置いていった物資の中に朝日新聞があり、
そこに掲載されていた『サザエさん』を興味深く読んでいたと語ったという。
時代が大きく変わっても、庶民の生活の機微は変わらない。
『サザエさん』に描かれた世界は、小野田さんの心にも響いたのかもしれない。


小野田さんが日本に帰って来る5年前から、
テレビアニメ『サザエさん』は、フジテレビ系列で毎週日曜日に全国放送されていた。
今ではアニメの放送期間の方が漫画の新聞連載期間を倍近く上回るまでになっているが、
アニメ『サザエさん』が放送された半世紀の間にはいろいろなことがあった。

昭和54年 (1979年) 上期のNHK連続テレビ小説は、長谷川町子先生のお姉さん毬子さんがモデルの『マー姉ちゃん』が放送された。
主演 (ヒロイン) のマリ子役は熊谷真美さん、町子先生がモデルの次女マチ子役は田中裕子さんだった。

※朝ドラ『マー姉ちゃん』でマチ子
役の田中裕子さん (右) とマリ子役
熊谷真美さん (左)。
※『マー姉ちゃん』にはサザエさん
の漫画も登場する。


朝ドラ効果か、同年9月16日放送の『サザエさん』は39.4%の最高視聴率を記録した。(ビデオリサーチ調べ)
これは、視聴率を現在の方法で調査するようになった昭和52年 (1977年) 以降の歴代テレビアニメ視聴率ランキング第2位にあたる。
ちなみに、第1位は『ちびまる子ちゃん』の39.9% (1990年10月28日放送)。

国民的人気アニメとなった『サザエさん』の1回3話のエピソードは、これまで複数の脚本家が担当してきたが、
昭和60年 (1985年) 4月~8月には、当時20代の三谷幸喜さんがシナリオ4本を執筆した。
しかし、うち3本は採用されて放送されたものの、あとの1本はプロデューサーから
「君は『サザエさん』の心がわかっていない!」
と、書いた台本を目の前で投げ捨てられ、番組の脚本担当をクビになったという。

その時お蔵入りになったエピソードは、
『タラちゃん成長期』と題し、タラちゃんが筋肉増強剤で筋肉ムキムキになってオリンピックに出場するというもの。
なるほど、これじゃドーピングでひっかかる。
今でも放送出来ないだろう。
(アナザーストーリー的には面白いかもしれない)

平成4年 (1992年) 5月、原作者の長谷川町子先生が亡くなったが、
故人の遺志でアニメ『サザエさん』は放送を続けた。
同年7月、死後ではあるが長谷川先生に、当時の宮沢喜一内閣から国民栄誉賞が授与された。
そして、
平成25年 (2013年) には、最も長く放映されているテレビアニメ番組として『サザエさん』がギネス世界記録に認定された。


それでは、
ここで、サザエさんの家族をあらためて紹介しよう。

(以下、キャラクターとプロフィールはフジテレビ『サザエさん』公式ホームページより引用・参照させていただきました)  

【声】加藤みどりさん

放送第1回からずっとサザエさんの声を担当している加藤みどりさんは、平成24年 (2012年) に秋の園遊会に招かれた。
その時、“加藤みどり” の名札だけでは誰かわからないだろうと、
天皇・皇后両陛下 (現在の上皇・上皇后両陛下) に、
「サザエでございます」
とサザエさんの声で挨拶し、両陛下は笑顔でお応えになった。


【声】茶風林さん
 
平成24年 (2012年)、世田谷区桜新町のサザエさん通りにある磯野家・フグ田家のキャラクター像のうち、波平像の頭の毛が何者かに抜かれる事件が発生した。
波平の初代声優 永井一郎さんは、当時TBSの『情報7daysニュースキャスター』のナレーターも務めており、
5月26日の番組でこのニュースを伝える際、(キャラクター的に波平になって)
「お~いサザエ、わしの大事な毛はどこだ?」
「人類には小さくても、わしには大きな1本だったんだ」
などと憤っていた。
さらに、翌週6月2日の番組では、毛を抜かれた波平像の植毛式が行われたニュースに関し、安住キャスターがナレーターの永井さんに呼び掛けて感想を求めた。
永井さんは、やや照れながら
「ありがたいことです。全国の1本しか毛のない方たち、団結しましょう」
と答えていた。


【声】寺内よりえさん

初代フネ役の麻生美代子さんは、レギュラー声優陣の中では最年長 (降板時89歳) だったため、収録現場を取り仕切る役割を担っていたという。
サザエ役の加藤みどりさんは麻生さんを
何かあれば相談できて、頼りになる先輩
と尊敬し、
80歳を超えても声は健在で滑舌も良い麻生さんは、皆が目標にしていたと語っている。


【声】田中秀幸さん

初代マスオ役の近石真介さんは、舞台やラジオパーソナリティーの仕事との両立が難しくなってマスオ役を降板した時、
生年月日が近くて “戦友” のように親しかった波平役の永井一郎さんから、
「なんで辞めるんだ!」と怒られたという。
また、次のマスオ役の増岡弘さんとも親交があり、まさに『サザエさん』一家を地で行くようなアットホームな関係だったようだ。


【声】冨永みーなさん

カツオの声は、実は放送開始2ヵ月間は大山のぶ代さんが務めていた。
しかし、2代目の高橋和枝さんが30年近くも務めたこともあり、
“磯野カツオ” は、すっかり高橋さんのハマリ役のようになった。

平成10年 (1998年)『サザエさん』の収録中、高橋さんは突然倒れ、そのまま入院した。
病状は重く、見舞いに訪れた共演者たちが「高橋さん」と呼んでも返事はなかったが、
「カツオくん」と呼び掛けると小さく返事をしたという。
また、カツオの同級生 花沢さん役の山本桂子さんが、花沢さんの口調のダミ声で「磯野くん」と言うと「はい」と返事したとも伝わっている。

高橋さんが10ヵ月の闘病もむなしく亡くなると、
葬儀で弔辞を担当した波平役の永井一郎さんは、自分の方が2歳年下にも関わらず波平の口調で、
「カツオ、親より先に逝くやつがあるか」
と涙ながらに訴えた。


【声】津村まことさん

7年間初代ワカメの声を担当した山本嘉子さんが降板した後、クラスメイト役で出演経験のある野村道子さんが2代目に抜擢されたが、
以後29年にわたってワカメの声を担当することになった。
野村さんはほぼ同時期、『ドラえもん』の静香ちゃんの声も担当しており、
二大国民的アニメの人気キャラクターの声優を務めた。
平成17年 (2005年)、野村さんは、夫の内海賢二さんが設立した声優事務所 “賢プロダクション” の業務に携わるため降板した。
現在、同社相談役。



【声】貴家堂子さん (2023年2月26日放送分まで)

貴家さんの『サザエさん』への出演はオーディションで決まったが、最初はワカメの担当だと思っていた。
1年だけという約束で引き受けたタラちゃん役だったが、結果的に54年の長きにわたって務めることになった。
貴家さんは『天才バカボン』のハジメちゃんや『ハクション大魔王』のアクビ姫としても知られているが、
“タラちゃん=貴家堂子” というイメージは広く国民に周知され、お茶の間でお馴染みの声となった。

タラちゃんが「ハイです」など語尾に「です」を付ける “お利口さん” キャラになったのは、
貴家さん自身の特色や人物像が反映されているという。
まさに、貴家さんがタラちゃんを育て、イメージをつくり上げたと言っても過言でない。
タラちゃん役は貴家さんのライフワークだったと言えよう。
 
【声】非公表

いつも「ミャー」としか鳴かないが、それだけでさまざまな感情表現が出来る。
名優と言うしかない。
かつて、朝日新聞ラテ欄の “はてなTV” に「担当声優は誰?」との質問が寄せられ、同新聞が番組担当者に聞いたことがある。
すると、
「『サザエさん』の世界観を守るため教えることは出来ない」との回答だった。
(視聴者の夢を壊して悪いが、実際は機械で作った合成音声である)


今回ご紹介したエピソードは、枚挙にいとまがないほど存在する『サザエさん』の逸話 (都市伝説化したものも含め) のほんの一部に過ぎない。

『サザエさん』の世界観は、ちゃぶ台で家族が揃って食事をするなど、およそ現代のライフスタイルとかけ離れているとの声がある。
たしかに、サザエさんたちは携帯電話もパソコンも持っていないし、劇中にコンビニも登場しない。
そもそも、登場人物は何年経っても年齢が変わらない。
だが、制作者が言うには、舞台は決して昭和に設定しているわけではなく、かと言って現代でもない。
時代も場所も限定せず、誰もが懐かしく思い出すようなちょっと前の頃を描いているそうだ。

核となる世界観は崩すことなく、それでいて時代の移り変わりを巧みに反映しながらエピソードが展開していく。
『サザエさん』の歴史は、この作品の制作に携わった大勢の人たちの歴史であり、
それを読んだり視聴してきた人たちすべての歴史でもある。

回を重ねるごとに、今後もまた新しい『サザエさん』の歴史が刻まれていくことだろう。

※『サザエさん』公式HPより。