ウクライナの悲劇 | サト_fleetの港

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ブログで取り上げる話題はノンセクションです。
広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。

先日のこのブログで、オリンピック休戦のことを書いた。
そして、“休戦期間が終わったとたん、戦争が勃発しないことを祈りたい” とも書いた。
しかし、
パラリンピック閉幕7日後までの休戦期間終了を待たず、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。

※東京新聞Web版より。


     

※進撃するロシア軍の戦車部隊 (上) と、
前線に向かうウクライナ軍機械化歩兵 (下)。


侵攻を受けたウクライナは、
中央アジアのステップ (草原) 地帯から東ヨーロッパに抜ける位置にあり、南は温暖な黒海に面している。
その国土は肥沃で一大穀倉地帯を成し、鉄鉱石などの地下資源も豊富である。

この地政学的条件が災いして、ウクライナの地は歴史上、様々な国や勢力の争奪戦の場となってきた。
中世には、キエフ大公国というスラブ民族による強力な国家が建設されたが、
モンゴルの侵略などで衰退し、その後はポーランド、オスマントルコ、ロシアなどによって分割され、支配されてきた。

第二次世界大戦の前に、西ウクライナを除いてソ連 (=ソビエト連邦 / 現在ロシアなどに分断) に併合されたが、
第二次世界大戦が始まると、ドイツ軍の “バルバロッサ作戦” (独ソ戦) の主戦場の一つとなった。
ドイツ軍は、戦車や機械化部隊を中心に、怒涛のごとくウクライナの平原に攻め込んできた。
報道でよく目にする首都キエフや、ウクライナ第二の都市ハリコフは、当時の激戦地でもある。

ウクライナ人の大半はソ連軍として戦ったが、ドイツ軍の侵攻をソ連からの解放ととらえた一部のウクライナ人はドイツ軍側に立った。
ウクライナは、国土が戦場になったばかりか、住民が、ドイツ・ソ連両軍に分かれて戦うという悲劇に見舞われた。
4年にわたった戦いでウクライナが被った損害は大きく、死者は (ホロコーストによるものを含めて)、800万~1400万人といわれている。
いまだに、詳しい数さえつかめていないのが実情である。


     
※バルバロッサ作戦におけるドイツ軍
機甲部隊 (上) と、ハリコフ市内を進む
ソ連軍戦車 (下)。


戦後は、1991年のソ連崩壊にともない独立したが、
日本の1.6倍ほどの国土に約4100万人の人々が住んでいる。
ソ連から独立したとはいえ、ロシアはウクライナを衛星国の一つと見ていた。
だから、ウクライナが敵対陣営である西側諸国に接近したのが面白くなかったようだ。
それで、今回の軍事侵攻となった。


アメリカをはじめとする西側の国々は、ロシアに経済制裁を科す構えで、日本政府もそれに追随するようだが、
経済制裁はボディブローのようなもので、効いてくるまでに時間がかかる。
さらに、中国は西側の制裁に反対で、ロシアを支援する方向だとも伝えられる。
これでは、西側の制裁の効果も今ひとつということになるだろう。

そうこうしている間にも、ウクライナでは戦闘が続き血が流されるわけで、
一刻も早く停戦させなければならないのだが、
複雑な国際政治と歴史的な背景に翻弄され、早急な解決は容易ではない。

ここは、あらゆるルートを使って両者を停戦のテーブルにつけなければならない。

こういった世界の一大事のような出来事があると、その対応で各国の真の “顔” が見えてくる。
腹の中で何を考え、どう動こうとしているのか。
各国、虚々実々のかけひきが展開される。

戦争をしている国と国の間に割って入って和平を仲介するには、それなりの国力と発言力のある国が必要だ。
日頃、“平和ボケ” と揶揄され、国際的な紛争解決に及び腰の日本だが、
政府は、今後どんな対応を見せるのか。
ウクライナでの戦況とともに注視していきたい。