梅と兵隊 | サト_fleetの港

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広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。

今朝のニュースで、金沢で梅の花が開花したと報じられていた。
寒かったこの冬を象徴するように、平年より10日、昨年より12日遅い開花だという。
遅い北陸の春も、ようやく胎動を始めたようだ。


     


世界に目をやれば、いま大きな武力紛争が起きている。
あの地域の人たちには、いつ真の春が訪れるのだろうか。
他人事ではない。
日本も、ほんの80年ほど前までは、戦争に明け暮れていたのだ。

私の父も戦争体験者だった。
父は生前、よく軍歌 (戦時歌謡) のレコードを聴いていた。
それを、子供の頃から聴くとはなしに聴いていた私は、いつしかたくさんの軍歌を覚えてしまった。

軍歌を、時代錯誤だとか軍国主義の産物と毛嫌いする人がいるが、私はそうは思わない。
たしかに、私の生まれるかなり前に流行った歌ばかりなので、古いことは古いのだが、
そこには、作られた時代背景が反映されていて、一種の歴史的文化財のように思う。

ちょうど、万葉集に収められた防人歌 (さきもりのうた) のように、
軍歌を聴けば、当時の人たちが何を考え、どう行動しようとしていたかが、メロディーとともに蘇ってくる。


軍歌の中で『麦と兵隊』という歌が有名だが、
『梅と兵隊』という歌もある。
今回は、この歌をご紹介したい。
『梅と兵隊』は、大陸での戦いが泥沼化し、太平洋戦争が目前に迫った昭和15年 (1940年) に発表され、翌年に大ヒットした。


『梅と兵隊』
作詞:南條歌美   作曲:倉若春生
歌唱:田端義夫

一. 春まだ浅き 戦線の
      古城にかおる 梅の花
      せめて一輪 母上に
      便りに秘めて 送ろじゃないか

二. 覚悟を決めた わが身でも
      梅が香むせぶ 春の夜は
      戦 (いくさ) 忘れて ひとときを
      語れば戦友 (とも)よ 愉快じゃないか

三. あした出て行く 前線で
      いずれが華と 散ろうとて
      武士の誉 (ほまれ)じゃ 白梅を
      帽子にさして 行こうじゃないか ※注釈参照

        



作詞の南條歌美さんは、軍歌の作詞者には珍しい女性で、
そのせいか『梅と兵隊』には、国威発揚的な官製軍歌にはない母性のような優しさを感じる。
兵士たちは、出征した時から覚悟は決めているものの、
心の中には、故郷の母や家族への想いが常にあったはずである。
南條さんは、そんな兵士たちを思いやる気持ちを、歌詞の行間に込めている。

『梅と兵隊』を歌っていた田端義夫さんは、
「この歌は軍歌ではない。叙情歌である」
と言っていたという。
また、
日本作詞家協会の会長を務めた石本美由起さんは、『梅と兵隊』の歌碑の除幕式で、
「この歌は、数多い戦時歌謡の中でも最も優れた作品で、日本民族の望郷歌といえる」
と述べていたそうだ。

戦場で戦う兵士たちは人間である。
皆、故郷があり家族がある。
そして、
早く戦いが終わって、故郷へ帰れる日が来るのを願っていたはずである。

その気持ちは、昔も現在も、日本も外国も変わらないのではないだろうか。


 

【注釈】

源平の合戦 “一ノ谷の戦い” の折、

源氏方の武将 梶原景季 (かじわら かげすえ) は、矢筒に梅の花を挿して戦い、

敵味方双方から、その戦場にあっても雅 (みやび) を愛でる心意気を称賛された。

『梅と兵隊』の三番の歌詞は、その故事にちなんでいる。