陛下のご懸念 | サト_fleetの港

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広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。

先日、7月に開催の迫った東京オリンピックについて、天皇陛下が懸念を示されているとの報道があった。

これは、西村宮内庁長官が、6月24日の定例の記者会見で、
「オリンピックをめぐる情勢につきまして、天皇陛下は現下の新型コロナウイルス感染症の感染状況を、大変ご心配されておられます」
と述べたことに端を発したもの。

さらに西村長官は、
「国民の間で不安の声がある中で、ご自身が名誉総裁をお務めになるオリンピック・パラリンピックの開催が感染拡大につながらないかご懸念されている、ご心配であると拝察をいたします」
とも述べている。

※宮内庁庁舎 (宮内庁HPより)


この件に関しては、
本来、公表することがタブー視されている天皇陛下の内々のお気持ちを公の場で話すのは問題ではないかとか、
陛下を、オリンピック反対の世論誘導に政治利用するもので、憲法違反だという批判まで、さまざまな反響があった。

この発表に先立ち、
天皇陛下は22日、皇居宮殿で菅首相から内奏※注釈1 を受けられたのだが、
菅首相は、オリンピックの新型コロナウイルス対策などについて報告したものとみられている。(内奏の内容は非公開)

ひょっとすると、陛下はこの時の感染対策の説明に、納得できなかったのかもしれない。

案の定というか、
すでに入国を始めた海外選手団の中から、複数のコロナ陽性者が発見されており、
滞在先の国内関係者らにも、濃厚接触者と認定される人たちが出ている。
今回、感染を水際の成田空港で食い止められなかった事実は、オリンピック本番の感染対策に大きな不安材料となるだろう。

現在の憲法で、日本国の象徴とされる天皇制は政治と分離されており、
天皇陛下が、オリンピック開催に賛成か反対かといった問題に関与することはできない。
だが、東京オリンピック・パラリンピックの名誉総裁である陛下のお気持ちは、重く受け止めねばならないのではないだろうか。


これと似たことは、戦前にもあった。
戦前の憲法 (大日本帝国憲法) においては、天皇を元首と定めていたが、
実質的には、行政権は内閣、立法権は議会が掌握しており、
天皇は “君臨すれど統治せず” の立憲君主制の中での存在となっていた。※注釈2
しかし、国家としての重大決定事項は、その都度、天皇に報告されていた。
そのため、天皇から直々に意見を賜ることもあった。

その中で有名な逸話がある。
太平洋戦争の直前、軍部が開戦の公算について、昭和天皇に説明した時のものだ。

※戦時中の正装軍服姿の昭和天皇


昭和15年 (1940年)、
日本政府 (近衛文麿内閣) は、日本軍の中国大陸侵攻に反対するアメリカ、イギリス、オランダなどによる対日経済封鎖 (ABCD包囲網) に苦慮していた。
このような状況の中で、当時、政府をしのぐ勢力を持つに至っていた軍部は、
外交交渉による解決が困難ならば、米英との開戦も辞さずとの方針に傾きつつあった。

一方、昭和天皇は、一貫して開戦には反対の立場をとっており、
9月5日、杉山元 (すぎやま はじめ) 陸軍参謀総長と、永野修身 (ながの おさみ) 海軍軍令部総長※注釈3  が、状況説明のため参内した。

※陸軍参謀本部の杉山参謀総長


両総長が、外交交渉決裂の場合、日米開戦もやむを得ないとの趣旨の説明を行うと、
昭和天皇が杉山参謀総長に質問した。
「日米に事あらば、陸軍はどれくらいの期間に片付ける確信があるか?」
これに、杉山参謀総長はこう答えた。
「南洋方面だけなら、3ヵ月くらいで片付けます」
すると、昭和天皇は、さらに追及するように質問した。
「杉山、汝 (なんじ) は支那事変 (日中戦争) 勃発の時に陸軍大臣だったが、当時、事変は1ヵ月ほどで片付くと申したのを記憶している。
しかるに、4年の永きを経ていまだ片付かぬではないか」
杉山参謀総長が恐懼 (きょうく=恐れ入ること) して、中国大陸は奥地が広くて、当初の作戦通りに進まなかった旨、くどくどと弁解すると、
昭和天皇はさらに大きな声で、
「杉山、支那の奥地が広いというなら、太平洋はもっと広いぞ!」
と叱責された。※注釈4

※昭和天皇に内奏する杉山参謀総長
(2008年TBSドラマ『日米開戦と東条英機』
より)


ただ平伏するのみの杉山参謀総長に代わって、
永野軍令部総長が取り成して、この時はなんとか内奏を終えた。

翌日6日の御前会議の席でも、
昭和天皇は、明治天皇が日露戦争の前に詠んだ平和を願う御製 (ぎょせい=天皇が詠んだ和歌) を挙げ、
戦争によって事態を解決しようとする軍部に釘を刺した。

しかし、翌年、近衛内閣は総辞職し、
新たに誕生した東条英機内閣の下、軍部が強行する形で、アメリカ、イギリスとの戦争を始めてしまった。
その結果が、日本の惨めな敗戦に終わったことは、あらためて言うまでもない。


昭和天皇のお気持ちに反して、対米英戦は強行されてしまったが、
同じような失敗を繰り返さないためにも、
今上天皇のご懸念を十分解消することなく、
コロナ対策が不完全なまま、オリンピックを強行することは避けてもらいたいと思う。
あくまで開催するのなら、感染対策を万全にした上で開催してほしい。

世界中から集うアスリートや、それを応援する人々のためにも。



【注釈】
1. 天皇に国務大臣などが、国政について報告を行うこと。

2. 完全な立憲君主制ではなかったとする説もある。

3. 陸軍参謀本部と海軍軍令部が、戦時における陸海軍の最高統帥機関“大本営”を構成する。

4. 一連のやり取りは、内奏に同席した近衛文麿の手記に記されていた。