奥の細道紀行で、芭蕉が出羽国で詠んだ
“五月雨を あつめて早し 最上川”
の句が有名だが、
“五月雨” とは、ご存知の通り梅雨のこと。
旧暦では、現在のグレゴリオ暦と約1ヵ月のズレがあるため、梅雨の時期が5月にあたるのだ。
芭蕉は当初、現地で開かれた句会の席で
(五月雨を)“あつめて涼し” と詠んだのだが、実際に最上川で川舟に乗った際、梅雨の長雨の影響で水量も多く、流れも早かったため、後に “あつめて早し” に修正したと伝えられている。
江戸時代の最上川は、他の河川がそうだったように物資を運ぶ輸送路として舟便が発達していたようで、その様子が浮世絵にも残っている。
この絵には、積み荷を満載して航行する帆掛け船が描かれている。
当時、内陸部で収穫された米や特産品の紅花を、水路 日本海岸の酒田港まで運んだらしい。
しかし、芭蕉が乗った舟はこれとは違い、おもに人を乗せる渡し舟のような舟だったと思われる。
この渡し舟の形をイメージした観光用の川下りの舟が、いまでも各地に残っている。
最上川にもあるが、天竜川や秩父の長瀞のものが有名だ。
私は 以前、木曽川の日本ライン下りの舟に乗ったことがある。
(注:現在は運航されていない)
いにしえの旅人の気分で、川沿いの絶景を眺めながらの川下りは、なかなか風情がある。
ところで、下流の終着点まで着いたあと、
この川舟は、どうやって また上流の乗船場所まで戻るか ご存知だろうか。
私が見た時は、
川沿いの道路を
トラックに積んで運ばれて行った・・・。