この国の精神 危機管理の堕落 緊急 新型コロナウイルス感染者数予測 | 秋 隆三のブログ

秋 隆三のブログ

昭和21年 坂口安吾は戦後荒廃のなかで「堕落論」を発表した。混沌とした世情に堕落を見、堕落から人が再生する様を予感した。現代人の思想、精神とは何か。これまで営々と築いてきた思想、精神を振り返りながら考える。

この国の精神 危機管理の堕落

 

<新型コロナウイルス報道のでたらめさ>

 

  新型コロナウイルスが猛烈な勢いで拡大している。報道で知る限り、致命率は2.3%程度で、高齢者の致命率が高そうであるから、そんなに心配する必要はないのかもしれない。あくまでも正確な報道であればの話だが。蛇足であるが、この「致命率」というのがちょっと気になった。かつては、「致死率」と言ったが最近の報道では「致命率」というらしい。英語を調べてみると「case fatality rate」である。致死率のことである。Fatalityとは不慮の死を意味する。漢字の致命の第1の意味は命を差し出すの意味である。「致知」とは知を極めることである。「死」という単語は人に恐怖を与えるから、それを嫌って「命」を使ったとすれば、何ともはや言いようがない。何と鋭敏な感性を持った国民の多いことかと思う反面、何ともバカな国民が多いことかとため息がでる。最近、このような訳の分からない用語が頻繁に報道用語に出現する。一時期はやった「忖度」、駐留経費負担問題の「片務」等である。忖度は、人の心の尊厳の尺度である。ごますり野郎に忖度と言う言葉はもってのほかだ。ジャーナリストによって忖度はもはやごますりに堕した。片務もそうである。一方だけが義務を負う約束事であるが、そんな約束や契約などは契約とは言いがたい。法律用語で言う片務契約の意味は、こんな意味ではない。バカな知識人が知ったかぶりの言葉を使うとこういうことになる。

  言葉の些細な報道と思うかもしれないが、この程度の気配りができない報道に、新型コロナウイルスの真実に迫る報道などできるわけがない。

 

<非常事態とは>

  新型コロナウイルスの流行で、韓国からの日本批判は、ほとんど聞こえなくなった。こういう非常事態になると国民性というか、その国の精神といったものが少し見えてくるような気がする。昔、石油危機の時代、店頭からトイレットペーパーが消えてしまったことがある。今回は、マスクだ。日本人であろうと、中国人であろうと、全世界の人間という人間はまず自己防衛に走る。その次は、少し冷静になって、非常事態の情報を集める。非常事態がどの程度の緊急性や危険性を持っているかを分析する。専門家の話、政府の見解、実態報道等の情報である。しかし、非常事態というものは、確かなことは誰にも分からない。つまり、何が確かで何が確かでないのか分からないのが非常事態なのである。

 

<新型コロナウイルスに対する日本の対応>

  今回の新型コロナウイルスに対する日本の対応は一体全体どうなっているのだ。1月上旬に軽井沢から東京まで新幹線に乗った。1車両に中国人が半分程度乗っていたのではないだろうか。咳をする者も数人はいた。マスクをしている中国人もいれば、全く無防備という中国人もいる。話はそれるが、中国人の観光客は何故小さな子供達を連れているのだろうか。赤ん坊連れも珍しくない。昔、日本人もアジア各地に観光に行ったが、子連れ観光等は考えもしなかった。金がなかったことも事実だが、子供達が旅先で迷惑をかけるのではないかとか、旅先で不慮の事態になるのではないかと考えたものだ。観光客の子供達があたりかまわず泣きわめき、大声をだすのには閉口する。今、気がついたのだが、日本人には子連れの旅行者がほとんどいない。盆暮れの帰省時期ぐらいしか見ることがないので、特に目立つのだろうか。

 

  さて、話を戻すと、12月末には武漢市で新型コロナウイルス患者が発生したことは分かっていたが、なぜ日本の研究機関がウイルスを特定し、危険性の第一報を出さなかったのか。SARSの経験がありながら何もしていない。中国の正月になっても観光客を止めようとさえしない。日本は、世界のどの国よりも中国人観光客が多いのだから、日本国内での感染リスクは避けようがないではないか。この間、国会ではのんびり花見議論である。何はともあれ、致死率が低くて幸いであった。

 

<マスク効果のうそ>

  日本国民はと言えば、感染の広がり具合を慎重にみている。京都で感染者が出たが、これに対してもかなり冷静に対応している。ここ数年、インフルエンザの流行が激しく、感染症への対応になれていたのではないかと思われる。普段からこれほどマスクを付けている国民は世界中探してもどこにもいない。

 

  今回の新型コロナウイルスの予防策として、マスクは効果がないと専門家が盛んに言っている。根拠は、疫学によって統計的に調べた罹患率によれば、マスクなしとマスクをした人間とに差がなかったというものである。これも統計の取り方に問題がある。感染者も感染していない者もマスクをした場合と、感染者がマスクをし感染していない者がマスクをしなかった場合には罹患率はどうなるのだ。現実には、このような実験はできないから、インフルエンザのはやっている地域でサンプルをとって調べることになる。感染している者と感染していない者とには何の関係もない、専門的に言えば独立したサンプルである。いつからマスクをしたか等は分からない。統計とはサンプルの取り方、因果関係によってどのようにも変わるものである。こんなものが学問だというならば、学問などは何でもありである。

 

  今のマスクは、簡単なマスクでもナノオーダーの物質さえも透過しない。飛沫感染程度は十分に予防できるのである。CDCが看護師にマスクを付けさせて感染率を調べたという報告があるが、これは、家庭用のマスクと医療用のマスクを比較するために行ったものである(ちなみにほとんど変わらない)。しかし、この調査もおかしな調査で、マスクを付けなかった看護師の罹患率は調査されていない。

 

  手や目からの感染は予防が難しい。しかし、飛沫が目に入る密度は、呼吸により吸い込むのに比べれば比較にならないほど小さいだろう。

 

  マスクは効果がないということを平然と言うWHOは一体何なのだ。マスクの対インフルエンザ効果について、ある小学校での感染率の報告がある。明らかにマスクをしたクラスの感染率が低かった。勿論、感染児童がどの程度いたかという母集団の問題はある。人が無意識に行っている吸気の力はかなり強いものである。PM2.5等の微細物質であれば30cmほど離れていても十分に吸い込んでしまう。人との距離が2mあればウイルスの密度も極端に小さくなるので、目つまり結膜から感染する等はほとんどないと言えよう。ただし、手と顔は洗わなければならない。

 

  一方では、日本人がこれだけマスクを付けていても年間1千万人もインフルエンザに感染し、マスクをほとんど付けないアメリカ人では2千万人が感染している。ということは、人口比率からみるとマスクを付けても効果がないとも言えそうだが、死亡者数をみると日本の方が一桁以上少ないので、マスクがウイルス曝露密度を小さくしたことが要因と言えそうである。しかし、感染者数はあくまでも推定値であって実際に検査した数値ではない。致死率から感染者数を推定すると日本のインフルエンザの感染者の方が比較的軽症ではないかとも言える。マスクを着用することで肺の深い部分までウイルスが侵入しないのかもしれない。曝露されたウイルス密度が少なければ例え感染したとしても軽症となる確率が高いのである。感染した場合には、室内でもマスクをし、トイレに行くときも必ずマスクをする必要がある。

  ちなみに、ウイルスが単独で飛散することはありえない。タンパク質や脂質、細胞等の微細な塊に付着して飛散する。この付着は、ウイルスの表面を覆っているタンパク質と細胞や他のタンパク質とが分子結合することによる。分子結合はかなり強力な結合なので呼吸等の風力などでは容易に引きはがされない。水で流す等による表面張力の崩壊力程度の力が必要になる。細胞やタンパク質と結合したウイルスの大きさは数百ナノ以上となるから、市販のウイルス用のマスクでも十分に効果を発揮する。さらに、マスクが有機物の付着機能を備えていればマスク内で分子結合するのでほぼ100%透過しない。勿論、マスクの隙間から侵入する可能性は高いが密閉に注意を払えば十分だろう。これに、ゴーグル型のめがねをかけておけばまずは安心であるが、帽子やフードをかぶり、手と顔を洗い、外出用の服、靴、帽子のアルコール消毒をしておけばとりあえず何とかなる。

 

<パンデミックだ!>

  国内感染が始まってから1ヶ月以上を経過した。もはや、コロナウイルスの感染を止めることは不可能である。パンデミックが始まった。日本の感染者数は、中国に次いで2番目に多い。

  ところで、感染者数の予想数値がどこにも見当たらないのが不思議である。市中感染、つまり感染経路を特定できない感染が始まったのだから、確率的な感染予想ぐらいできそうなものである。国の感染症機関は何をしているのだ。

  簡単な予想をしてみた。前提条件はいろいろあるが、2020年の1月から一人の人間から感染が始まり、当初は一人が一日1.2人にうつし、感染した人が次の日にそれぞれ1.2人にうつすということを繰り返すと、30日後には304人に感染させることになる。それが2月の感染者数である。その後は、1月の感染者が全員1ヶ月間で4人に感染させるとしよう。そうすると3月での累積感染者数は1,522人に増える。この後は、前月と前々月までの感染者の合計感染者が毎月4人に感染させるとして、累積感染者数を計算すると下記のグラフのようになる。累積死亡者数は、致死率を2%として算出したものである。

 

  まず、3月半ば頃には累積感染者数は、1,500人程度となり、5月の連休明けには36,000人に達すると予想される。4月までに押さえ込まなければ、手の付けようがなくなる。

 

  このままの状態で推移すると9月には累積感染者数は2千万人を突破する可能性がある。東京オリンピックの開催時期には累積感染者数が80万人を超え、累積死亡者数は1万人を超えているかもしれない。

 

 

<コロナウイルスの恐怖>

  今回の新型コロナウイルスは、致死率はインフルエンザウイルスよりも若干高いが、インフルエンザみたいなもので余り心配する必要はないと専門家は言っているが本当か。うそである。まず致死率は、インフルエンザが0.1%程度に対して、新型コロナウイルスは2~3%程度と、インフルエンザウイルスの20倍~30倍となっている。とてつもない致死率である。

  コロナウイルスは知られているだけで7種類ある。そのうち4種類は、常在菌やヒトパピローマウイルス、ヘルペスウイルスのようにほとんど全ての人間が持っている。つまり、コロナウイルスというのは人間の免疫システムと共生する機構(メカニズム)を獲得しているウイルスである。コロナウイルスを殺す薬は、SARSやMERSウイルス以来いろいろ研究しているが、未だ開発されていない。何故か?

  人間の免疫系との共生メカニズムを持っているからである。コロナウイルスの怖さはここにある。最近の遺伝子解析によれば、新型コロナウイルスはHIVウイルスと同じアミノ酸配列を持っているらしい。つまり免疫不全を引き起こすのである。感染しても発症しない人がいるのは、免疫共生のメカニズムとともにHIVと同じような振る舞いをしているためだと考えられる。感染して完治したとしても、新型コロナウイルスは死んではいない。ウイルスが増殖すればいつでも人にうつすことになり、免疫力の低下や、何かの病気が引き金になって重症化することは十分に考えられる。新型コロナウイルスに一度感染すると死ぬまで体内に留まるということである。これがインフルエンザウイルスとの決定的な違いなのである。

ホモサピエンスが絶滅寸前を回避して2万年が経ち、その間、4種類のコロナウイルスと共生してきたが、今回の新型コロナウイルスの発生は、どうやら人類最大の危機を迎えたと言える。

 

<危機管理に対する国家精神の欠如>

   今回の新型コロナウイルスに対するこの国の危機管理のあり方は、極めて問題である。民主主義もここまでくるともはや害であって益ではない。

    なぜここまで危機管理ができないのか。

  第一は、政治家の国民に対する責任の放棄である。専門家による対策委員会なるものの専門家の意見を実名入りで公表しろ。さらに安部と管、加藤は、政治家個人としての現状認識を表明しろ。野党は何をしているのだ。関西生コン事件と深い関わりがあるという辻本の花見質問に対して何時間かけている。立憲民主党の枝野というクズは、危機管理等は福島原発以来触れたくもないのだろう。

ダイヤモンドプリンセス事件の責任回避は、報道を見ていても明らかではないか。だれが責任をとるのだ。さらに、武漢市からの日本人の帰還では、航空運賃を当初は個人負担といっておきながら、批判が高まると国が負担するという。とんでもない話だ。これはあくまでも個人負担である。さらに言えば、駐在社員であれば企業が負担すべきである。こんな道理さえ毅然と国民に説明することさえできない政治家に政治を任せられるのか。

 

  第二は、官僚の無責任さである。普段は、地方に対して予算をたてに権力を振りかざすが、こういった事態になると地方が何をどのようにすべきかの明確な方針も示さず、ただ検討しろとは言語道断である。今回の事態で、地方は中央官僚の無能さを改めて認識した。ダイヤモンドプリンセス事件では、寄港地である神奈川県が横浜市と共に不眠不休の活動であった。本来は、国が体制、責任者を公表して対策をとらなければならないが、何も公表されていない。ダイヤモンドプリンセスでは、乗員・乗客3600人を船内に残したまま対応した。さらに、武漢からの帰還者では民間のホテルの協力で隔離し、食事はコンビニ弁当だそうだ。コンビニ弁当を手配するのに、農水省の役人が担当したというからあきれてものが言えない。

  東京には東京オリンピックの選手村があります。昨年12月に完成している。1万2千人を収容可能というから隔離施設としては十分ではないか。なぜ、使わない。

問題は沢山ある。民間でもできる検査をしない。自宅待機。保険の適用。隔離医療施設がない。医者が足りない。足りない、足りない・・・・・・。パンデミックなどは何時起きてもおかしくないのが現代ではないのか。

 

  第三は、経済界の無責任な対応である。観光が駄目になるから、なるべく規制を緩やかにしてくれ。パニックになる情報は発信しないでくれ。金のことばかりではないか。経団連の意見等は、どこにも見当たらない。経済界の精神等というものは、腐れきっている。普段は偉そうに国家をしょっているような発言をしながら危機的状況になるとだんまりをとおし、あからさまに保身に走る。官僚の諸君、こんなクズを何とかするのが仕事ではないのか。そうか、君達もクズになったか。

 

  第四は、感染情報の公表である。もはや、個人情報や人権、個人の自由等は論外である。北海道の情報公開のひどさにあきれかえる。氏名の公表はしなくても、どの地域で行動範囲はどのようなものであったか等の詳細について公開しなくては、予防のしようがないではないか。何とかいう金儲けクズ知事を選ぶ道民の精神を疑う。

 

  第五は、医者や感染研の専門家という名のクズどもである。堕落論2017~2019まで、何度となく専門家という堕落者を挙げてきた。今回の事件は見事に当たってしまった。専門家の知見なるものは何の役にも立っていないではないか。治療している医師の努力には敬意を表するが、現場の活動を支援するために何をしているのだ。緊急予算が、わずか150億円だが付けられた。民間では検査技術がないから国や都道府県の機関でしか検査ができない。未熟ならば何故緊急に民間検査機関の教育をしない。未熟なのではない。民間の技術者の方がはるかに優秀である。予算を獲得してばらまく権限を持ちたいだけだ。1県あたり3億円強にしかならないのだが、ばらまき権限がほしいために民間にやらせない。何とも情けない精神ではないか。一方では死に直面している国民がいるというのに。この医療制度の頑迷さは、専門家なるものが作り出した。日本にCDCがないのは厚生労働省が省益を守るために反対しつづけてきたためである。隔離施設を通常の病院内に設置することは簡単にできる。米軍の野戦病院等にいくつも例がある。また、愛知県の開院前の大学付属病院に帰還者を隔離したが、開院手続き前なので医療行為はできないのだそうだ。バカ野郎! パンデミックを阻止するならば、いつでも、どこでも医療行為ができなくては意味がないではないか。この付属病院経営者の医療に向き合う精神はどうなっているのだ。こんな病院には死んでもいくものか。神戸大学の医学部の先生が、ダイヤモンドプリンセスの感染防止状況のひどさをネットで公開して、すぐに圧力がかかって止められてしまった。その勇気に敬意を表します。全国の病院の現場の医師達よ。御用専門家のクズどもを糾弾しようではないか。もっと声を上げよ。医者の精神とは何かを問え。

 

 

  新型コロナウイルスの感染拡大は、もはや止めることはできない。我が国の政治家、官僚、財界人、医療専門家の堕落した精神が生み出したものである。恐らく経済は、後、数ヶ月で最悪の事態を迎えるだろう。東京オリンピックどころではない。国民の数万人が死の恐怖を迎えることになる。さらに、コロナウイルスが我々にとりついて離れず、子々孫々までその体内に残ることは間違いない。いつかは、特効薬が開発されるだろうが何時になるかは全く分からない。ひざまずいて天命を待つ、令和の時代の到来である。

 

2020/02/25