この国の精神 「日本精神(史)研究」(1)-3 | 秋 隆三のブログ

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昭和21年 坂口安吾は戦後荒廃のなかで「堕落論」を発表した。混沌とした世情に堕落を見、堕落から人が再生する様を予感した。現代人の思想、精神とは何か。これまで営々と築いてきた思想、精神を振り返りながら考える。

最後に、長文の「沙門道元」を載せている。道元は、中国五禅の一つである曹洞宗を広め、永平寺の開祖として知られている。鎌倉時代は、仏教哲理の究明時代と呼べる時代である。平安貴族政治から武家政治へと激変し、貴族によって支えられていた仏教から武家・庶民のための仏教へと仏教も内部からの変質が迫られた時代である。鎌倉時代初期に親鸞が、約20年遅れて道元が、さらに20年ほど遅れて日蓮が現れる。親鸞は、「悪人なおもて往生す」と弱きものこそ救われると説き、難行・苦行や教義究明ではなく称名念仏という感性による万人成仏を説いた。道元は「只管打坐」の坐禅・瞑想による脳内化学反応が引き起こす、感性でもなく理性でもない知的幽玄性に成仏を見た。日蓮は、法華経の平等主義こそが衆人成仏と説いた。

 

仏教哲学の根源に迫らなければ、道元の精神に迫ることは難しい。和辻は、宗教哲理の究明に「挫折」したと書いているが、宗教哲学は、元来、霊性に関する論理的矛盾を矛盾とせず、あるがままに信じ、アプリオリなものとして展開するものである。理性によって理解しうる論理的世界ではない。

 

無神論者である私には、宗教哲学は手に余る課題である。和辻が、道元の精神に日本の精神を探ろうとしたのか、道元をとおして鎌倉時代の時代精神に迫ろうとしたのかはわからない。しかし、これだけは言えそうである。親鸞、道元、日蓮の出現は、平安貴族社会にぶら下がり、堕落しきった仏教界に訪れた自己改革の旗手であった。現世利益、極楽浄土、怨霊祈祷と自己利益のための宗教と堕した仏教を、本来の万人救済、平等成仏へと復し、荒廃した社会、混乱した人心(精神)を立て直すことであった。

 

ここで注目すべき点が一つある。道元は、宋に渡り、曹洞宗を我が国にもたらしたが、思想の輸入にあたり、道元は禅宗の非論理性に疑問を抱いたというのである。宗教というものは、霊的存在を基本とする限り、非論理性を内包している。道元がそれを知らないはずはない。そうではなく、禅の本質を知るには、禅なるものの全否定から始め、否定的論理を構築する。その上で否定的論理を否定する可能性を探り、否定論理を否定する論理を構築するのである。このことによって、否定の否定は肯定となりそのまま残り、否定の否定ができないものは新たな発見となる。この否定の否定の弁証法、再否定弁証法によって、輸入思想は単なる模倣ではなく、一定の客観性を持った独自の思想へと変貌するのである。

これは、カントの批判哲学にも似ているが、批判理論を再度批判すると言う意味でフランクフルト派の無条件単純批判理論を超えるものでもある。理性的に想像しているものを否定し、再度否定たり得るものを理性的に想像する。ちなみに、ヘーゲルの弁証法は、正・反・合の三段階、つまり、無自覚に受け入れ、対立概念による批判段階を経て、高位の段階に至るとする。この意味では、ヘーゲルの弁証法のようでもあるが、観念的思考方法ではなく、実践的なモノ、かたちの構築のための思考形態である点で、似て非なるものと言えよう。

 

否定の否定というスパイラルな思考、ネガティブ・スパイラル(Negative Spiral)思考(=ダブル・ネガティブ・シンキング)こそが、中国に比べあらゆる面で遅れていた日本が醸成した独自の精神であったとは言えないか。それは、鎌倉時代に始まったことではなく、飛鳥寧楽時代の日本人が生み出した精神であった。

 

和辻の「日本精神史研究」から、何が日本精神かを汲み取ることは困難であった。和辻がこの論文をとりまとめたのは、20代後半から30代前半のことである。当時の時代性をみても、和辻は相当に意気込んでいたと思われる。しかし、意気込みに反して、思想的、歴史的、論理的追求の甘さが文章の迫力のなさに表れている。

非才浅学の者の赤面もなき和辻批判をお許し願いたい。

 

飛鳥寧楽時代から鎌倉時代にかけて、我が国が、中国大陸から輸入した膨大な文化・文明を、縄文弥生人を祖先とする我々の祖先がどのような精神によって独自の文明・文化を求めたか。

それは、輸入文明・文化への熱望だけではなかった。熱望し、批判し、さらに批判する精神である。熱望者、批判者、抗議者となることによって真に必要な創造物を選択するという思考過程=精神の確立である。

西暦200年代から1200年代までの1000年という長い時間をかけて、国家制度、思想、宗教、技術等々、あらゆる「この国のかたち」の創造にとってネガティブ・スパイラルな思考が欠かせない精神であった。そして、こういった精神を自ら獲得したことが、アジアにおける日本の特異性を生み出した。

 

日本は、第二次世界大戦で負けた。完膚なきまで、回復不能なまでたたきのめされた。復興のためには、勝者の論理・文明を無条件に受け入れねばならない。相手を否定してはならない。戦後民主主義は、否定なき輸入物として定着し、奇跡的経済回復を成し遂げた。情報化・グローバル化した現在、この国の新たなかたちをどのように作るべきかが問われている。この国が依拠した独自の精神に立ち戻り、輸入モノではない自らの文化・文明に対する再否定弁証法的な再批判精神こそが必要なのではないだろうか。

 

                                           令和元年918

最後に、長文の「沙門道元」を載せている。道元は、中国五禅の一つである曹洞宗を広め、永平寺の開祖として知られている。鎌倉時代は、仏教哲理の究明時代と呼べる時代である。平安貴族政治から武家政治へと激変し、貴族によって支えられていた仏教から武家・庶民のための仏教へと仏教も内部からの変質が迫られた時代である。鎌倉時代初期に親鸞が、約20年遅れて道元が、さらに20年ほど遅れて日蓮が現れる。親鸞は、「悪人なおもて往生す」と弱きものこそ救われると説き、難行・苦行や教義究明ではなく称名念仏という感性による万人成仏を説いた。道元は「只管打坐」の坐禅・瞑想による脳内化学反応が引き起こす、感性でもなく理性でもない知的幽玄性に成仏を見た。日蓮は、法華経の平等主義こそが衆人成仏と説いた。

 

仏教哲学の根源に迫らなければ、道元の精神に迫ることは難しい。和辻は、宗教哲理の究明に「挫折」したと書いているが、宗教哲学は、元来、霊性に関する論理的矛盾を矛盾とせず、あるがままに信じ、アプリオリなものとして展開するものである。理性によって理解しうる論理的世界ではない。

 

無神論者である私には、宗教哲学は手に余る課題である。和辻が、道元の精神に日本の精神を探ろうとしたのか、道元をとおして鎌倉時代の時代精神に迫ろうとしたのかはわからない。しかし、これだけは言えそうである。親鸞、道元、日蓮の出現は、平安貴族社会にぶら下がり、堕落しきった仏教界に訪れた自己改革の旗手であった。現世利益、極楽浄土、怨霊祈祷と自己利益のための宗教と堕した仏教を、本来の万人救済、平等成仏へと復し、荒廃した社会、混乱した人心(精神)を立て直すことであった。

 

ここで注目すべき点が一つある。道元は、宋に渡り、曹洞宗を我が国にもたらしたが、思想の輸入にあたり、道元は禅宗の非論理性に疑問を抱いたというのである。宗教というものは、霊的存在を基本とする限り、非論理性を内包している。道元がそれを知らないはずはない。そうではなく、禅の本質を知るには、禅なるものの全否定から始め、否定的論理を構築する。その上で否定的論理を否定する可能性を探り、否定論理を否定する論理を構築するのである。このことによって、否定の否定は肯定となりそのまま残り、否定の否定ができないものは新たな発見となる。この否定の否定の弁証法、再否定弁証法によって、輸入思想は単なる模倣ではなく、一定の客観性を持った独自の思想へと変貌するのである。

これは、じつはカントの批判哲学の論理手法であるが、批判理論を再度批判すると言う意味でフランクフルト派の批判理論を超えるものである。理性的に想像しているものを否定し、再度否定たり得るものを理性的に想像する。

否定の否定というスパイラルな思考、ネガティブ・スパイラル(Negative Spiral)思考(=ダブル・ネガティブ・シンキング)こそが、中国に比べあらゆる面で遅れていた日本が醸成した独自の精神であったとは言えないか。

 

 

和辻の「日本精神史研究」から、何が日本精神かを汲み取ることは困難であった。和辻がこの論文をとりまとめたのは、20代後半から30代前半のことである。当時の時代性をみても、和辻は相当に意気込んでいたと思われる。しかし、意気込みに反して、思想的、歴史的、論理的追求の甘さが文章の迫力のなさに表れている。

非才浅学の者の赤面もなき和辻批判をお許し願いたい。

 

飛鳥寧楽時代から鎌倉時代にかけて、我が国が、中国大陸から輸入した膨大な文化・文明を、縄文弥生人を祖先とする我々の祖先がどのような精神によって独自の文明・文化を求めたか。

それは、輸入文明・文化への熱望だけではなかった。熱望し、批判し、さらに批判する精神である。熱望者、批判者、抗議者となることによって真に必要な創造物を選択するという思考過程=精神の確立である。

西暦200年代から1200年代までの1000年という長い時間をかけて、国家制度、思想、宗教、技術等々、あらゆる「この国のかたち」の創造にとってネガティブ・スパイラルな思考が欠かせない精神であった。

 

日本は、第二次世界大戦で負けた。完膚なきまで、回復不能なまでたたきのめされた。復興のためには、勝者の論理・文明を無条件に受け入れねばならない。相手を否定してはならない。戦後民主主義は、否定なき輸入物として定着し、奇跡的経済回復を成し遂げた。情報化・グローバル化した現在、この国の新たなかたちをどのように作るべきかが問われている。この国が依拠した独自の精神に立ち戻り、輸入モノではない自らの文化・文明に対する再否定弁証法的な再批判精神こそが必要なのではないだろうか。

 

                                           令和元年918