堕落論2019 今の世の中あれやこれや(2) | 秋 隆三のブログ

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昭和21年 坂口安吾は戦後荒廃のなかで「堕落論」を発表した。混沌とした世情に堕落を見、堕落から人が再生する様を予感した。現代人の思想、精神とは何か。これまで営々と築いてきた思想、精神を振り返りながら考える。

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★アメリカの大統領 あれやこれや

 

ところで、1993年以後のアメリカ大統領は4人であるが、このうち、ビル・クリントン、ジョージ・ブッシュ、ドナルド・トランプの3人は、1946年生まれの同い年である。バラク・オバマは、1961年生まれであるから、これら3人に比べればかなり若い。クリントン、ブッシュ、トランプの3人の生い立ちの共通点と言えば、1946年生まれの同い年以外に、ほとんど共通点は見られない。

 

クリントンの育った家庭環境は、義父がアル中で酒癖が悪いということを除けば、戦後の平均的家庭といったところだろう。1968年ジョージタウン大学を卒業というからまあ順当に進んでいる。その後、オックスフォード、イエール・ロー・スクールに進むという長い学生生活をおくっている。1960年代後半のベトナム反戦運動にも参加しているが、それほど熱心な運動家というでもなく、むしろ学生時代から政治活動に参加して留学、ロー・スクールへのチャンスをものにした、努力家で運のいい男というところだ。1978年のアーカンソー州知事選に勝利するが、その前に下院議員選での敗退、州司法長官選勝利等を経験している。企業実務経験がほとんどない、政治好きの幸運な南部生まれの青年がそのまま大統領になった。

 

ブッシュは、言わずと知れた東部コネチカットの名門ブッシュ家の長男である。イエール大学を卒業し、ベトナム戦争中にテキサス州兵として6年間を過ごしているが、ベトナムには行ってはいない。その後、石油会社やMLBのオーナー等をして食いつなぎながら1995年にテキサス州知事になる。ブッシュの政治活動は、この時から始まり、2001年に大統領になった途端に9.11同時多発テロにあう。クリントンに比べると、名門ブッシュ家という後ろ盾で大統領にはなったものの、実についてない男と言わざるをえない。

 

トランプは、ドイツ人移民の父とスコットランド人の母の間に生まれた5人兄妹の4番目である。ニューヨークのクイーンズで育ち、ブロンクスの大学に入った後、ペンシルベニア大に転校している。クイーンズ・ブロンクス育ちというから人種のるつぼで育ち、相当手の付けられない不良であったらしい。他の兄妹についてはよくわからないが、姉には裁判官などもいるようで、トランプは、兄妹のなかでは出来のいい方ではない。大学卒業後は親父の不動産業を手伝い、その後不動産開発業で独立するが、地上げ、カジノ経営等何でもやっているので、推測だが、その筋とも少しは関係しているのではないかと思われる。一時期は、事業に失敗し借金を抱えるが、何とか乗り切ったようだ。現在も中国の銀行に多額の借財があるという噂もあり、中国に貿易戦争を仕掛けるのもなんとなくうなずける。

 

クリントンは、品行方正で努力家、そこそこに勉強ができて野心もあり、女好きの好青年タイプ。ブッシュは、才能はないが、天性の人の良さと親父の七光りで何とかのし上がったお坊ちゃんタイプ。トランプは、商売人の父親に「金の稼ぎ方」を仕込まれ、脅しとごますりの才能に磨きをかけた典型的商売人二世タイプ。

 

オバマは、以上の3人の大統領に比べて、15歳も若く戦後世代ではないこと、アメリカ初の黒人大統領であること、演説のうまさ等が目立っているが、オバマケア政策以外にはこれといった新たな政策はなかった。現在の中国の経済成長と覇権主義に何もせず、知的所有権問題を無視したとか、イラクからの米軍の撤退を早めたためにISを肥大化させた等、無能な政策に対する批判が大きい。ブッシュ後のテロ対策を政策の主眼とすべきところをやりきれなかった。政治的経験の浅さと、生まれ育ちから推測できるが、周囲の人の空気を巧みに読む知恵が、「Change」のスローガンだけで何もしなかった大統領となったとも言える。

 

クリントン時代は、ITバブル期であり、アメリカのIT企業が飛躍的な成長をとげ、米国中が沸きに沸いた。不動産証券化、活発な住宅開発とともに新たな金融商品が次々に生み出された。クリントンにもこれといった政策はないが、しいてあげるとすれば政策手法に成果主義を取り入れたことぐらいだろう。成果主義とは、政策成果をアウトプットではなく、アウトカムで評価するという手法である。これがなかなかわかりにくい。アウトプットとアウトカムでは何がどう違うのか。このことは少しおいて、そもそも政策をどのように評価すべきかについては、古くから様々に議論されてきたにもかかわらず、何故この時期にクリントンが成果主義を唱えたかである。推測にすぎないが、アメリカ経済がITバブルによって奇跡的に再生・回復したこと、Windows95の登場によりインターネットの発展が期待され新たなIT市場が生まれること、情報通信技術の発達によりグローバルな金融市場が形成されると見込まれること、等々の経済成長をもたらした要因が、企業経営の成果主義による結果だともてはやされたことがあると思われる。当時、経済学者は、もはや米国に不況はないとさえ言っていた。今になって考えると、単なるイノベーションであって、すべて嘘だとわかるのだが。

 

クリントンは、企業経営の成果主義という考え方を政策手法に採用した。1980年代中頃から政策科学なる学問が登場し、NPMNew Public Management)という経営手法を政策に取り入れた。この手法を、政策評価に応用し、1993年に政府業績評価法 GPRAGovernment Performance and Results Act)という法律を制定する。この制度は、成果目標(アウトカム)を数値目標で示し、毎年評価するというものである。その後、同様の制度は、旧英国領である、オーストラリア、ニュージーランド、カナダで採用され、日本も採用した。

 

ところがである、9.11以後、政策の計画様式としては現在も継続しているが、肝心のアウトカムの数値目標なるものは、姿を消してしまう。さらに2000年代に入ると、住宅バブルとなり、企業の成果主義等はどこかへとんでいき、金融工学による荒稼ぎが主流となる。

 

当時、日本では政策評価だ事務事業評価だとどこかの県の知事が叫んでいた。細川内閣、村山内閣と革新政党時代のことである。

 

実は、この成果主義による政策運営というのは、実に面倒なシステムなのである。企業の成果主義などというものはいい加減なもので、利益の一定額を研究開発や社会貢献に使い、消費者の潜在的購買意識に良い企業イメージを植え付けることで、消費者が商品やサービスを選択する場合の優位性を確保するというものである。いわば、経営の保険のようなものをアウトカムというと思えば良い。こんなものが政策成果に利用できるわけがない。企業ならば、低コストで効果の高い方法に金を使えば良いが、政策となるとそうはいかない。くそまじめに、政策目標を検討し、成果目標なるものを何とか創り出し、それも実行可能な範囲の数値目標をひねり出す。そして毎年、毎年データを集め評価するのである。税金がこれでもかこれでもかと投入される。すべてが無駄であるとは言わないが、国や都道府県が実施している今の政策評価なるものは、90%は不要だ。1/10以下に簡素化すべきである。成果指標は不必要だ。定性的目標でよい。政策評価は、議会で議論すべきである。

 

米国は、日本の会計検査院とは異なり、議会にGAOという監査機関が設けられている。業績評価は、議会委員会の専権事項なのである。

 

ところで、新自由主義経済とか自由放任経済といった経済思想が、このクリントン時代に再燃する。IT革命でイノベーションに成功した米国にとって、グローバル化した金融市場は何はともあれ自由放任でなければならなかった。これに対しても、クリントンは何もしなかった。前述のNPMGPRA、そして費用対便益(B/C)という政策評価の3本柱は、この時代の新自由主義経済思想を理論的背景に形成された。

 

新自由主義経済思想なるものは、フリードマンらの経済学者達が提唱した。簡単に言えばというよりこれしか理論的根拠はないのだが、すべての経済は、市場に任せれば良いという思想である。それも完全に自由な市場にである。医療、福祉、教育等、行政サービスのほとんどすべても市場経済でやるべきだという。こんなことができるわけがないことは、ちょっと考えればわかることである。貧富の差、つまり格差の大きい社会では、教育さえままらないというのに、市場経済による教育経済システムなどを導入すれば格差はさらに広がることになる。さらにいう。格差が広がったら貧困層には税金とは逆に国から給付金を支給するのだそうだ。こうなると、自由放任の資本主義経済は格差社会を生み出すと証明しているようなものだ。

 

ところで費用対便益という経済手法にも問題がある。便益をすべて貨幣価値に換算して評価するというのが費用対便益分析である。公共事業などの公共政策の効果のうち経済効果として貨幣換算可能なものもある。例えば、道路や橋を作ればそれなりの経済効果は発生する。さらに、公共事業そのものが経済波及効果として雇用を生み、技術開発を促進させる。ケインズの乗数効果である。しかし、貨幣価値に換算できないものも沢山あるのだ。この便益という概念を研究したのがベッカーである。フリードマンの弟子であり、新自由主義経済を担いだ経済学者の一人である。とんでもない学者で、自殺の便益等とてもつもない貨幣価値への換算方法を考え出した。

 

新自由主義経済学なるものに、格差是正の経済思想といったものはちりほどもないのだが、格差社会が広がるとみると、前述のように貧困者への給付金制度だと主張し始める。これでは社会主義ではないか。そうか、新自由主義思想とは、状況に柔軟にかつ自由に問題解決に当たる経済手法なのだ。経済思想・哲学というには余りにも狭小であり、経済理論というよりは経済手法といった方が適切であろう。

 

自由放任の経済学だけではなく、特に経済学は、極めて危うい学問である。経済学に限らず、社会科学という学問(科学と呼べるかどうかは問わなければならないが)全般が危うい学問なのである。経済政策、医療福祉・教育等の社会政策、公共政策全般に対して、社会・経済学者は自説の経済理論(理論というよりは手法)は絶対正しいとしてやたらと実験したがる。こういった社会実験で成功した試しがない。日本のバブル経済は、フリードマンが日銀の顧問であった時期に一致し、マネタリズムそのものによってもたらされた。バブル崩壊した時には、急激な金融引き締めが原因でありもっと緩やかにすべきであったと言っている。バブルの前には円をどんどん印刷して、ドルをやたら買わせていたのにである。

 

何はともあれ、1990年代アメリカのITバブルは、その場限りの金儲けとばくちに明け暮れる金融経済に依存した自由放任経済システムへと突き進むことになる。これがクリントン政権の本質である。

 

クリントンからブッシュに替わってすぐに、あの9.11が発生した。米国にとって歴史的衝撃である。ちょうど徹夜で仕事をしており、テレビを付けっぱなしにしていた。すると、突然ニュースが飛び込みツインタワーから煙りが上がっている。何が起こっているのか放送している方もわからないようだったが、2機目の飛行機が突っ込んでいくところがリアルタイムで放送された。攻撃目標となったのが、ウオールストリートの貿易センタービルであり、アメリカ金融経済の中心地であった。

 

ブッシュも運が悪いというか、本来ならばクリントン政権下で起こってもおかしくないテロであるが、なにせ、外交的には何もしなかったクリントンの後に大統領となったのである。イラクのサダムフセインからみれば、父ブッシュの湾岸戦争以来、にっくきブッシュ一族である。

 

ブッシュ政権の最後の年には、あのリーマンショックに陥る。つくづくこの男はついていない。住宅バブルの芽は、既にクリントン政権下のITバブルと同時に発生していた。

 

テロ対策と経済再生という二大政策課題に対して、オバマは「チェンジ」と叫んで登場した。この男もオバマケアという医療改革だけが政策成果として挙げられるが、他にはこれといった政策はない。テロ対策どころか、イラク、アフガニスタンからの撤退、アラブの春とその失敗、ISの台頭、中国の覇権主義の助長等々と外交上の危機的失政を招いた。と言っても、当人はノーベル平和賞を受賞するというのだから話にならん。

 

そして、わがトランプの登場となる。堕落論2018にも書いたように、この男の登場にはいささかびっくりした。私がびっくりするより、当の本人が最も驚いたに違いない。まさか当選するとは思ってもいなかったのだろうから。当選するなりメディア批判、フェークを連発する。オバマケアの撤回、メキシコとの壁と移民規制問題、次いで、同盟国に対して驚異から守ってほしければもっと金を出せだ。今は、盛んにディールしている中国との貿易問題である。

 

この男の価値基準は、これまでの行動をみれば極めて単純明解であることが分かる。今、やれることをやるということだ。それが、選挙で勝つために必須であり、他のことはどうでも良いのである。しかし、考えてみれば、理想を掲げて挑んでみても、たかだか4年か8年で、世の中がそれほど変わるわけではない。それよりは、票集めであっても見たくない現実問題にメスを入れるのであれば、最も確かな政策である。それが遠い将来においても正しい政策であるかどうかは、誰もわからないのだから。今、トランプがやっていることは、少なくとも誰もが見たくない現実であることは間違いない。企業経営の本質は、理想を求めて、いけいけどんどんで闇雲に突っ走ることではなく、今、そこにある問題、それも誰も見たくない現実問題をいかに早く解決するかにかかっている。先送りしないで終わりにすることが重要なのである。

 

中国との貿易問題は、貿易問題が問題なのではなく、共産党一党独裁による共産主義政府が巨大化することに対する危うさーリスクーである。このまま放置するわけにはいかない。かつて、冷戦時代に、経済は東西に分断されていた。中国市場が自由主義圏とは一線を画すことになるのは、今の政治体制が続けばかなり近いうちである。それで困るのは金余りの投資家や企業だけだ。その時には、経済構造を作りかえればいいだけではないか。10年程度は相当苦労するかもしれないが、日本が生き残るには最善の方策である。日本企業も既に中国から徐々に離れ始めているとは思うが、そろそろ引き上げの方法とタイミング、他の民主主義国への移転を本格的に考えておく時期である。そのために、400兆円を超える内部留保を貯め込んだのだから。

 

トランプは、クリントン以来ほとんど何もしなかった大統領に比べればそれなりにやっている方である。ここまでくると、もう少し続けてやってくれと言いたくなる。アメリカ国民ももう少しやらせてみるかという感じになっているのではないだろうか。

 

何はともあれ、ここしばらくはトランプから目を離せない。米中貿易問題と覇権争い、北朝鮮問題と戦争、中東紛争等々、どれ一つとっても我々の生活と密接に関連する。メディアにとっては大喜びだ。メディアが煽らなくても、トランプがかってにやってくれる。

 

★平成から令和へ  あれやこれや

 

平成から令和へと元号が変わった。考えてみれば、現代では元号なるものに何の意味もない。歴史的には、中国皇帝による統治年を示し、紀元前140年の「権元」が始まりである。日本では、大化の改新(最近では大化の改新とは言わないようだ)が元号の始まりとされている。元号の平均年数を調べると、たかだか数年といったところだ。天変地異や政変があると、良い年にしたいと元号を変える。一世一元号となったのは、明治からである。明治時代以後、天皇の即位年数は、天皇と同年代の国民の平均的労働年数にほぼ一致するので、元号は、時代感覚というか時代性をなんとなく表している。

 

「令和」の典拠は、『万葉集』巻五の「梅花謌卅二首并序(梅花の歌 三十二首、并せて序)」/天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也」である。「令和」の選定については、文藝春秋2019年6月号に選定者の一人である中西氏が一文を載せており、令和の令は、麗しいという意味であるとしている。

梅花の歌序の一部は下記のようになっている。

于時初春令月 氣淑風和

時に初春の令月(この場合『令』は“物事のつやがあるように美しい”の意)

新日本古典文学大系『萬葉集(一)』(岩波書店)の補注では、「令月」の用例として詩文集『文選』巻十五収録の後漢時代の文人・張衡による詩「帰田賦」の下記の句を挙げているという。

於是仲春令月時和氣淸原隰鬱茂百草滋榮

仲春の令月、時は和し気は清む

 

天平二年は、西暦では730年であり、桓武天皇の平安遷都の64年前に当たる。大伴旅人が左遷されて太宰府に赴任し、正月の宴会で作った歌である。

 

令月の意味は、広辞苑によれば、

①万事をなすのによい月、めでたい月

②陰暦2月

となっている。参考に和漢朗詠集の例を挙げている。平安時代以後の解釈ではめでたい月や2月の意味で使われていたと思われるが、奈良時代のこの時代ではどうであったろうか。

 

その前に、暦について少し調べておく必要がありそうだ。天平2年頃、我が国で使われていた暦は、儀鳳暦という中国唐の麟徳暦を使用していた。この暦は、進朔という方法をとっていなかったので、暦と季節とのずれが大きかったと思われる。現在の暦は、グレゴリオ暦という太陽暦であるが、江戸時代までは太陰太陽暦あるいは陰暦、現代でいう旧暦であった。この陰暦は、地球が太陽の周りを回る黄道周期と月の周期とからなる二十四節気というややこしい暦である。1月1日を、冬至と春分の中間日として、1年を月の周期12で分割するが、一端1月1日を決めると1年で11日ぐらいずれてくる。このずれを補正するのが進朔という方法である。朔は新月のことであり、1日のことである。太陽と月・地球が並び、月が真っ暗になる日のことで、1直線になれば日食である。夜になって月が最初に見える日のことを朔日ということもあるが、この時代にどれを朔日としたかは分からない。しかし、大伴旅人が新春の宴を開いた正月13日は、望月、つまり満月だったと思われる。正月元旦の神社詣は、朔日の前日の夜の厄除け(節分)であり、元日のお祝いは、元来、1月の満月の夜に歳神(としがみ)を迎える神事であったものが1日元旦に行われるようになったと考えられるが、中国や日本の一部の地域では望月を1年の初めの祝いの日としている場合もある。歳神とは、民俗学、古代宗教の研究等でも知られるように、日本の古代では人が死ぬと山に葬った。通常、霊は山にいるが新年の初めに里に下りてくる。そのため、社(やしろ)が山の入口に作られ山から下りてきた霊が山に帰るまで止まるところとされた。

 

ということで、大伴旅人が開いた宴は、新年の歳神を敬う宴であると考えられる。太陰太陽暦は、1年の日数はかなり正確である。元日が新月であれば、満月は14日の夜中になると思われるが、新月から数えて14日目とすれば、13日が満月となったかもしれない。いずれにしても、まだ望月を年の初めとする風習はあったと思われる。梅の開花時期は、温暖化の現代では、奈良地方で1月末、九州北部で1月10日頃である。陰暦では、九州の梅の開花は12月末頃、奈良で1月上旬といったところだが、西暦730年ごろの平均気温はどうだったかである。これも研究されていて、屋久杉の年輪を炭素同位元素により測定して推定している。大化の改新前後は、寒冷期にあたりかなり寒かったようだが、この西暦730年前後から温暖化となっているから、現代ほどではないにしても、現代歴の1月末頃、陰暦の12月下旬には九州で梅が開花したと推定される。ということは、大伴旅人が歌ったように、初春1月13日頃は梅が満開であったと思われる。平安遷都後の西暦900~1000年頃の京都は、温暖期に当たる。2019年の京都の梅の開花は、2月24日であったから、平安時代中期では今よりはやや寒いので、満開は新暦の3月上旬、陰暦では2月上旬と考えられる。2月を梅見月と呼ぶのも納得できる。

 

令月の令という字を漢字源で調べると、上の「人」は、集めるとか、冠という意味であり、下の文字は、元来「ひざまづいて神意を聞くさま」と解説されている。

「帰田賦」の「仲春令月」は、仲春も令月も2月を示しているが、仲春はそのままで令月は2月と呼ぶ方が語呂が良い。つまり、「時は、春なかば2月」であり、仲春は2月にかかる言葉と解釈できる。しかし、大伴旅人の歌の解釈には次のように少し工夫がいると思われる。

①「時に初春であるが2月のようだ」

太宰府に赴任して初めての正月だが、奈良に比べてかなり早い梅の開花に驚き、「帰田賦」の句を借りて洒落たものと解釈する。

②「時に初春、歳神を迎えるめでたい月だ」

「令月」を先祖神を迎えるためのめでたい月と解釈する。「帰田賦」の2月の意味ではなく、「帰田賦」の句にかけたもの。

③「時は初春、麗しい月だ」

万葉集の常識的解釈。

 

大伴旅人の句に対する長い私見で恐縮である。「令」を単純に「良い」と解釈するには、やや抵抗があったためであり、何故、「令」を「良い、よし」と同義とするかについての説明がどこにも見られないためである。現代でも使われる、「令嬢、令息、令夫人、令兄」等の「令」は、敬称であり、しいて解釈すれば「ご立派なお子さん」等という言い方と同じである。「心から敬意を払います」という意味ともなる。「麗しい」という意味では余りにも意訳ではないかと思うがいかがだろうか。

 

さて、平成が30年続き、次の令和が現天皇の御存命期間とすれば、およそ30年といったところだろう。今の働き盛りの30代、40代の時代となる。令和時代の終わりは、2050年頃となり、人口は1億人を下回ると言われている。令和時代は、人口減少の時代だ。気候変動はますます激しくなり、関東大震災、南海トラフの発生確率は、70%以上と予想されている。「人智を尽くして天命を待つ」時代と言っては言い過ぎだろうか。もはや、人智では何ともしがたく、ひざまずいて天命を聞き、国民相和して奮闘努力する令和の時代となるのかもしれない。

 

★「今時の若い者は」  あれやこれや

 

今時の若者には欲がないと言う。最近の報道でも、欲のない若者についての特集があったと記憶している。「今時の若い者は」は、おそらく限りなく古くから、老人が当世の若者に対して抱く感嘆の普遍的言葉である。

考えてみると、私の若い頃にも、年寄りは「今時の若い者は」と言っていた。学生運動が過激化した時代である。当時の思想は、戦前からの大川周明、安岡生篤、文芸評論の和辻哲郎、小林秀雄、政治思想の丸山真男、福田恆存、吉本隆明、小田実、さらにマルクス・レーニンと、まさに思想の混濁、ごった煮状況であった。戦前・戦中世代においても、保守、中道、左派と様々であった。国鉄・私鉄のストライキは、当たり前の時代である。学生運動は、しまいには赤軍を名乗り、粛正、ハイジャック、国際テロにまで過激化する。こういった運動も、団塊世代が社会人になった1970年代半ばから、嘘のように消えていった。

 

今時の若い者は、何故こうも欲がないのだろうか。欲がないのではなく、欲のレベルが違うのではないか。いろいろ考える前に、まず「今時の若い者は」の「若い者」とは誰をさしていうのかから考えなければならない。

 

同じような表現に、例えば、「国民感情」の国民とは誰か、とか、「大衆」・「庶民」とは誰かといった疑問がある。スペインの哲学者、オルテガの名著「大衆の反逆」では、大衆とは平均的な国民をさすと言いながら、国民の何を平均するのか等、大衆とは何かについて論究している。そのとおりである。

 

「今時の若い者」の年齢はどうだろう。まず、「今時の若い者は」という言う側の年寄りの年齢からみなければならない。年寄りが現役からはずれる60代以後と考えるのが妥当なところだろう。平均的には70歳前後と考えておくことにしよう。そうすると、70歳前後の人にとって若い人というのはどうなのかということだが、自分の子供達の年齢以前とみることができるのではないだろうか。70歳前後の人たちの子供の平均年齢を仮に40歳としておくことにする。次に「若者」の最低年齢であるが、労働力年齢の最低が15歳だが、投票権が与えられる18歳以上とでもしておこう。これで、「今時の若い者」を、18歳以上40歳未満と考えることができる。

 

次に、「今時の若い者の欲」とは何かを問わねばならない。欲といっても、前述のように種類・程度等、結構色々である。マズローの言う欲求5段階のどの段階のどんな欲望をさすのかである。生理的欲求である性欲が減退することはあっても無くなるわけがない。食欲について同じだ。飢えて死ぬかもしれない、生きていけないという恐怖は、確かに戦後の一時期に比べれば、現代は無きに等しいが、それでも生きたいという欲求にそれほどの差があるとは考えられない。

 

ところで性欲であるが、文藝春秋の今年の6月号に、「30代の150万人が「性交渉未経験」」という記事が載っていた。日本人の30代の人口のうち10数%が異性との性交渉未経験だというのである。イギリスやオーストラリアでは、1%~5%だという比較分析もされている。要因として、所得が低いとか雇用形態が不安定だとかが挙げられている。しかし、現在の失業率は、3%未満であり、ほぼ完全雇用状態に近い。所得が低いから彼女を作らず、セックスが未経験だというのには少々無理がある。未経験なのだから、一度も異性とセックスしていないのだ。全く、別の要因ではないのかという疑問がわくがどうだろう。例えば、ホモやレズが数%いるのではないのか、あるいは、肉体的欠陥(勃起不全等)があるとか、何らかの精神障害のある人達が数%いる等も考えられるのではないのか。

どんな要因にしろ10数%というのは、異常な状態である。仮に、肉体的・精神的欠陥によるとすれば、セックス未経験では済まされない社会問題と考えなければならない。現在の30代が老後になると、確実に単独世帯が10数%発生し、そのうち数%は精神障害があることになる。これだけで、将来の社会保障制度は破綻する。

 

話はそれるが、「今時の若い者」のうち、自閉症、発達障害、学習障害、精神病等々の精神障害者が何%いるのかは、全くわかっていない。DV、虐待等のニュース報道が後を絶たないが、これらも一種の精神障害である。田舎では、発達障害、学習障害の若者や、遺伝的な精神疾患のある若者が、都会に比べるとはるかに多いように見える。都会に出て行けないために、結果として田舎に残り、田舎に濃縮されるのである。こういった精神障害者に加えて、アルコール依存症や酒乱、ドラッグ漬けの若者の増加である。丸山某という国会議員が、戦争しなければ云々で維新の会を除名されたという。東大出のエリート官僚であっても、酒を飲むと思考回路がおかしくなる。あきらかに何らかの精神障害としか考えられない。

 

性欲の有無は別にしても、セックスをしたくないという若者に金銭欲や名誉欲、権力欲、達成欲といった野心や欲望はあるのだろうか。野心家や金銭欲の強い人間ほど、性欲も強いというのが一般的であり、英雄、豪傑、権力者の歴史がそれを示している。性的支配欲も強いのである。

 

NHK-BSの「クールジャパン」という番組で、日本の若者には欲がないというのをやっていた。「今時の若い者」は、リスクを避けるのだそうだ。リスクというのは、将来の損得勘定のことである。今、こんな行動をとれば、将来、損をすることが予想される場合には、行動しないということだ。それでは、将来どうなるかわからない場合、つまり不確実な場合にはどうするのだ。リスクというからには、不確実な場合には、勿論、何もしないということだろう。つまり、「今時の若い者」は、損得勘定だけを自らの行動基準においているということか。

今の世の中、何も変える必要がないという精神が「今時の若い者」の精神だそうである。確かにそうかもしれん。何とも平和で、仕事も選ばなければあり、食うに困らず、困れば親が何とかしてくれ、社会保障もそこそこにあり、差別もない、素晴らしい日本に暮らしているのだから、何も変える必要を感じていないのである。

「金で成功することは評価されない」のが「今時の若い者」だそうだ。会社を作り、大金持ちになったところで、何ほどのものか。「そんな者は、俗物」だと言わんばかりであるが、どうもそうではなさそうである。最近、噂のウーファーの日本法人が、初任給を倍にして募集をかけたそうだ。若者の目の色が変わったというから面白い。大企業が、横並びの給与しか出さない時代が長く続いた。高度経済成長期には、外資系の企業と日本企業では初任給で2倍近い差があったと思う。優秀な人材の多くが外資系に流れていったこともあった。

将来に安定を求める若者が多いのだそうだ。つまり、給与はそこそこでも、長く努めることができて安定していることを望むという。そういえば、バブル経済の崩壊後、公務員への就職志望学生が急激に増加した。高度経済成長時代の就職志望は、何と言っても民間企業であった。公務員の給与がかなり低かった。東京ではとても生活していけなかったのだ。しかし、その後公務員の給与が加速度的に上昇し、現在では、中小企業レベル以上、大手製造業なみの給与だろう。公務員同士で結婚し、共稼ぎであれば、何とも優雅な生活である。

ところで、「今時の若い者」は、政治の話はしないのだそうだ。政治の話をすると、シリアスな話になってしまうので避けるという。社会保障問題、選挙、国際情勢等々、考えてはいるようだが、報道等を見聞きして一人で考え、自分の思考だけで納得する。誰とも話さないのである。社会、政治、経済、環境といった問題は、仕事上の問題や技術的問題とは異なり、白黒の解決が得られない問題である。各人各様の意見がある。しかし、問題をどの視点で捉えるか、問題の本質はどこにあるかを探るためには、人との意見交換は重要であり、学ぶことの原理でもある。学ぶとは、単に知識を得ることではない。問題の本質を発見することである。思考の壁を打ち破ることだ。「今時の若い者」は、年寄りの話も聞きたくないのである。何とも、浅薄で、薄っぺらな「若者」が多くなったものだ。それでいて、政治問題を全然知らない訳ではない。「君はそんなことも知らないのか」と言われるのが嫌なのだろうか。知識などは、お得意のスマホで簡単に調べられる時代だ。昔のように、知らないことは恥ではないのだ。知らないものは「勉強します」と言えば良い。

 

年寄りは、何時の時代でも「今時の若い者は」と言ってきたが、最近はほとんど聞くことがなくなった。年寄りが言わなくなったのだ。そんなことを言うと若者から嫌われるからだそうだ。年寄り諸君、嫌われるような悪いことをしてきたのか。嫌われたっていいではないか。言わなければ、「今時の若い者」は、ますます内にこもり、精神病者のようになっていく。「今時の若い者は何をしている」、「私の、俺の若い頃は」と声高に叫ぶのだ。それが、若者に対するエールであり、励ましになると信ずる。

 

 

今の世の中まだまだ沢山の問題がある。社会保障・税の問題、グローバリズムとトライバリズム、共産主義と自由主義、資本主義と社会主義、日本の産業構造・・・・・・等々、考えてみれば、どれもこれも手に余る問題ばかりだが、問題の本質を探るにはまさに好機ではある。

現代は、古代から20世紀にかけて、人類が築いてきた真理探求の論理・哲学、思想なるものの大半が嘘か、あるいは間違いであり、新たな地平があるかもしれないという時代に入ったと感じるのである。こういった問題に対して、全く別の視座から考え直してみるとしよう。

                                           令和元年517

                                                秋 隆三