堕落論2019 今の世の中あれやこれや(1) | 秋 隆三のブログ

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昭和21年 坂口安吾は戦後荒廃のなかで「堕落論」を発表した。混沌とした世情に堕落を見、堕落から人が再生する様を予感した。現代人の思想、精神とは何か。これまで営々と築いてきた思想、精神を振り返りながら考える。

堕落論2019  今の世の中あれやこれや(1)

秋 隆三

★なぜ、今、堕落論なのか

 

坂口安吾の衝撃的な随筆、「堕落論」にインスパイアされてこの文章を書き始めたのは、2017年の夏であった。私は、戦後生まれで、堺屋師匠が名付けた団塊の世代である。戦争は知らないし、まして戦前の世相などというものは全くわからないが、子供の頃に、両親から戦前の写真帳を見ながら戦争の話を聞いたことがある。しかし、中学に入り日本の歴史を知ってからは、両親と戦前の話をした覚えはない。戦前の日本がアジア各地で行った戦争について、様々な情報から知ったからかもしれない。何はともあれ、太平洋戦争を引き起こした日本が悪者であることに何の疑いも持たなかった。

 

大学時代はノンポリに近かったが、それでも安保、ベトナム反戦デモには参加し、機動隊との衝突も経験した。

あの頃の熱気は何だったのだろうか。ニーチェだ実存主義だ、共産主義だ資本論だと手当たり次第に本にのめり込んだ。11冊を目標にしたのだからとんでもない乱読である。当時は、分かったつもりでいたが、今になって思うと何も分かっていなかった。当然、「堕落論」も読んでいたが、ほとんど印象に残っていない。当時、私が何を考えていたかを思い出そうとしても全く思い出せない。それこそ、「記憶にない」のである。貧乏学生が、アルバイトと通学と、ときたま参加する学生運動にすべての時間を費やしていた。何かを考える、考え出すということをほとんどしていなかった。ただただ、知識をむさぼりあさっていた。社会人となってからは、高度経済成長のおきまりのコースをひた走る。

 

バブル経済が崩壊した後は、ご多分にもれず食えなくなった。食わなければならないから、片っ端から仕事を引き受けてこなすことの毎日である。しかし、ここでちょっと考えた。これまで突っ走ってきた人生を少しばかり振り返ってみたのだ。最先端の科学・技術にずっぽりと浸り、進歩だシンポだとカルト教団の熱狂的信者のようになっていた自分に気がついた。さらに、新たな科学的発見や技術革新なるものがほとんどないことに疑問を持ったのである。遺伝子解析にしてもタンパク質の構造解析にしても方法論は既に解明されている。新たな追加的発見は時間の問題だ。インターネットやスマホ等もまさに時間の問題なのだ。人工知能なんか20年前にやっているではないか。科学的進歩なるものが限界を迎えたと感じたのである。ちょうど、その頃オーム真理教事件が起こった。何と、我が国最高学府の医学部出身者が信者となっていたではないか。専門バカというが、ここまでバカになると言いようがない。私は、中途半端で不真面目な科学者ではあるが、仮にも科学に身をおいているからには、神の存在は信じないし、無神論であり、無宗教である。

 

その当時、地球環境問題が浮上し、その上、ソビエト連邦の崩壊まで起こった。直感的に、人間とは何かを知らなければならないと考えた。そこで、自然生態系の研究を始めることにした。特に、人間を含めた自然生態系に関する研究である。このテーマであれば、とりあえず短期的には何の成果も得られない。ひたすら歴史を追い現実を観測するだけである。それも、人間の側から観測する必要がある。当然、今もって、「人間とは何か」への解答は得られていない。

というわけで、2017年の終戦記念日から堕落論2017を書き始め、20182019と少しづつ書き進めてきた。堕落は、人間の本性であり、知性の本態であると確信する。堕落は、知的生命体である人間にだけ与えられた特権である。人間は堕落するから、神や仏を想像し創り出した。堕落しなければ、神や仏は必要ない。犬や猫、猿やオランウータンには、神も仏も必要ない。堕落の根源は、人間の欲望にある。

 

ところで、欲望とは何かである。日本語では、欲望、欲と言うが、英語を調べると、desirelustgreedthirsthungerappetite、等々といろいろある。英語では、性欲、食欲、強欲等のような欲望の種類や強度によって使い方があるようである。

人間がなぜ欲望を抱くかについて、脳内のメカニズムはほとんど解明されていない。大脳側頭葉の旧皮質という原初的脳が食欲や性欲、恐怖や攻撃という生理的・本能的欲求に反応し、自己顕示欲や野心といった想像的な欲求は前頭葉の思考部が関係していることは分かっている。欲求に関係する脳が、内的・外的ストレスによりどうして反応するのか、その反応がなぜ思考に影響を与えるのか、欲求によって活発化した思考脳がなぜ想像的なのか、ほとんど何も分かっていない。

今から半世紀以上前に、マズローが欲求の5段階説を唱えた。「生理的欲求」「安全への欲求」「社会的欲求」「自我欲求」「自己実現欲求」の5段階である。性欲や食欲といった人間の生理的欲求から順により高位の欲求へと発展する。本能的で動物的な欲求から知的欲求へと欲求は際限なく拡大するのである。

キリスト教、イスラム教、仏教等宗教では、本能的欲求に耐えることから修行が始まる。人間の欲望の始まりである本能的欲求(五欲、六欲)に耐えられなければ、高次元の想像的欲求をコントロールし、正しい知性の働きへと導くことなど到底不可能なのだ。

 

人間の飽くなき欲望は、堕落への道であることは間違いないが、反対の堪忍、忍耐、自重もまた限度を超えれば人間破壊・社会の停滞につながる。生きていける最低限に生理的欲求を押さえ、不安や恐怖からひたすら逃避し社会から遠ざかるような生活は、確かに堕落してはいない。しかし、こういった遁世、隠棲、厭世的思想、清貧思想が蔓延すれば、社会は崩壊の道を進むことになる。

欲望の制御とは実に難しいものである。人類の進歩は、知的探求と欲望の制御によってもたらされた。欲望の制御、堕落は、知性を働かせ豊かな想像力を発達させた。知性とは想像力であるとも言える。

2500年前の人類がどれだけ遠い未来を、そしてどのような未来を想像できたかは全く分かっていない。人類の知的進歩の本質は、想像可能な未来時間と内容である。江戸時代の武士、農民、庶民がどのように未来を想像していたのか、これも全くわからない。江戸の都市計画等をみるとそれなりの未来を想像していたことは間違いない。しかし、人類が確固たる未来社会を想像し始めたのは、19世紀近代西欧科学の発展以後のことではないだろうか。ただし、神や霊的存在という空想の世界は別である。

 

いつものように、話がそれてしまうことはご容赦願いたい。これも、自由にものを言うために必要不可欠なことであるから。ということで、堕落の視点から最近のトピックスをみることで、この堕落論を一時中断としよう。

 

★厚労省の不正統計問題 あれやこれや

 

文部科学省、財務省に続いて今度は厚生労働省の不正統計問題だ。不正の対象となった統計は、「毎月勤労統計調査」という統計だ。それも、本来悉皆調査をしなければならないところを適当なサンプリング調査でやったので不正だということらしい。毎月勤労統計だから、毎月調査をしているのだろうが、今の時代に何も悉皆調査をしなくてもと思うのは、不正をやったとする厚労省の役人ばかりではあるまい。それにしてもだ、統計を軽く見過ぎている。厚労省には、人口統計や労働統計等、国の重要統計が集中しており、古くから統計の専門家がごろごろしていた。厚労省官僚のトップクラスは、必ず統計部局に配属されて勉強したものだ。統計手法によって誤差が異なることは熟知しているはずである。

 

ところで何が問題かと言えば、報道によれば「アベノミックスの成果をよく見せるために官邸から調査の改ざん指示があった」というものである。一方、不正調査をした厚労省の理由は、

①大手企業が調査に時間がとられるため、協力を得るのが難しくなった。

②統計関係の予算が十分なものではなく、調査に支障を来していた。

というところだ。

 

勤労統計調査であるから、産業種類別賃金等の実態調査である。今どき、手作業で給与計算をしている企業などよっぽど零細な企業以外には考えられない。何故、厚労省は、こういった決まり切った調査のシステム化をしないのだろうか。コンピュータ化された給与計算結果を所定の様式に集計整理して、都道府県に自動的に送信するなどは、極めて簡単だ。様々な役所のルーティン化している統計調査業務等は、システム化すべきであるが、何故かしようとしない。

 

ところで、国の統計がおかしいのは、今に始まったことではない。1213年前であったか、産業連関表の分析をしようとデータを整理していたら、中間投入額とその合計値が違うではないか。産業連関表は、産業分野別に中間投入額が算出されているから、どこにデータミスがあるのかを発見するのはかなり難しい。ミスは1箇所どころではなかったと記憶している。こんなデータが10万円以上で売られていたのだからたまったものではない。平成の市町村合併が終了した頃には、今度は統計の種類・内容が変更された。例えば、それまでの事業所・従業者数統計は、経済統計に変更され、内容も簡素化された。総務省だけではなく、農林水産省、経済産業省、国土交通省、厚生労働省等々、すべての省庁の統計内容が簡素化(詳細部分を省く)されてしまったのだ。ちょうど、民主党政権への移行時期に一致する。その前から、予算削減により徐々に統計の簡素化が進んでいたが、民主党政権下の事業仕分けによって一気に進んだ。

 

何のことはない、不正統計問題の根は、事業仕分けによって省庁外郭団体を一掃し、統計内容までも簡素化してしまうという予算削減にあった。勿論、役人の怠慢、堕落は否めないが、これにも原因がある。橋本内閣以後の構造改革と称する機構いじりである。この官邸主導の役人管理体制は、民主党政権下で完成される。行政組織というものは、それ自体が社会主義体制である。政治が行政組織を管理するということは、ポピュリズムを常套手段とする民主政治において、政権政党の都合のいいように官僚組織を支配し、社会主義的官僚体制をさらに強化することになりかねない。特に、議会制民主主義においては危険である。

 

官僚の自律性を維持することは、極めて困難である。日本だけではなく、世界各国の行政組織においても似たり寄ったりと思えば良い。規則、法律、罰則等を強化することである程度は可能であるが、規則・規制による組織管理に限界があることは、歴史が示している。企業経営では、経営者の人格がマネージメントの基本となる。経営者の人徳である。何を経営組織の目的とするか、何をもって経営行動の正義とするか、組織人の使命とは何か、等々、徳目と倫理に関する見識、教養が経営組織の自律性に大きく影響する。

 

規則・規制による組織管理を強化すると、役人は自律的には動かなくなる。良くも悪くも、官僚体制というものは、官僚OBも含めた内発的自律思想によって組織が維持されていた。官僚組織における自律の精神とは、単なる規則ではない。今の官僚統制は、歴史と伝統に裏打ちされた価値観、使命感に基づく官僚思想を断ち切ったのである。

 

国会の議論は、「官邸が政策成果を有利にするように統計改ざんを指示した」のではないかという点である。こういう事実があったがどうかはわからないが、統計データの扱いが争点になっていることは、上記のように事実である。仮にも国会における議論である。未熟な民主主義発展途上国の国会が、政権の追い落としを狙って執拗に野党が与党を攻撃する手法と同じである。森友問題をはじめとしたこの23年の政治論争は、正しくない。規則・規制が改善になると信ずる政治思想こそが問題なのである。どうすれば、官僚の自律的精神、進取の気性を喚起せしめることができるのか。贈収賄や役人の腐敗は、目に見える堕落であるが、精神の堕落は目に見えない。日露戦争が終わり大正期に入ると、明治維新の元勲や言論人の大半が亡くなってこの世にはいなくなった。官僚の精神的支柱であった維新の志士がいなくなったこの大正デモクラシーの時代は、まさに官僚・高級士官の精神的堕落の始まりであった。出世とごますり、忖度である。陸軍大学校では、そういう奴を納豆と呼んだそうだから、公然の事実となっていた。納豆的な奴が官僚、軍人のトップに座り、政治家となったことが第二次世界大戦の悲劇を生んだとも言える。政治家の諸先生方よ、今の世の中、目の前にある現実問題とその本質について言いたいことは山ほどあるのではないのか。ちまちました問題は、法的手続きでわかりやすく簡便に処理し、問題の本質を問え。

 

★朝鮮半島情勢 あれやこれや

 

二回目の米朝会談がものわかれで終わった。トランプは、会談途中で席をたったとか。何はともあれ、米国流ドタバタ劇というか、ビジネスドラマを地で行く演出ではないか。これで、一国の命運を決めるのであれば、こんな簡単なことはないが、国の命運は、企業間取引とは訳が違う。北朝鮮という国家のよってたつ論理などというものも、はなはだ怪しげなものである。

最近の報道によれば、北朝鮮に拘束されていた米国人青年の医療費2億円を、北朝鮮が米国に支払えと請求したという。根拠は、解放交渉にあたった米国側高官が解放条件として文書に署名したからだそうだ。米国側高官も「支払うべきだ」とか何とか言っているそうだが、手続きからすれば、そういう契約をしたのだから支払うのは当然であるが、米国の報道によれば、拘束中の拷問によって脳に損傷を受けたとある。それが事実であるならば、被害を与えた北朝鮮側が賠償金を支払うのが妥当なところだろう。米国青年が何のために北朝鮮を訪問し、何故スパイ容疑をかけられたのかがよくわからない。本当に脳に損傷を受けるほどの拷問を受けたのかどうかも詳しくは報道されていない。

 

北朝鮮だけではなく、韓国情勢も怪しげである。韓国大統領の文在寅という人物は、北朝鮮からの避難民の子であるという。相当貧しい家庭で育ったようだ。

ところで、韓国の政党というのは実にわかりにくい。リベラルと保守という二大政党ではなく、社会情勢によってめまぐるしく変化する。日本の野党の分裂・融合みたいなことをしょっちゅうやっている。韓国には、戦前の日本の治安維持法みたいな国家保安法という法律があって、共産主義等の政治活動は禁止されており、言論の自由もない。この法律によって、共産主義的労働運動も政治活動も禁止されているため、反保守の政党がどこまで民主主義的であるかの評価は極めて難しい。つまり、政党幹部が共産主義者なのかどうかの判別は困難なのである。

 

文在寅は、金大中、盧武鉉と続く反保守系政治家である。金大中は、日本のグランドパレスから拉致された金大中事件で有名である。たしか1973年頃と記憶している。不思議なことに、この事件の前後から北朝鮮による日本人拉致事件が頻発する。金大中の拉致には、日本の右翼ややくざが深く関わっていた。この事件の25年後、金大中は韓国大統領に選出される。金大中の有名な政策に太陽政策という北朝鮮との融和政策がある。北朝鮮への5億ドルの不正送金問題、息子達による不正蓄財問題で失脚するが、太陽政策によってノーベル平和賞を受賞する。このノーベル平和賞にも不正働きかけがあったらしい。北朝鮮に送金された5億ドルは、現代グループが画策したようだが、金正日とその息子で最近暗殺された金正男、粛正された張成沢にわたったということが分かっている。

 

現在の北朝鮮の脅威は、金大中の太陽政策と不正資金によってもたらされたのではないのかと考えるのは、何も朝鮮半島情勢の専門家に限ったことではなかろう。北朝鮮のミサイル、核爆弾開発は、2000年以後急速に進展している。金大中の後に大統領となった盧武鉉は、太陽政策を継続し、北朝鮮との融和政策を進めた。盧武鉉もまた、不正資金疑惑、親族の贈賄容疑、逮捕有罪があり、退任後自殺した。

 

ところで話はそれるが、識字率と国政との関係を少し調べてみた。19世紀の先進諸国の識字率と現代民主政治とに関係があるのではないかと考えたのである。19世紀中頃のイギリス、フランスの識字率は、都市部では70%以上という説もあるが、小学校の就学率が両国とも10%未満という説もあるので本を読む、日記を書くといった能力は、良く見ても40%程度ではないかと推定される。アメリカもほぼ同様の水準ではないかと思われる。日本の場合には、寺子屋制度の就学率が80%を超えていたというから、いろはの読み書きだけではなく論語までも読めた可能性は高い。戯作本が飛ぶように売れ、貸本屋も繁盛したことから都市部では50%以上であったと推定してもいいだろう。一方、中国はどうかといえば、20世紀初頭でも20%に満たないと推定され、王朝の役人、商人、僧侶等に限定されていたと思われる。韓国の識字率はよく分かっていない。韓国側の説では、日韓併合以前の韓国には、私塾が沢山あって識字率が高かったが、併合後の学校制度では授業料が払えなくなり識字率が低下したとされている。日本側の記録では、1910年の日韓併合後に学校制を開始しても識字率が向上せず、福沢諭吉等は、原因として漢字による文字表記ではないかとしてハングル文字の使用を進めている。ハングル文字の利用が盛んになるのは日韓併合以後であると考えるのが妥当なところである。

 

さて、こういった各国の識字率をみると、民主的政治が進む背景には、どれだけ多くの国民が読み書きできるかということが大きく影響していると言えるのではないだろうか。中国は漢字発祥の地であるが、あまりにも漢字が難しく、2千年以上に亘り特権階級以外の庶民は読み書きができなかった。韓国の文字は漢字で代替していたが、日本語のカナに相当するハングル文字が近代以後に使用されるようになり、普及したのは20世紀に入ってからである。カナだけで書かれた文章がいかに読みにくいか、ハングル文字による文章の読解のややこしさが想像できよう。文学、評論、哲学、歴史、法律、思想等々、およそ論理的な文章等が、カナだけで記述されていると想像してみると良い。漢字はそれ自体が表意文字であり、見ただけで意味が理解できる。西欧の単語もギリシャ語、ラテン語を起源としており、単語を見れば意味が理解できる。カナやハングルは表音文字なので見ただけでは、単語、熟語のような読解が難しい。

 

ある国家国民の識字率だけではなく、使用している文字によって国民の論理的理解力の度合いを評価することが可能だとも考えられる。最近の中国の簡体字等は問題である。現代中国人の大方は、歴史的文書はほとんど読めないと思われる。韓国人はさらにひどく、19世紀以前の歴史書は読むことさえ不可能である。

 

最近、武士道を調べるために「葉隠」を読んだ。江戸時代1700年頃の鍋島藩の武士が聞き書きした文書である。読み始めは、漢字辞典と首っ引きで少し苦労したが60ページ目ぐらいから、すらすらと読み、理解できるようになった。漢字かな混じり文であれば、平安時代ごろまでの文章は、訓練すればほとんどの人が読んで理解することができると思われる。

 

識字率、文字様式の歴史が、国民の民度や文化度を大きく左右したと考えられる。国民の知的成長度合いは、社会・経済・政治の進歩と密接に関係する。その国の言葉は重要であるが、最も重要なのはどんな文字を使用するかだ。日本は、明治維新以後、西欧文学、哲学、科学、法制度等を輸入するために、膨大な造語を作った。曖昧な翻訳後もあるが、それでも江戸時代に使用していた漢字のイメージと合致する言葉をあてて、直感的に判断可能なものとした。このことが、明治期における国民知性の飛躍的進歩となったことは疑いようがない。

 

さて、文在寅であるが、この人は、盧武鉉の弁護士事務所に勤務することで、政治的活動に加わることになったようだ。盧武鉉という人は、弁護士活動の当初はやたら金儲けがうまい弁護士だったようである。文在寅も同じ弁護士事務所だから、金儲けはうまい方だと思うが、盧武鉉が大統領時代には、側近であった。盧武鉉の不正資金問題にもおそらく深く関与していたと思われる。

 

文在寅の思想が共産主義的であるのか自由主義的であるのか、右か左かの程度は分からない。しかし、アメリカ的なリベラリストというよりは、冷戦時代の資本主義国における左派のイメージに近いと思われる。日本の1980年代で言えば、社会党よりは共産党に近いというイメージである。

 

韓国の政治情勢は、李承晩以来、日本では想像さえ困難な激変を続けている。歴代の大統領は、すべてといって良いほど金権、不正蓄財で暗殺、自殺、投獄されている。こんな国とまともな付き合いができるわけがない。我が国の立ち位置は決まっている。我が国の政治家は、自らを律し、我が国の国家思想である、資本主義、自由主義、民主主義、平和主義、人権主義、環境主義等を確固たるものとし、抑止力としての軍事力を憲法に明記して、これが国家の正義であることを毅然として韓国に示すべきである。このことは韓国だけではない。グローバル経済に浮き足立っているアジア諸国の政治・経済に対して我が国の正義を示すことこそ、太平洋戦争の真の終結である。

 

慰安婦保証問題が再燃している。何とも切ない話だが、性ビジネスの問題は、この世の中に男と女がいる限り避けて通れない問題の一つである。突き詰めて考えれば、婚姻そのものが性のディールだ。汝、姦淫するなかれとは、キリストの山上の垂訓である。キリスト教では、婚姻は男女の性に関する固い契約である。キリスト教という宗教は、男女の性に関しては厳格である一方、あえて見て見ぬふりをする。マグダラのマリアとキリストとの関係は微妙であり、ダン・ブラウンのダヴィンチ・コードという小説で有名になった。キリストの子孫は今でも存在するらしい。キリスト教という宗教は、セックスについて建前と本音を使い分けている。キリスト教の浸透と共に男尊女卑の思想が広がったと言っても良い。

 

ところで、慰安婦問題が気になって、売買春について少し調べてみた。日本、中国、韓国、アメリカ等は、現在も売春禁止であるが、ヨーロッパ、アジアの多くの国では、売春は合法なのである。オランダ、ドイツ・ハンブルグ等の飾り窓の女は、隠れた観光名所になっている。売春には、人身売買、性病、麻薬等薬物問題がついて回るので、深刻な社会問題となる。組織的な犯罪ではなく、個人間の性の取引であれば、自由とするというのが主流になりつつある。

 

戦前は、公娼といって、国が認可した売春宿があった。日本だけではなく世界中すべてと言って良い。日本は昭和31年の売春禁止法により禁止となったが、韓国にはつい最近まで国営の売春宿があったらしい。軍隊と慰安所は、まさについて回っており、戦後もしばらくの間は韓国軍にもあったという。

 

それでは、この慰安婦問題をどのように解決すべきなのだろうか。どうも、方法は一つである。売春は、人類不滅の、かつ根源的ディールであることを考えれば、日本、韓国、ヨーロッパの売春の歴史と現在、そして売春が如何に根源的なものであるかの解説本をだれかが書いて、世界で販売することである。世界のすべての国で、軍隊の駐留地には合法、非合法に関わらず必ず売春地区が隣接している。韓国の駐留米軍と売春の実態レポート等は、アメリカでは相当売れるはずだが、CIAから脅迫されそうだ。

 

徴用工問題にも困ったものだ。桜井よしこさんの解説ではないが、慰安婦や徴用工問題の裏には、日本政府あるいは韓国政府から基金を出させ、それを食い扶持にする集団がいるのではないかと疑いたくなるがどうだろうか。左翼系活動家・弁護士・政治家等の集団である。

 

徴用工については、一部には過酷な労働もあったかもしれない。日本国内でさえ、蟹工船ではないが、奴隷同様の労働環境が一部にはあった。戦前の日本のプロレタリア文学にも数多く見られる。戦前の軍需産業への就業は、何も日本だけに限ったことではなく、イギリス、アメリカ、ドイツ等でも見られるし、植民地においても現地人の徴用は常識であった。賃金、労働条件が日本人と同一であり、強制的労働ではない限り、法的な制裁を受けることは不当である。

 

慰安婦、徴用工問題も含め、日本が韓国に対してとるべき姿勢は、前述のように何が国家の正義であるかを毅然と示すことである。日本国民は、戦後の破壊と貧困の中から国民の懸命の努力と弛まぬ技術の研鑽によって世界第3位の経済大国にまでに成長した。その間、可能な限りの戦後賠償と惜しみない技術協力によって韓国の経済成長に寄与してきた。現在においても、通貨スワップは終了しているが、いくつもの経済協力を継続している。韓国政府のここが悪い、あそこがおかしいと言うことはもはや止めよう。客観的な分析による理性的な判断を行い、韓国に対する対応策の妥当性を丁寧にかつ論理的に説明し、果断に実行すべきである。韓国の反日や抗日運動がどのような動きを見せようと一切反応はしないことだ。ニュース報道は、冷静に報道すべきである。