明海ビル。兵庫県神戸市中央区明石町(あかしまち)32。1992(平成4)年8月5日

旧居留地の明石町筋の同和火災海上(現・あいおいニッセイ同和損保神戸ビル)の向かいに建っていたビル。1995年(平成7年)の阪神淡路大震災で被災して建て直され、同名の「明海ビル」(1998年1月築、10階地下1階建)に替わっている。写真は「旧館」で、北に隣接して「新館」が建っていたが、そちらが崩壊したため、旧館も含めて建て直したようだ。
写真の旧ビルは『近代建築ガイドブック[関西編]』(昭和59年、鹿島出版会、2800円)では「明海ビルディング、設計=竹中工務店(担当藤井厚二)、施行=竹中工務店、建築年=1921(大正10)年、構造=鉄筋コンクリート造8階建」。同書の解説には「日本最初の14階建の超高層オフィス・ビルを計画したが、第一次大戦後の不景気のため、市街地建築物法による高さ制限のためとかで8階建に変更したという。近年、外装が改変されたが、内部は大正建築の重厚さが残っている。」とある。
明海ビルは明海グループ株式会社の本社ビルとして建てられた。明海グループは1911(明治41)年、外航海運業として設立された。大正前期には第一次大戦の好況で、本社ビルを建てるまでに事業は急成長した。第一次大戦後の不況をなんとかやり過ごして、1940(昭和15)年には、明海ビルの増築工事(地下2階、地上2階建)を施行している。戦後は一から出直しのような状態だったようだが、今はホテル、不動産業も手掛けて好調のようだ(明海グループ株式会社>ヒストリー)。


同和火災海上。兵庫県神戸市中央区明石町(あかしまち)19。1992(平成4)年8月5日

現在は「あいおいニッセイ同和損保神戸ビル」と玄関の上に建物名があるビルで、「同和火災海上」の看板があった時期の写真。ニッセイ同和損保の前身のひとつである「神戸海上火災保険」の本社ビルとして1935(昭和10)年に建てられた。設計は長谷部竹越建築事務所、施行は竹中工務店で、鉄筋コンクリート造4階地下1階建。
長谷部鋭吉と竹腰健造は住友総本店(住友工作部)出身で、1933年住友合資から5万円の出資と29名の移籍を得て㈱長谷部竹腰建築事務所を設立した(ウィキペディア)。縦長のアーチの枠に2・3階の窓を収めて並べたデザインは住友銀行の建物の基本デザインのようなものだが、このビルでも使われている。ただしこちらは白い壁にあまり目立たないようにはまっていて、すっきりとした外観である。
2015年頃に耐震工事などの改修が行われたようだ。


Block 30 Part II。兵庫県神戸市中央区明石町(あかしまち)30。1992(平成4)年8月5日

旧居留地の明石町筋に現存する「同和火災海上」(同和損保神戸ビル)の北隣にあったビル。現在は「常盤ビル」(1998年1月築、8階建)に建て替わっている。1995年(平成7年)の阪神淡路大震災で被災したためと思われる。
写真のビルの北隣は大丸神戸店の別館で、1階は店舗だが2階から屋上までは駐車場。壁に「BLOCK 30」の赤い文字があり、駐車場を指しているものらしい。


大丸南第1別館。兵庫県神戸市中央区明石町(あかしまち)38。1992(平成4)年8月5日

大丸松坂屋神戸店の裏手、仲町通りと明石町筋との交差点角にある、元銀行だった建物。『近代建築ガイドブック[関西編]』(昭和59年、鹿島出版会、2800円)では「大丸南第1別館(ナショナル・シティ・バンク神戸支店)、設計=ヴォーリズ建築事務所、施行=竹中工務店、建築年=1929(昭和4年)、構造=鉄筋コンクリート造3階建」。「旧居留地38番館」という名称も使われる。
正面(南側)の4本のイオニア式オーダー、角の石積風の壁面、東側の7本の付け柱などが外観の特徴。「アメリカンルネッサンス様式」としているサイトもある。
ナショナル・シティ・バンクはアメリカ系の銀行で、東京、大阪、横浜、神戸に支店があったという。昭和16年に「敵性財産」として凍結され、神戸支店は戦後も再開されなかった。



日本毛織(ニッケ)
兵庫県神戸市中央区明石町(あかしまち)48
1992(平成4)年8月5日

旧居留地の明石町筋の北の街区に建っている堅牢そうなビル。『ウィキペディア>日本毛織』には「1991年(平成3年)大阪市中央区に新ビルを建設、本社事務所を移転」とあるので、撮影時では本社ビルではなくなっていたらしい。一般には「ニッケ神戸ビル」という。
『近代建築ガイドブック[関西編]』(昭和59年、鹿島出版会、2800円)では、「日本毛織株式会社、設計・施行=竹中工務店、建築年=昭和12(1937)年、構造=鉄筋コンクリート造6階建(地下1階)、外装改変」。
「外装改変」というと、竣工時の外観はコンクリートむき出しだったのか、タイル張りだったのか、改変の時期は? といろいろと気になってくる。


旧・東町江戸町ビル。兵庫県神戸市中央区江戸町98。1992(平成4)年8月5日

写真の右の木立が北町通と江戸町筋の交差点角にあり、右奥に神戸市役所1号館が写っている。写真のビルの名称は分らないが、現在「東町・江戸町ビル」(1999年3月築、18階地下1階)オフィスビル、中高層階はマンション)が建っているので「旧・東町江戸町ビル」と仮称した。写真のビルの白い玄関の上に文字が写っているのだが、ルーペで見ても「○○ビルデング」としか読めない。
木立の所は、写真のビルと一緒に開発しようと計画して空き地にしてあったのだろうか。
 


さくらケーシーエス。兵庫県神戸市中央区京町67。1992(平成4)年8月5日

京町筋と仲町通の交差点角にあったビル。現在、「ホテルヴィアマーレ神戸」のビルに建て替わっている。ホテルの開業は1997年で、1995(平成7)年の阪神淡路大震災で被災して建て直したものらしい。
写真のビルがさくらケーシーエスの本社ビルだったのか、あるいは別館のようなものだったのかは知らない。現在の本社は播磨町(はりままち)21の三井住友銀行神戸研修所別館に入っている。
「ウィキペディア>さくらケーシーエス」には、「コンピュータシステムに関連した業務を行う三井住友フィナンシャルグループの企業でシステムインテグレーター(ユーザー系)。」「旧神戸銀行の流れを汲んでいることから旧神戸銀行関係とのつながりが深い。」とある。


大興ビル。兵庫県神戸市中央区播磨町(はりままち)45。1992(平成4)年8月5日

写真左右の通りが仲通りで、右(東)に「三井住友銀行神戸本部ビル」がある交差点。写真の大興ビルは、1995(平成7)年の阪神淡路大震災で被災し、「The45thビル」(2000年3月築、10階地下2階建)に建替えられた。
大興ビルは『近代建築ガイドブック[関西編]』(昭和59年、鹿島出版会、2800円)には「大興ビル(内田汽船本社)、設計=設楽建築事務所、施行=鴻池組、建築年=大正8年、構造=鉄筋コンクリート造3階建」。
内田汽船の創立者は内田信也(のぶや、1880(明治13)年~1971(昭和46)年)で、1905(明治38)年に東京高等商業学校(現:一橋大学)を卒業して三井物産に入社する。そこで船の運用を担当し、第一次世界大戦による船舶需要の高まりを予見して、1914(大正3)年、三井物産を退社して、神戸で内田汽船株式会社を設立、船舶仲介業を始める。これで大儲けして「船成金」といわれるまでになる。第一次大戦後の不況も予測して、1920(大正9)年には自社船を一括売却、事業の大部分を売り抜けるて戦後不況における没落を免れる。1924(大正13)年、代議士に当選して政治家としての後半生が始まる。(ウィキペディア>内田信也)
内田汽船本社ビルは船舶仲介業で儲けた金をつぎ込んで建築したものだろう。銀行にしか見えないが、豪華に見せようとするとこうなるのだろうか。大正10年頃には内田汽船は廃業したように思えるから、内田汽船本社だった期間はほんのわずかだったのかもしれない。
「大興ビル」の謂れが分らない。「だいこう」なのか「だいきょう」なのか「たいきょう」なのか読み方からして分らない。


神戸市立博物館。兵庫県神戸市中央区京町24。1992(平成4)年8月5日

旧居留地のほぼ中心にある神戸市立博物館は、1935(昭和10)年に横浜正金銀行神戸支店として建てられた。設計=桜井建築事務所(桜井小太郎)、施行=竹中工務店、鉄筋コンクリート造3階建。『近代建築ガイドブック[関西編]』(昭和59年、鹿島出版会、2800円)には、その外観の特徴が次のように記されている。
「鉄筋コンクリート造の上に、御影石張仕上げで、建物の四隅をルスチカ仕上げとし、その間を東正面にフルーティング付のドリス式エンゲージド・コラム、南面はドリス式のピラスターが1階から3階まで、それぞれ6本並び、その上にギリシャ神殿風のエンタプレチャーが廻っているさまは見事である。これらの柱の間に大きな縦長窓が造りこまれ、石造の建物特有の重苦しさをやわらげている。」
ぼくには聞き慣れない用語がでてくる。ルスチカ(ルスティカ)=粗面積み。石造建築で,壁の表面を滑らかにせず,目地(継目)を際だたせたり,石材面を突出させたり,凹凸を目だたせて,荒々しく力強い表情をもたせる技法。フルーティング=溝彫り。古代建築において、柱身に縦方向に刻まれた溝。柱の垂直感を強める。エンゲージド・コラム=壁付けの柱。柱の半分以上が壁に入っている。ピラスター=付け柱。エンタプレチュアー(エンタブラチュア)=円柱によって支えられる水平な部位。
建築時期が遅いため、1916(大正5)年建築の「第一勧銀神戸支店」(栄町3、1995年解体)と比べると、だいぶ簡略化されているようだが、古典様式に特徴的な堂々とした感じは実に存在感がある。

写真右の「オリエンタルホテル」は1964年(昭和39年)に建った神戸を代表するホテル。1870年(明治3年)に創業以来、ホテルの所有者も場所も何度か変ったが、4代目の建物。1995年(平成7年)の阪神淡路大震災で被害を受け休業していたが、その跡地に「神戸旧居留地25番館」(2010年1月竣工)が建つとそこで再開した。ただしそのホテルは名前だけを継承したものという。結局、オリエンタルホテルは阪神淡路大震災のため廃業したと言えそうだ。



神戸ビル
兵庫県神戸市中央区磯辺通(いそべどおり)4-2
1992(平成4)年8月5日

フラワーロードの神戸市役所南交差点の角にあったビル。現在は2011年12月に開業した「大和ハウス工業神戸支店」の6階建のビルに替わった。
『近代建築ガイドブック[関西編]』(昭和59年、鹿島出版会、2800円)では「神戸ビル、設計・施行・建築年=不明、鉄筋コンクリート造5階建」。撮影時では1階を店舗にしたオフィスビルだったと思うが、建築時は大規模な集合住宅だったのだろうか。