第一南ビル。兵庫県神戸市中央区磯上通(いそがみどおり)8-2。1992(平成4)年8月5日
1992年に神戸に行ったときに撮った写真の整理がついたので、なかにはネットにはあまり出ないだろうものもあると思うので、公開することにした。家族を待たせて撮影してきたので、あまり時間もとれず、適当に歩き回っただけだ。旧居留地を中心に歩いたため、撮影地は特定できた。
JR三宮駅で降りてフラワードーロを港の方へ歩いていたときに撮った写真だ。市役所前交差点の角である。今は2001年に建った同じ「第一南ビル」(9階地下1階)のオフィスビルに替わっている。写真の旧ビルに関してはなにも分らない。外観からも戦前築かどうか微妙なところだ。
路地の長屋。中央区佃2-13。2007(平成19)年9月28日
田中青果店だった家がある横丁の向かい側に路地が2本入っている。写真の路地はその南の方で、両側に戦前からの長屋が並んでいる。石川島重工で働く工員も住んでいたのだろうと想像できる。路地の北側の長屋が平屋である。グーグルマップの写真で見る限り、8軒ある。八軒長屋だとすると、個別に建替えるのが難しいのかもしれない。南側の4棟は2階建。
路地の長屋。中央区佃2-13。2007(平成19)年9月28日
田中青果店。中央区佃2-21。2007(平成19)年9月28日
菊地肉店だった家の角を北に入ったところ。写真右にその家が写っている。「日本オウキッド漁業、田中商店」の3枚目写真と同じ家だ。この横丁の東側には今も出桁造りの家が3棟並んで残っている。写真の二軒長屋の左は田中青果店。ストリートビューを見て推定すると、2015年頃には廃業したようだ。長屋の右は、昭和25年頃の火保図では「馬我井花ヤ」。
写真左端は二軒長屋の右の方のクリヤマ理髪店。大分以前から廃業していたが、2019年頃にベランダを囲っていた「理容クリヤマ」の看板が外された。路地に向いた横の窓に床屋だった名残りが見られた。2021年頃に二軒長屋のクリヤマだけが取り壊された。
小山青果店。中央区佃2-14。2005(平成17)年3月25日
写真の通りは佃2丁目を南北二分する佃大通りで、左へ行くと清澄通り。当ブログ「岸田理容店/佃2丁目」の2枚目の写真、角の岸田理容店の左側の家並みである。見た感じでは戦後に建った看板建築に見える。戦前の看板建築を正面を改修したのだろうか。
写真の店は左の「小山青物店」から右へ、「明治牛乳佃島販売所、麻雀ラッキー、岸田理容店」。昭和25年頃の火保図では、新佃島西町1丁目7の住所で「小山八百ヤ、明治牛乳吉川、岸田床ヤ」の記載があり、昭和10年頃の地図に「住民の記憶を書込み」として「小山八百屋、吉川ミルクホール、岸田理髪」がある。
現在、岸田理容店は「R80番館」(2016年8月築、8階建8戸)というマンションに替わった。その他の家は、閉店してしまっているが家はそのままだ。八百屋は1階を住居に改修した。
満楽。台東区鳥越2-6。2005平成17年4月8日
前の通りは左衛門橋通りで、右(南)へ行くとすぐ蔵前橋通りとの鳥越二交差点。おかず横丁の東側入口の向かい側だ。鳥越2丁目はほぼ全域が空襲で焼失しているが、この一画は焼けずに残ったのかもしれない。「戦災焼失区域表示帝都近傍図」でもそんなふうに見える。
写っている家は角の家から右へ、「東京玩具、吉野食品、満楽(中華洋食)、吉川木材」。
現在は「ヴェルステージ秋葉原イースト」(2008年3月築、11階建90戸)というマンションに替わっている。
四軒長屋。台東区鳥越1-23。2005平成17年4月8日
おかず横丁の北、2本目の横丁。おかず横丁と同じく清洲橋通りと左衛門橋通りを結んでいる。両側にはけっこう戦前築の看板建築、長屋、出桁造りの商家が残っている通りだ。写真の家並みは現在もそのまま。
波トタン貼りの看板建築の四軒長屋は古くから住宅か家内工業所だったらしく、住宅地図でも個人名の他には、1966年の地図に右の1軒が「永井プレス」となっているだけ。長屋の左には「深谷電気商会」がある。ストリートビューでは2010年には花屋になっているが、2013年には空家になっていて現在までそのままのようだ。長屋の右は「仕出し弁当 浅草橋食堂」の看板が残る3階建ての家。
高岡酒店。台東区鳥越1-1
2011平成23年12月18日
おかず横丁(鳥越本通り商盛会)の東側入口角の高岡酒店。横の大通りは左衛門橋通りで、写真左へ行けばすぐ蔵前橋通りとの鳥越二丁目交差点。高岡酒店は創業100年以上というが、建物が関東大震災後に建てられたものと見ての推測のような気もする。
銅板張りの看板建築で、後から見ると3階建て。3階の赤い外壁はトタンの錆だろうか。3階には窓がない。トタン板で塞いだのかもしれない。2階の窓は戸袋があるのが普通だがアルミサッシの窓にしたときにでも取り払ったのだろうか。
見所は菊正宗の看板。「醸造元株式會社本嘉納商店」は、1965(昭和40)年に「菊正宗酒造株式会社」に社名変更する前の会社名。「嘉納財閥」というものがあって、ウィキペディアによると、「「灘の生一本」で知られる、灘五郷の本家・本嘉納家(菊正宗)と分家・白嘉納家(白鶴)の酒造業を母体とする阪神財閥の1つ」。
松屋肉店。台東区鳥越1-1。2005(平成17)年4月8日
おかず横丁(鳥越本通り商盛会)の東側入口角の高岡酒店から3軒目の家。現在は焼豚専門店になって、玄関は格子の引き戸になっている。ネットの情報では松屋は昭和4年の創業。建物は戦前のものとは見えないが、戦後に正面を改修したのだろうか。店主の体調の都合で2010年頃には休業したが、3代目が2017年4月に焼豚専門店として再開した。ただし土曜日だけの営業。行列が出来る人気店という。肉屋だっときの写真にも張り紙に「名物焼豚/一〇〇グラム三二〇円」が読める。
写真中央の看板建築は1階の外観はすでに民家。2016年頃に三階建の民家に建て替わっている。その右は「鈴木園」で新茶の広告が読める。その右は1986年の住宅地図では「平田食品」。これら2軒の出桁造りの家は残っていて、「ふくふくキッズ」(幼児の預かり所)と居酒屋「まめぞ」になっている。写真右端は「正喜商店」。
鈴木印舗。台東区鳥越1-14。2003(平成15)年11月16日
おかず横丁(鳥越本通り商盛会)の東よりのところ。写真左手の「郡司味噌店」とある電柱の後が「郡司味噌漬物店」。そのHP によると、創業者の郡司春男氏は、4年間シベリアに抑留されたときの経験が味噌屋になる決心をしたという。氏は大正8年鳥越1丁目生まれ。昭和32年12月の開店で、建物はそのときの建築なのかもしれない。別個の店2棟を使っているが、右の方は買い取ったものらしい。
「鈴木印舗」は、1・2階の間の壁に看板があるから、撮影時には営業していたと思う。欄間のガラス窓に「玉龍堂」の文字が残っている。