商船三井ビル。兵庫県神戸市中央区海岸通5
1992(平成4)年8月5日

神戸の近代建築といえば、外観の優雅さからまずこのビルが挙げられるように思う。『近代建築ガイドブック[関西編]』(昭和59年、鹿島出版会、2800円)では「大阪商船三井船舶神戸支店(大阪商船神戸支店)設計=渡辺節建築事務所、施行=大林組、建築年=大正11年(1922年4月)、構造=鉄筋コンクリート造7階(地下1階)建、所在地=中央区海岸通15」。解説では「外観は、1階部分を荒い石積み、2階から6階まで縦目地を見せない二面切り、その上にコーニスとアチックを載せ、西南部の玄関上部は、他より高めた半円形とし目立たせている。このようにベース、軀体、コーニスと三つのアクセントを持つ外観の仕上げは、アメリカン・クラシック・ビルの系統を引くものと考えられる。」
『ウィキペディア>商船三井ビルディング』から補足すると、「アメリカルネサンス様式のこのビルは渡辺節の設計、内藤多仲の構造設計によるもの。……渡辺はこのビルを設計するにあたって欧米を視察し、それにより得たものを生かして、テラコッタを外壁に、プラスターを内装に使用する等、日本初となる技術を数多く導入することに成功している。」とある。
渡辺は積極的に新技法を導入した革新的な建築家かというと、むしろ様式を重んじた人だという。『近代建築再見(下巻)』(エクスナレッジ発行、2002年、1400円+税)に、『歴史を飾る建築』(『日刊建築通信(昭和38年)』)から引用した次の文章が載っている。「只いいたい事は遠いエジプト時代から今日に至っても尚飽かれずに賞讃されるのを見て、余りにも奇をてらう新建築が果たして遠い将来の後世の迄も建築歴史を飾り得るかに疑問を持つものである。」本書では続いて「アメリカ商業建築の経済的合理主義を学び取り、これを日本で実践しようとしたのだ。それには、当時の日本の玄関神戸港に建つこのビルで実践するのは、これからの日本の商業建築に良き先例を示すことになる、という自負をこめて為したのだ。」としている。


新港ビル。兵庫県神戸市中央区海岸通8。1992(平成4)年8月5日

1939(昭和14)年2月に川崎汽船本社ビルとして竣工した鉄筋コンクリート造8階地下1階建のビル。中庭が2つある日形平面をしている。設計は木下建築事務所(木下益次郎)、施行は竹中工務店。
1930年代後半では様式建築の時代ではなくなっていたと思うが、このビルも容積の大きな事もあるだろうが合理的なデザインである。東南角の塔屋がアールデコ風の装飾で飾っていて目を引く。
木下益次郎については、ネットでは、1893年工手学校(現・工学院大学)卒業、1913年東京海上の営繕課のトップとして勤務、東京丸の内の東京海上ビル旧館(1918年竣工)の現場監督、甲南病院(神戸市東灘区)を設計、横浜の馬車道大津ビルを設計、1943年死去、といった断片的なことしか分らない。


チャータードビル。兵庫県神戸市中央区海岸通9。1992(平成4)年8月5日

チャータード銀行神戸支店として、1938(昭和13)年に竣工した。設計=J. H. モーガン、施行=大倉土木で、鉄筋コンクリート造4階地下1階建。
1・2階の正面はイオニア式オーダー(壁に半分入っているエンゲージド・コラム)を3本配して銀行らしい古典様式の印象を決定している。3・4階は大きな窓を並べた簡素なデザインだが石積み風の壁が重厚さを出している。
チャータード銀行はウィキペディアによれば、イギリスの銀行で主にアジアに支店を広げて活動した。横浜にも支店を開設している。

第一中央ビル、西川ビル。中央区日本橋3-3
1992(平成4)年7月26日

写真の大通りは中央通りで、左(南)へ行けばすぐ八重洲通りとの日本橋3交差点。左のビルが「第一中央ビル」、中央が「西川ビル」。現在はこの2棟とも建替えられた。西川ビルは「メルクロスビル」(2014年7月築、9階地下1階)、第一中央ビルは同名で、2023年5月築、13階地下1階。
1986(昭和61)年の住宅地図では「第一中央ビル/三洋証券支店、西川ビル/滋賀銀行日本橋支店」で、写真でもテナントはそうなっている。
西川ビルは昭和30年頃の火保図に、「日本橋通三丁目6」の住所で「西川ビル/三菱銀行八重洲支店(コンクリート造8階建)」となっているビルと思われる。戦前の火保図では「西川商店」なので、その会社が建てたのだろう。


玉ひで。中央区日本橋人形町1-4。1987(昭和62)年3月8日

老舗の鳥料理店だが、ランチで出す親子丼が有名で、行列ができるようになったのはいつ頃のことだったのだろうか。写真の店舗は建て替えのため、2022(令和4)年6月で休業に入り、現在は12階建マンションを建築中。2025年秋口の完成予定で、そのときには1階で再開するという。
玉ひで』によると、写真の店舗は戦時中の強制疎開で取り壊された旧店舗の跡地に建てたもので、昭和31年秋に開店した。それ以前、仮店舗ながら右へ行った地下鉄日比谷線人形町駅昇降口となっている所で、昭和24年に営業を再開している。
他店との味の違いはまず鶏肉そのものらしい。ブロイダーと軍鶏(しゃも)ではさもあろうと思うが、卵はどうなのだろう(『ホッピー>玉ひで』)。

大和屋家具店。中央区日本橋人形町2-11
2002(平成14)年1月4日

甘酒横丁の南の裏通りになる。建物は左から「大和屋家具店、長生青果店、助川歯科医院」。この辺りは大門通りの西になり、空襲からの焼失を免れた地区なので、写っている建物はおそらく戦前からある建物かと思う。
大和屋と長生は今も建物はそのままで、商売も続いているらしい。大和屋の袖看板の文字は「趣味の家具と婚礼調度品」。長生は2階があるように見えるが、それは看板が立てかけてあるだけで、撮影時には文字はなかったようだ。今は取り外されている。助川歯科医院は2010年以前に取り壊されていて、2019年になって3階建てのビルが建った。


秋山伊之助商店。中央区日本橋小伝馬町6。2007(平成19)年6月26日

人形町通りの小伝馬町交差点と岩本町一丁目交差点の中間辺りの歩道から西の方角を撮った写真。現在は「アスコットパーク日本橋小伝馬町」(2011年9月築。12階建51戸)というマンションが建っている。
写真右のビルは岩本町に建っていて、その前には路地のような狭い道があり、それが中央区と千代田区の境になっている。戦前までこの路地は龍閑川(りゅうかんがわ)が流れていて、人形町通りには九道橋(くどうばし)が架かっていた。龍閑川は昭和25年3月までに戦災の残土で埋め立てられた。関東大震災後に架けられた九道橋は橋長12.4m、幅20mの鋼鉄橋だった(『東京の橋』(石川悌二著、昭和52年、新人物往来社)。
1986(昭和61)年の住宅地図では、写真右木立の場所が「WC」秋山商店の手前が「車庫」、「秋山」の奥が「平岩」さらに奥が「丸森酒店」、秋山の裏(右)は「(株)マサファブリック」(写真の看板では「共立織物株式会社東京連絡所」)、丸森酒店の裏に「宮沢薬品(株)」。
昭和16年の火保図に、同じ場所に「秋山」があるから戦前からある商店である。なんの商売だったのか分らないのが残念だ。その火保図では秋山商店の裏(北)はすぐ川で、九道橋の袂は広場のようになっていて、交番とWCがある。その名残が今のマンションの前の植栽になっているらしい。
写真右下の看板は路地の奥にある「伝六」という居酒屋。ストリートビューを見ると2018年にはあるが2020年には家ごとなくなっている。


明海ビル。兵庫県神戸市中央区明石町(あかしまち)32。1992(平成4)年8月5日

旧居留地の明石町筋の同和火災海上(現・あいおいニッセイ同和損保神戸ビル)の向かいに建っていたビル。1995年(平成7年)の阪神淡路大震災で被災して建て直され、同名の「明海ビル」(1998年1月築、10階地下1階建)に替わっている。写真は「旧館」で、北に隣接して「新館」が建っていたが、そちらが崩壊したため、旧館も含めて建て直したようだ。
写真の旧ビルは『近代建築ガイドブック[関西編]』(昭和59年、鹿島出版会、2800円)では「明海ビルディング、設計=竹中工務店(担当藤井厚二)、施行=竹中工務店、建築年=1921(大正10)年、構造=鉄筋コンクリート造8階建」。同書の解説には「日本最初の14階建の超高層オフィス・ビルを計画したが、第一次大戦後の不景気のため、市街地建築物法による高さ制限のためとかで8階建に変更したという。近年、外装が改変されたが、内部は大正建築の重厚さが残っている。」とある。
明海ビルは明海グループ株式会社の本社ビルとして建てられた。明海グループは1911(明治41)年、外航海運業として設立された。大正前期には第一次大戦の好況で、本社ビルを建てるまでに事業は急成長した。第一次大戦後の不況をなんとかやり過ごして、1940(昭和15)年には、明海ビルの増築工事(地下2階、地上2階建)を施行している。戦後は一から出直しのような状態だったようだが、今はホテル、不動産業も手掛けて好調のようだ(明海グループ株式会社>ヒストリー)。


同和火災海上。兵庫県神戸市中央区明石町(あかしまち)19。1992(平成4)年8月5日

現在は「あいおいニッセイ同和損保神戸ビル」と玄関の上に建物名があるビルで、「同和火災海上」の看板があった時期の写真。ニッセイ同和損保の前身のひとつである「神戸海上火災保険」の本社ビルとして1935(昭和10)年に建てられた。設計は長谷部竹越建築事務所、施行は竹中工務店で、鉄筋コンクリート造4階地下1階建。
長谷部鋭吉と竹腰健造は住友総本店(住友工作部)出身で、1933年住友合資から5万円の出資と29名の移籍を得て㈱長谷部竹腰建築事務所を設立した(ウィキペディア)。縦長のアーチの枠に2・3階の窓を収めて並べたデザインは住友銀行の建物の基本デザインのようなものだが、このビルでも使われている。ただしこちらは白い壁にあまり目立たないようにはまっていて、すっきりとした外観である。
2015年頃に耐震工事などの改修が行われたようだ。


Block 30 Part II。兵庫県神戸市中央区明石町(あかしまち)30。1992(平成4)年8月5日

旧居留地の明石町筋に現存する「同和火災海上」(同和損保神戸ビル)の北隣にあったビル。現在は「常盤ビル」(1998年1月築、8階建)に建て替わっている。1995年(平成7年)の阪神淡路大震災で被災したためと思われる。
写真のビルの北隣は大丸神戸店の別館で、1階は店舗だが2階から屋上までは駐車場。壁に「BLOCK 30」の赤い文字があり、駐車場を指しているものらしい。