旅というより地元です。

始めて参拝しましたとき、
はっとしました。
巫女の記憶にスイッチが入りました。

能楽堂もある大きな神社です。

平日は団体のお客様と出会わない限りは、落ち着いてお祈りできます。
龍子

八ヶ岳の女神とも交信しやすい
聖なる場所のひとつです。
龍子
旅というより地元です。

始めて参拝しましたとき、
はっとしました。
巫女の記憶にスイッチが入りました。

能楽堂もある大きな神社です。

平日は団体のお客様と出会わない限りは、落ち着いてお祈りできます。
龍子

八ヶ岳の女神とも交信しやすい
聖なる場所のひとつです。
龍子
4月上旬
桜も終わりになりそうな頃に。

東京らしいギラギラとしたパワーを背にした
八幡宮様でした。
人が多いところは、貪欲な願いが山ほど届くので、
大変そうでした。
龍子
あちらこちらと、呼ばれた気がした場所を訪問しています。
忘備録として、Blogにも。

三重県では四日市。諏訪時神社。
4月上旬の旅。

日曜日、お花見シーズンでしたが、
人は少々。
落ち着いている時間帯に参拝できました。
「諏訪」は龍子の人生にとって、大重要ワードです。
いつもお守りくださっています。
父なる母なる名です。
龍子
上級巫女になるためには、巫女のお姉さまたちからの、選抜を得ないといけないそうです。
血筋もかなり影響するそうですが、
母親や姉が上級巫女だからといって、上級巫女が保証されているということはないそうです。
生まれたときから、
上級巫女のベテランからの審査を受け、可能性を見出された幼い女の子は、上級巫女となるべく、訓練を受けさせられるそうです。
ベテラン巫女の審査が外れることはまずないらしく、
可能性を見い出された女の子たちが、弱音をはいて、堕落することは、まずないそうです。
・・・結局のところ
天才が天才を見つけ、天才が天才であり続けるように育てるという、
まさに天才の世界が、そこにはあるそうです。
神様からのメッセージを受けて動く
ベテラン巫女のアクションに、間違いはない、ということですね。

ごくわずかな人数のエリート巫女が
こうして、生まれて間もないときから、選ばれていくのです。
選ばれるそもそもの土台に、どうのるのかは・・・
「縁」だそうです。
「縁」とはおもしろいですね。
「道路を歩いていたら、捨て子が籠の中にいたので、上級巫女が拾ってきた」
「母親が火事で死んだところを、偶然生き残っていた赤ちゃんがいたので、上級巫女が育てようと拾ってきた」
など、
まさに、偶然のような必然が起きるそうです。
巫女の世界に、経済主義はまったく関係ないことが、とてもよくわかります。
これこそ、気高い世界ではないでしょうか。
http://www.ryuko.style
龍子
皆様
お久しぶりです。龍子です。
さっそく、前Blogの続きを。
上級巫女の世界は、完全に「女尊」の世界です。
神様が男性と女性と、両方をもつ方を存在させて中で、完全に「女尊」です。
これを聞いて、「いらっ」とする方も多いと思いますが、それが事実です。だからこそ、現世の社会では、巫女は特別な職種として守られ、男女雇用機会均等法が存在する日本でも、「女性でないとなれない仕事」として、国が認め、存在を残すのであります。
つまり、神様とつながれるのは、女性なのです。
特に、女の神様と繋がれるのは、女性です。
女官を周囲におく女王様のように、
巫女である女性を、召使のように、周りに置くのが女性の神様の通常だということです。
その女性の神様に選ばれしエリート女性が、上級巫女と呼ばれる彼女たちです。
彼女たちの心身は、女性の神様に使われる存在です。
だからこそ、彼女たちは、怖いものはなく、エゴはなく、神様のために生きる存在として、堂々としています。
ときに、位の高いのような豪華な家に住むような女性になることもあります。
ときに、まずしい、お金に苦労する女性になることもあります。
ときに、男性のためにつくられたようなお店で働く女性になることもあります。
そして、ときに、密室にこもり、ひたすら祈りをささげる影の存在に徹することもあります。
すべて、使命だと覚悟のうえでしています。
だから

経済的に幸せな人生をまっとうする場合もあります。
お金に苦労し、餓死するような場合もあります。
男にだまされ、苦労が続く哀れとも見える人生で終える場合もあります。
祈り続けたまま、そのまま死ぬ場合もあります。
彼女たちの幸せは、
一般人たちが求める、社会的評価の中にはないのです。
だからこそ、のびのびと、天才でいられるのです。
自分の与えられた能力を、ただひたすら神様のご命令に従って表現するのみです。
それができるには、人間としてのエゴをかなり逸脱した者だけです。
それに選ばれた、ということでの自信は、苦労の数と比例してもちあわせています。
龍子
http://www.ryuko.style/
皆様
こんばんは。龍子です。
さっそくですが、前回の続きです。
上級巫女たちが教えてくれるので、彼女たちを軸に、この話は進むのかなと思って書き留めています。
上級巫女たちは、何が違って上級巫女なのか、興味があって、彼女たちにたずねてみました。すると、意図も簡単にさらりと教えてくれます。
つまり、彼女たちは「天才」なのだと。
余裕です。
「ほほほ」と笑いながら、天女の羽衣のような、それはそれは高貴で女性らしい淡い色の、薄い絹のような布を躍らせながら、彼女たちは歌いほほえみ、神殿で遊んでいるかのようなところで、回答してくれます。
そこにおごりはありません。
なぜって、「天才」だからです。
彼女たちの言う「天才」は、「自分はすごい」という意味ではありません。
「神様が与えてくださった、お使いとして生きるために、必要な能力をもたされている」という意味です。
彼女たちは、常に、人間を超えた存在に守られ、死ぬことすらもまったく、問題にならないレベルで生きている「余裕の女性」ということなのです。
長くなるので、その「天才」なる能力は、どのようなものなのかは、次の記事へ。
龍子
皆様
おはようございます。
龍子です。
本日は深夜まで締め切りに追われていた仕事があり、いま一区切りです。
これから眠る支度をします。
さて、昨日の続きを。
巫女の「得意分野」についてです。
巫女たちの「得意分野」については、すでに研究・発表がなされているため、特段それに向かって反論するような話もないようです。
しかし、取り急ぎ「巫女仲間」としてお許しいただき、お話をいただいている龍子が得るメッセージを、そのまま、日本語に落とし込んでおきましょう。
日本の巫女たちは、
すべてが「あまてらすのおおみかみ様」につながっていると、彼女たちは言います。
巫女たちは「天照大神」といわず、「さま」(様)という敬称をつけて話をしてくれています。
まろやかに話す、その甘い声は、ちょっと、かわいい感じです。
天皇家に対しては、「二重敬語」(現在、間違った敬語の用法とされる)が、許されているのは、どうやら、昔々の巫女たちが影響を及ぼしているようです。(ただし、彼女たちの話し言葉だけが、その歴史をつくっている訳ではないと、彼女たち言っています)
神様と天皇家に仕える巫女たちは、いわゆる「上級巫女」とされ、超一流の限定された隔絶された空間の中に生きる巫女たちでした。(と言っています)
彼女たちの能力は抜群で、
一般の巫女とは比べものにならないそうです。
彼女たちのお話は、延々と続きそうな気配です。
春が来ますね。
まもなく3月です。
龍子
皆様
龍子です。
忘れそうなので、降りてくるメッセージを、あんまり長文にならないように、書きまとめておきますね。
巫女へのメッセージが、とにかく強く降りてきます。
その中で、彼女たちの霊がうったえてくるひとつの強烈なメッセージはこちら。
「私たちは分類されることに、何か期待をもっているわけでも、なんでもない」
ということです。
もっとそのまま通訳すると「分類好きの男性が、勝手にしていることでしょ」
と、いうことです。*男性陣を敵にしそうですが、そのまま通訳・・・。
とにかく、歴史上、あれやこれやと文献にまとめられて、特徴を分析され、カテゴライズされた文章には、何ら彼女たちの望みは入っていないと。
そもそも、「望み」などもたない領域まで、エゴとかい離できる能力がある女性だけが、上級巫女になれるとも、言っています。
地域によって、呼び名は異なったり、任務内容が異なったりしていたのは、必然からに過ぎないそうです。
ただし、「レベル」や「得意分野」というのは、それぞれの巫女にあったそうです。それだけに過ぎないので、あまり区分けしないで、今後の巫女は育ててほしいと、入ってきます。
この続き等は、次回以降に。
龍子
皆様
こんにちは。龍子です。
いつもこの龍子記事を書こうとすると、いまだに悩みます。
悩むたびに、書いては消して、
消しては復活させて・・・繰り返してサイトも何度もお引越し・・・。
「誰もわかんないだろうなあ」とか
「独り言や思い込みみたいだわねえ」とか
「これを書いたところで、誰の役に立つの?」とか・・・
結構、アンニュイになります。
そして、やめようと思うと、必ず応援してくれるかのような、他人さまからのメッセージや何かが入ります。
本日も、そんな出会いがありました。
私が最近得る「女性性」への癒しや、「巫女たち」へのメッセ―ジが、次は来ます!と書いている日本人女性のヒーラーの方のサイトに出会いました。
ほっとしました。

あ、同じことキャッチする方がいらっしゃっていたわ。と。
私の課題は次です。
「だから、それをどうする?」というところですが、
誰かの眼にとどまるように、書いておくことそのものが、お勤めなのかと、今は思っています。
柳田国男さんが、日本の巫女について文献を残されたように、現代の実はひっそりと活動をしている巫女について、誰かが今後の時代に向けて、残しておく必要があるかもしれません。

明治政府の時代から、巫女の活動は、かなり制限を良い意味でも悪い意味でも受けています。
そのため、今、表舞台で「巫女」と容認されて社会的に守られている人(例:アルバイトの巫女さんや神社でお見受けする巫女さん)と、裏で思い切り大変な仕事を社会的評価を得ずにしている人と二分しています。
良い悪いというよりも、その「裏」の活動の現状は、おそらくかなり正式な情報としては残されていません。
なぜならば、巫女は社会的評価を目的にしていないから、社会に向けて自分たちの活動の主張やアピールはしないからです。

宗教や宗派などの領域を超えて、日本という国の流れに、とても必要な役割を担っている巫女さんたちが、いま、本当に求められる時がきています。
この記事にであった、ひっそりと、自分と宇宙、神様との世界を信じて活動をしている巫女さんたち。
あなたたちが、日本の政治経済や我が国のために、祈りを献身的にささげ、霊のなぐさめに勤しんでいらっしゃることに敬意を表します。
そして、微力ですが応援しています。
龍子
本日は、左脳系のお仕事が一区切りつくと、お呼びがかかり、息を吸うのも忘れるような集中力で向かいました。
おりました場所から一番近い、大きな神社へ。
山梨県で、信玄神社の次に、お正月の参拝者が多いといわれる
身曾岐(みそぎ)神社。
お正月は8万人が参拝するそうです。

観光バスの専用駐車場があるくらいの、大きな神社です。
能楽堂もあり、夏には人気歌手のコンサートも展開されるほどです。

それでも、すっかりお人払いがされた状態で、私だけに、召集命令がかかっておりました。
このような晴天で、日中にも関わらずの、奇跡のような空間でした。

後ろには、龍様の背中を思わせる白雲。
しかし、どちらを見ても、誰もいないのです。

過去世のどこかで、「歩き巫女」だった記憶が、最近とても強く出ます。
ひとつの神社に所属する巫女と違い、旅をしながら、祈りをささげていくような、魂を慰めにいくような巫女のことを意味します。
今は、日本の歴史に深く係る偉大な女性霊からのメッセ―ジが、重要です。
きっと、日本中のひっそりと活躍する静かで強い「歩き巫女」たちに、届いているはずです。「今」というよりも、もう何年も。
そろそろ、ひとつの決着がほしいときが、訪れるような気がしています。
現代巫女たちが、どう動くのか、日本の霊における歴史が、大きく1ページをめくるときがきそうな気がします。
龍子