『下手の横好き』 -2ページ目

2020年末・単独城攻め

2020年12月16日

コロナ禍のストレス発散のため、中部、南部伊豆城攻めに向かう。

 

狩野城 伊豆市の観光情報サイト

富士の冠雪が少ないような...

三島の「うな繁」で腹ごしらえ

富士裾野方面の出張時には必ず行ってた名店。

 

下田城 Wikipediaの解説

良い切岸

下田港

障子掘 ピンぼけ残念

黒船じゃ~ 大筒用意 放てーーい

 

下田観光ホテルに宿泊

伊勢海老、あわび を堪能

翌日は雨だったので、予定の城攻めは諦めて退却。

下田城はもう一度訪れたい。

2020年本城攻めは縮小版

2020年11月22日~23日

コロナ禍の為、本城攻めは例年2泊3日のところ1泊2日での実施となった。

 

最初の3城は初の動画撮影を行ったので、下記の通りyoutubeにUPした。

下手の横好き201122~23城攻め① 烏山城編 - YouTube

下手の横好き 201122~23城攻め② 黒羽城編 - YouTube

下手の横好き城攻め③大田原城編 - YouTube

 

烏山城の後に、「島崎酒造」の洞窟酒造を「訪問

 

宿泊は「ホテル花月」 将棋のタイトル戦が行われたりする由緒ある宿である。

恒例の部屋飲みゲーム大会(ゲーム名は失念)

 

2日目の昼食

中華料理「阿Q」大田原店  肉丼

 

川崎城 説明はWikipediaを参照下さい(完全なる手抜き)

深く大きな空堀

 

 

勝山城 こちらも手抜きで...

大手の空堀

 

橋上より

 

 

鬼怒川が一望の内です。

 

遅くなりましたが、2020年本城攻め報告は以上です。

 

本上まなみも良いけど本庄繁長をご存じか?

これはWar-Gamers Advent Calendar 2020 参加記事です。

 

本上まなみ【昭和五十年(1975)~】本名、沢田まなみ。大阪府出身の女優、声優、ナレーター・・・

って、そんなことはどうでもヨカ!

 

 ”本庄繁長”という武将をご存じだろうか。

戦国時代が好きな方なら、「ああ、上杉の武将ね」ぐらいは知っていると思うが

誠に波乱万丈、銀河万丈、バンジョーにすがり付き泣きじゃくる(”ちびっこカウボーイ”っていう歌知ってる?)

ような生涯を送った人物なのだ。

その名場面を紹介しながら、もしゲーム化したらどうなるかを書きたいと思う。

 

          錦絵の本庄繁長

 本庄繁長【天文八年(1540)~慶長十八年十二月廿日(1614年1月29日)】は、越後の国人で

本庄城主・本庄房長の子である。

 天文八年、房長は弟の小川長資の謀略で城を奪われ、千代猪丸(繁長)が生まれ出る数日前に

ショック死。

臨月の身で城を追われた繁長の母は、追っ手から腹に刀傷を受けるもかろうじて逃れ千代猪丸を生んだ。

その時、腹にいた千代猪丸に刃が達していたらしく眉目に傷を負って生まれ出たという。

繁長は文字通り”生まれたて”の当主になる。そんな赤子に統治は無理なので

乗っ取りおじさんが後見になった。

 十三歳になった千代猪丸は、房長の十三回忌に乗っ取りおじさんを捕らえて斬首した。

武勇伝、武勇伝、武勇デンデンデデンデン(古い)の始まりである。

 

 千代猪丸は、その年に元服して長尾景虎(以下、謙信)に拝謁して家臣となり、川中島合戦でも活躍したが

元々国人として独立性が強く、永禄十一年に反旗と赤いマフラー(ウソ)をなびかせてしまう(本庄繁長の乱)。

しかし謙信に攻められても1年ほど守り抜き、夜襲で宿老の色部勝長を討ち取ったりしている。

武勇伝、武勇伝、武勇デンデ・・(もうエエわ)。

 

単刀直入に「川中島合戦」のゲームが考えられるが、比較的多くゲーム化されているので

パク...適したゲームシステムを選択し、ひねりを加える必要があるだろう。

「本庄繁長の乱」は、色部の陣を夜襲する戦術級のゲームにすると面白そうだ。

 

 天正六年(1578)、謙信の急死による跡目争い「御館の乱」では景勝側に味方、息子の顕長は

保険で景虎側につかせ、真田の「犬伏の別れ」より22年早く一族存続の策を取っているのも注目である。

 「新発田重家の乱」でも鎮圧に活躍、景勝から一門で空跡になっていた上杉景信の名跡と竹に雀の

紋を贈った。地元の庄内地方では最上義光と争い勝利している。

しかし、秀吉が天下を統一した天正十八年(1590)の庄内藤島一揆の扇動を疑われて追放されるも

文禄の役が始まると上杉家に一万石で帰参した。

 

「御館の乱」は、いつか本気でゲーム化したいテーマだ。越後全体をPtPかエリア方式が合うだろう。

「新発田重家の乱」は、シチュエーションとして「本庄繁長の乱」に似ているが6年間も上杉景勝に

抵抗した長期戦だ。史実通り粘れたら新発田の勝ち。早ければ景勝の勝ちという勝利条件でどうか。

 

 上杉家が慶長三年(1598)会津移封されると、間もなく秀吉が死去。

慶長五年七月、「カンケゲン(関ケ原)の戦い」の発端である「上杉征伐」が開始されそうになる。

家康が上方へ反転した後、最上領に宿老・直江兼続が侵攻(慶長出羽合戦)するも

失敗に終わると、伊達政宗が二万の兵で上杉領への侵攻を開始し、白石城を攻め落としてしまった。

景勝は次の拠点である福島城(杉目城)に繁長、梁川城に須田長義を配置していた。

1千の兵で伊達の大軍を防ぎ切った繁長の名声はより一層高まる。

一説には、政宗の本陣近くまで突入して「竹に雀」の陣幕を切り取ったという。

またもや武勇伝、武勇伝、ぶゆ・・・・・。

 

やはり「関ケ原」は本戦、地方戦ともに魅力的なテーマだ。

既にツクダ「戦国の一番長い日」でゲーム化されているが、拙作「慶長出羽合戦」のシステムに

”回復”、”上方への東軍兵力引き抜き”等のルールを付け加えて「上杉征伐」を作ってみたい。

「福島城周辺の戦い」は、寡兵の繁長が活躍できるような戦術級ゲームが良いだろう。

 

 戦後、繁長は徳川家との交渉に上洛し、改易ではなく百二十万石から三十万石への減俸で

上杉家を存続させた。彼の勇名があってこその功績である。

 大軍を擁しながら最上を攻略できなかった

「義」、いや「偽」の男より、よほど優秀な武将なので、もっと知名度が上がって欲しい。

 

そのうち本気で、本庄繁長が大暴れするゲームを作りたいと思う(上記の中から、超絶傑作が生まれるか)。

 

 慶長十八年(1614)十二月廿日、繁長は波乱と武勇にとんだ生涯を終える。

 享年七十五歳であった。

  

     墓所である福島市長楽寺の本庄繁長木像